官僚トップの不祥事に「戦後教育の欠陥露呈す」
-上に立つ者の在り方不在―
国家官僚の実質最高峰の財務次官の福田淳一君、四流官庁だが文部省次官の前川喜平君、新潟県知事の米山隆一君、三人とも女の問題で醜態を暴露され失脚した。
三人とも、一流大学の文句ないキャリアーで官僚社会のトップを極めた人間だ。頭脳明晰、学歴、それなりの度胸も持っていたのであろう。
私は、米山君が新潟県知事就任した時の、あの顔の、「いやらしさ」に人物として可笑しい、なぜこんな男が知事なのかつ直観していた。結果は案の定であった。
福田君を事件後初めて見たとき、闊達な男であったと思ったが、精神面での薫陶の欠けた人物と見た。
前川君は、喜平は「助平」を連想した人相ものであった。
三人とも、師表に立つべき人物ではなかったのだ。
日本の武士道最大の眼目は、「命より名誉を重んじる」ことであった。
上に立つ人間は、自らの地位・ポストの名誉を守るのが本命でなくてはなるまい。
彼らにはその哲学が決定的に欠けている。
最近のお粗末な首相である、鳩山由紀夫クン、菅直人クン、などは総理の地位を、退職してから汚しておるのを気が付かない、それほど人間が劣化している。
近年は、小泉純一郎も、宰相の地位を汚しつつある。
その点、断然光っているのが大勲位。中曽根康弘氏であろう。
その他、政党幹部の山崎とか等はコメントするに値しないほど地位を汚している。
福田、前川、米山クンら三人とも、心の、精神の、内なる鍛練がなされておらぬと洞察した。「内なる律」を彷彿とさせないものがある。
彼らは、精神的な鍛練、薫陶、心田耕作の欠けた、
ただ、ただ、学歴と知識のみの人間で、人間統治に不可欠な「上の立つ者の在り方」の修養、鍛練をしておらない人物である。
これは、戦後教育の最大欠陥でもあろう。
個人的努力も欠けた人間であった。
物、金、知識偏重、学校の成績偏重の、しからしむ結果がこの三人に露呈したのである。
人間集団の統治には、知識だけでは得られぬもの、人文の素養、修養が不可欠にして最大の要素である。
国会議員諸君も、程度の低い連中が大半を占めておの国家は没落へ邁進しつつあるのではないか。
平成30年5月1日
鳥取木鶏会 会長 徳永圀典