安岡正篤先 「経世と人間学」 5 
平成21年5月度

 1日 理財論

理財について非常に緻密に調査しておることは、板倉藩の歴史始まって以来今日最高であって、口を開くと金・金と云っておるのだから、少しは暮しが楽になつたかと思うと、相変わらず貧乏で疲弊のどん底にある。農民が納める税金、海や山からとれる産物、或は通行税・取引税などは必ずとれるだけとりたてている。また支出の面では、徳川幕府から

賦課される費用、その他乗り物、建築費等はできるだけ節約して数十年になるが、藩の貧乏は益々酷くなり、借金は増えるばかりで、米蔵も空となり、救済することができない状態となってしまつた。これは理財の運用にあたる人間の知能の不足が原因であるのか、それとも技術が未熟であるためか、或はどこかに手抜かりや欠陥があるためだろうか。
 2日 根本的見識 いや、そうではない。天下の事件や問題を処理する者は、事件や問題の外に立って、事件の内にちぢこまらぬことが大切である。 それ善く天下の事を制する者は、事の外に立って、事の内に屈せず。−これが理財論の全編を通じて、方谷が言わんと欲する根本的見識であります。
 3日 太平慣れが原因 処が、今の財政家は、みな財につかまって小さくなっている。これは平和が長く続いて敵国に対する心配がなくなったからで、その為に、殿様も家臣も、みな太平に慣れて贅沢になり、出費が増え、常に金のことばかり考えて、人心は日に日に狡猾となり、風俗は愈々薄くなるばかりで、もとのように (あつ)くすることが不可能となった。その上、役人は汚職をやり、人民は疲弊困憊の極に達しておる。従って、文教はすたれ、武備はゆるんでしまってこれを興すことも難しくなった。そこでこの原因を尋ねると、必ず「金がないから何もできないのである」と答える。
 4日 財の中に屈し 思うに、人心と風俗の問題、役人と庶民の生活問題、また文教と軍備の問題は国を治める上に最も大切な根本問題である。しかるに、その大切な問題を忘れているから、規律は乱れて命令が滞るのが当然である。 このような状態でどうして経済が発展するだろうか。
にもかかわせず、枝葉末節の問題である金を増やすとか減らすとか等をやっておるのは、財の中に屈している証拠ではなかろうか。
 5日 貧乏問題 経済問題が非常にやかましく論じられ、調査されているのに、救い難いほどの貧乏をして、家財道具をすっかり売りつくし、米櫃は空で、中には塵がたまっているというような生活を続けながらも、この苦しい生活を切り抜けようと、目標を高くかかげ、信念をもって貧乏に耐えたところ、何時しか貧乏の境遇から離脱して豊かになったというーーこういう武士は、財にとらえられず、これを超越した人間であると申して宜しい。 思うに、庶民の必要とする金はほんの僅かにすぎない。その僅かの金を手に入れんと、年中あくせくして疲労困憊の末に死ぬ者もあるが、これは金にとらえられた人間である。広い国土と財産をもった堂々たる大国がこの貧乏な武士にも及ばずも金にとらえられた庶民のように汲々としておることは実に嘆かわしいことである。
 6日 小さい算盤

中国古代の代表的な帝王である、尭・舜・禹三代の理想政治は問題外として、管子(かんし)商鞅(しょうおう)の富国強兵の手段は功利主義であると孔子から非難をうけているけれども、斎の宰相として菅子が実施した政治の根本理念は、礼儀を重んじ、恥を知ることを第一としてえり、また秦の宰相として商君が実施したのは、信義を

重んじて信賞必罰をやることであった。
菅子も商君も経済には拘泥せず、然も立派な政治を行ったので、春秋戦国時代の名宰相と言われている。処が後世になると為政者も庶民も金の奴隷となって、小さい算盤をはじいて苦しみ、その上貧乏している。この事実を比較して考えると、その得失が極めて明瞭である。
 7日 財の外に立つ

そこで藩主も、藩主を補佐する役人たちも、深くこの事実を反省して、財の中に屈することなく、日常の簡単な経済問題は専門の役人に任せて、時々大きくそろばんを合わすように点検すれば宜しい。そして最も大切な問題である人間と仕事をいかにすべきか考えて、先ず人心を正し、華美な習慣を戒めて、風俗を取り締まり、賄賂を禁じて、役人の生活と姿勢

を清くし藩民を愛して物資を豊かに古道を尚んで、教学の興隆と武士の意気を高めて、軍備を充実すると国家の大法はととのい、政府の発する命令は明確化されて、財政も自然によくなろう。
然し、これを実践できる人は、よほど人間の出来た偉い人であって、とうてい尋常の人では実行が不可能であろう。処が、これに対して次のような議論があります。

 8日 (はなは)()ならずや 財の外に立つと、財の内に屈するとは、既にその説を聞くを得たり。敢えて問う、貧士(ひんし)弱国(じゃっこく)、上乏しく下(くる)しむ。今綱紀を整え、政令を明らかにせんと欲するも、而も飢寒死亡先ず(すで)に之に迫る。 その患を免れんと欲すれば、則ち財に非ずんば可ならず。然るに尚その外に立ってその他を謀る。亦(はなは)()ならずや。
 9日 綱紀を整え 曰く、此れ古の君子の、努めて義利の分を明かにする所以なり。それ綱紀を整え政令を明かにするは義なり。 飢寒死亡を免れんと欲するは利なり。
君子はその義を明らかにして、その利を計らず。唯、綱紀を整え、政令を明らかにするを知るのみ。
10日

侵伐(しんばつ)破滅(はめつ)(かん)

飢寒死亡の免るると免れざるとは天なり。それさい()たる(とう)を以て、斉と楚とに介す。侵伐破滅の患日に迫る。しかも孟子之に教うるに彊めとて善を為すを以てするのみ。

侵伐破滅の患、飢寒死亡より甚だしきものあり。
しかも孟子教うる所は此れの如きに過ぎず。
則ち貧士弱国、その自ら守る所以の者亦余法無し。
11日 ()()の分 然らば、義利の分果して明らかにせざるべからざるなり。
義利の分一たび明かにして、而して守る所のもの定まる。
日月も明と為すに足らず。雷霆(らいてい)も威と為すに足らず。山嶽も重しと為すに足らず。河海も大と為すに足らず。天地を貫き、古今に度りて移易すべからず。また何の飢寒死亡かこれ患うるに足らん。 
12日

邦家(ほうか)の窮

しかるを区々財用をこれに言うに足らんや。然りと雖も、また利は義の和と言わずや。
未だ綱紀整い政令明かにして、而も飢寒死亡を免れざ
る者有らざる者有らざるなり。尚この言を迂として、吾れ理財の道有り、飢寒死亡を免るべしと曰はば、則ち之を行うこと数十年、邦家の窮、益々救うべからざるは何ぞや。
13日 問い

「財の外に立つと財の内に屈するーということはよく理解できましたが、生産力の乏しい、勢力の弱い国が、上に立つ者も臣下も貧乏して苦しんでおる時に、国の掟を整え、命令をはっきりさせたいと思っても、寒さと空腹のため死を招きます。

これから逃れようとすれば金がなければなりません。それにもかかわらず、財の外に立って方法を考えるということは迂遠な方法ではないでしょうか」。
14日

「これは昔の為政者が、どうすることが義、−人間として履むべき正しい道であり、どうすることが単なる利欲の満足であるか、という義と利をはっきりと分けた理由である。綱紀を整え政令を明らかにいることには金はかからない。また古道を尚び文教を振興することにも金は必要ではない。金がかかるなどという意見は世間の一般論であって、そのこと自体は金のかかるものではない。

確かに綱紀を整え政令を明らかにすることは義であり、飢寒死亡を免かれようとするのは利であるが、為政者はその義を明らかにすることに努力して利を計ってはならない。また飢寒死亡を免かれたり、これに遭うことは、これには天命ということもあって、人間の考えだけではどうにもならない答である。 
15日 善を為す 昔、(とう)という小国が、斎と楚という二つの大国の間に存在していた。一度戦乱が起これば、(とう)はたちどころに大国の侵略を受けて滅亡するかもしれない。この危険な小国の(とう)に対して、孟子は努めて善をなすように教えている。 侵伐(しんばつ)破滅(はめつ)の苦しみは、飢寒死亡より大であるが、孟子はこのように善を為すことを教えている。(とう)のように小国で力が弱ければ弱いほど善を為すことが最善の方法である。
16日 活眼を開け 国民の志気盛んにして、政治を立派にすれば、自然に物質問題は解決するものである。何が義であり、何が利であるかが明確になると、各自の職分も決まる。これは天にかかる太陽や月よりも明瞭であり、雷よりも厳しく、山や海よりも重くて大きい。実に天地を貫き、古今を通じて変わらない根本問題である。

この大事な問題をほったらかしにして、毎日、金、金と齷齪しながら、貧乏しておるのは、結局心がけが悪いからである。
本当の利とは、義の和、即ち義をだんだん実践していくことによって成り立つ。
これに活眼を開けば財はいくらでも豊かになるものである。

17日 山田方谷の見識 綱紀が整い、政令が明らかであるにも拘らず、飢寒によって死亡したという例を聞かないのであるが、この言葉を迂遠と考えて、我れに他の理財の道があると言ってこれを行い、数十年になるのに却って益々貧乏するのは何故か」。 山田方谷の理財に関する見識であります。彼はその通り貧乏板倉と言われて、どうにもならなかった板倉藩を数年にして立て直し風紀の整った、財政の豊かな藩として明治九年七十三歳で亡くなりました。
18日 財を超越

この人を島津藩・前田藩のような大藩が、直接幕府の局面に立たせたならば、恐らく更に偉大な治績をあげたことと思います。

こういう立派な実際に権威のある理財家の結論が、財にとらえられてはいけない、財を超越してこれを駆使しなければならせないということであります。
19日 実際家 経済的にゆきづまり、どうもお手上げだという時に額をあつめて会議や議論をやってもよい考えは浮びません。こういう際には山田方谷のような達人、実際家の研究・勉強をして みると、案外窮境を脱することが容易であるかも知れません。やはり我々はこういう達人の信念と論説を学ぶことが現代に大変参考となることであります。
(昭和四十五年一月二十二日講)

第四講
治邦(ちほう)要訣(ようけつ)

20日

思考の三原則

嘗て「思考の三原則」というお話をしたことがあります。覚えておられることと思います。
第一は、何事によらず、目先だけを考えないで、できるだけ、長い目で見ること。

第二は、凡て物の一面だけを見ることなく、できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること。
第三は、凡て枝葉末節にとらわれないで根本的に見ること。

21日

思考観察の原理

でありますが。この「ものを目先だけで考え、一面的に見る」あるいは「枝葉末節に走る」というのと、「長い目で、多面的に、根本的に見る」というのでは、結論が違ってきた、時には全く正反対にもなります。

そこで真理というもの、真実というものは、この思考の三原則に徹しなければいけない、という大事な思考観察の原理をいつかお話したのであります。
22日 グレート・チェンジ 近頃、世界の識者に指摘されている「3G」といって、Gのつく三つの大きな問題があります。これは現代の特徴あるいは課題ま大きなものをあらわしておるのであります。

その第一は、グレート・チェンジ(GREAT CHANGE)の「G」であります。
0NLY YESTERDAY,SINCE YESTERDAY―ほんの昨日のこと、それからが大変と言われる程、世界をあげて今日は正しく一大変化の時代である。
23日 ハーマン・カーン その大きな変化を最近まで一般に気楽に考え、或は非常に希望的な観測をして、「輝かしき二十一世紀」というようなことが唱導されました。例えば、ハーマン・カーンは「次の世紀は日本の世紀だ、日本が特に経済的に支配する」 というようなことを言ったーーと言われて、非常に共鳴者が多いので、どうもおかしいと思って調べた処、ハーマン・カーンはそんなに軽々しくは言っておりません。
24日

何かが狂っている

後には警告すら率直に述べております。これは日本人がそう決めてしまつて、自分を褒めてくれるものを大きく取り上げ、その上に尾鰭をつけるという傾向があるためです。

が、大体、世界を通じて文明国の流行思想家や評論家は「輝かしき二十一世紀」という考え方でありました。処が、間もなくこれが大きく変わりまして「どうもこの文明は、おかしい、何かが狂っている」ということに段々気づくようになってきました。
25日 公害 その一番痛切な問題が公害であります。
公害問題について私が皆さんにお話したのはもう何年も前のことになりますが、それから、毎年公害に関する話をしない年はありません。

私たちと師友協会の全国大会でも、「文明民族が公害のために半減する危険が十年ないし二十年後と云われているが、専門家の話では五年ないし十年と変わってきた」という話をし、佐藤総理にも国会の演説で取り上げて警告してはと勧めたこともありました。

26日 グレート・イリュージョン 果たせるかな、ニクソン大統領がこの正月、徹底的に公害問題を取り上げましたので、始めて日本人もこの問題を言い出すようになり、遂に昨今では大変な騒ぎとなりまして、毎日の新聞やテレビでこれに触れないことはありません。

これ等はその一例でありますが、「輝かしい21世紀」という大きな期待、あるいは誇りというものが、今や一つの幻想となってきました。
これが第二の「G」即ちGREAT ILLUSION、グレート・イリュージョンであります。

27日 グレート・アウェイクニング そこでこのまま進むと、文明国は大抵だめになるのではないかと、真剣に考えられるようになってきた。
これが第三の「G」、GREAT AWAKENING、グレート・アウェイクニング、即ち大いなる覚醒を要するということであります。

然し、学者や評論家の中からこの「3G」が深刻に論じられるようになりましたが、最後の覚醒は何だという問題になると、なかなか議論が続出して結論を得ません。
つまり、これは思考の三原則から外れて、余り皮相に、ただ眼前のことに走るほど困るということであります。
28日 ゆつくり生長

最近、動物学者。生物学者らの考え方が切実になりまして、例えば人間を生物発展の歴史から解明して、これは生物の中で一番遅れて発達したものである。爬虫類とか甲殻類とかが先に出で駄目になり、大器晩成型の人間が一番発達した。

これは余り早くスペシャリストになると駄目になるので、なるべくゼネラリストでなければならぬという証拠でありましょう。スペシャリストは、つまり枝葉花実で長持ちしない。ゼネラリストは枝葉花実に走らない、一時的な舞台に終らない。ゆつくり生長する。思考の三原則にぴったりであります。

29日 リバーバリゼーション 我々の思考・感情、それらがつくる所の文明・文化をもう少し長い目で見て、多面的に考察し、そしてその根源に返らなければなりません。
面白い表現をする者は、この文明・文化というものに対して新たなるリバーバリゼーションに返らないと
救いようがないと言い出すようになってきました。

例えば「歩こう会」などという運動がそうであります。あまり乗り物が発達すると、人間が駄目になる。
まず足が駄目になる。足という字をたると読みますが、これは極めて大事な問題であって、乗物が発達した結果、歩かなくなるから足が弱くなり、弱くなつた足が原因で、やがて腰も腹もそうして遂に頭も駄目になります。

30日 専門ばか 大人ばかりでなく、小学校・中学校の子供達も、最近運動場に立たせて講話すると倒れる者が多いと言われております。こうなると根本に返って、足から鍛え直さなければなりません。 これはリバーバリゼーションの一例ですが、教養もそうであって専門的知識や技術に走ると、いつの間にか人間そのものが駄目になる。
31日 専門に亘れば亘るほど古典を

昨今の新聞によく出るが光化学スモッグ、自動車を始め交通機関の重要な材料であるガソリン、特にハイオクタンのものが一番鉛害が酷いので、これを何とかしなければならぬというような問題が到る所に出て参り

まして、これも根源にかえって解決を図らなければなりません。専門的知識や、技術にばかり走っておると、人間はいつか駄目になる。だから専門に亘れば亘るほど、やはり歴史的、伝統的、古典的教養をもたなければなりません。