日本、あれやこれや その49
平成20年5月

5月 1日 三浦按(みうらあん)(じん)物語ウイリアム・アダムス 徳川家康から日本名を拝領したオランダ人である。オランダ船リーフデでロッテルダムを出港し東インドを目指したアダムスである。 だが航海中に幾多の危難に遭遇する。まずブラジルの赤道付近で、病気、マゼラン海峡では寒気と飢餓で多くの船員が死亡する。
5月 2日 南米航海中のこと イスパニア人に妨害され原住民からは食糧が与えられない。 チリーの海岸では食糧確保に上陸した乗組員は、原住民から矢を射掛けられて皆殺しとなった。アダムスの弟もこの時に死亡した。
5月 3日 豊後の漂着 出港時の五隻の船は四散し、命からか゜らで日本の豊後の港に漂着した時には、110名もいた乗員が24名に激減していた。 更に6名が死亡し、自然の脅威、幾多の他国人との戦いを経て日本に到着したアダムスは,日本での厳しい詮索や戦いも覚悟をしていた。
5月 4日 親切なる待遇の日本人に驚く 豊後では、死も覚悟していたアダムスであった。処が、今までの他国とは逆であった。 一介の漂着者を責め立てもせず、「親切なる待遇を受け」厚くもてなす日本人に対しアダムスは「日本人は毫も危害を加えざりし」と半ば唖然として驚いた。
5月 5日 家康に拝謁 やがて、時の将軍・徳川家康に呼ばれて拝謁する。東南アジア等は西欧各国白人による植民地争奪戦の始まった頃である。 日本在住先発のポルトガル人達は、アダムス達のことを敵視し警戒した。アダムスは海賊である、通商に来たのではないと中傷した。
5月 6日 家康の家臣となる 流石に家康は惑わされることになく、逆にアダムスを重用する。驚くべき待遇をした。 やがて三浦半島、現横須賀市に250石の所領まで与えたのである。
5月 7日 日本人のお人好し 西洋では、このような場合、黒人なら奴隷にされた。 だが、かの信長など、アフリカ人は可愛がられて人気者にさえなっている。
5月 8日 親切で優しい日本人 アダムスは、日本人は「親切でやさしく礼儀正しい」と感じたからこそ、家康や日本人の為に尽くそうと考えたので、所領まで与えられたのである。 日本人は「万事、静謐(せいひつ)にして国民はその統治者、その長上にすこぶる従順なり」と記録している。 
5月 9日 慶元イギリス書簡 アダムスの辿ってきた経過は「慶元イギリス書簡」に詳しく記録している。慶長から元和、1600年前後の アダムス等イギリス人の書簡集である。これにはイギリス人の野蛮な凄まじい所業も記載されている。
5月10日 白人の悪辣さ その書簡集には、例えば、アフリカ赤道付近で、80余軒の一村を奪略して、牛や橙などの果物を分捕るなどの例。 だから別の村の原住民は、このような西欧人を極度に警戒し南米の原住民のように矢を射掛けてきたのである。
5月11日

英国版「春秋左氏伝」

この本は、英国人の謀略、誹謗中傷、裏切り、虚実など裏芸表芸が盛り沢山記載されている。 外資系の獰猛さの元祖のような欧米人の「舌」、二枚舌が書かれている。
5月12日 二枚舌 二枚舌は欧米人や中国が世界の元祖であり、とても真似の出来ないものがある。 現在でも、欧米人には、二枚舌の構造が見られる。彼等を相手にはこれを忘れないことだ。
5月13日 家康は世界を知っていた アダムスは英国の東インド会社が国王ジェームスの国書を持参した時、それを訳したり家康の命により120トンの船を建造した。 家康の下問に応じて、イスパニア、ポルトガルなど国際情勢や戦争、その理由などを説明した。 
5月14日 白人の意図見抜いた家康 家康は1588年にイスパニアの無敵艦隊がイギリスに負けたことを知っていたのである。また幾何学、数学、世界地図など教えた。 西欧の世界への進出、植民地化などを家康は理解したのである。それで危機を悟った家康は、その後キリスト教禁止令へと賢明な政策を講じたのである。
5月15日 国内平和なり 「今や、国内平和なり。けだし、内政宜しきこと他国に比を見ざるところなり」。これはアダムスの言葉である。 関が原も終わり、安定した日本だと三浦按針は見たのである。彼は、西洋や諸外国の多くの紛争を見てきたから解るのであった。
5月16日 ケンペル 正式には、エンゲルベルト・ケンペルと言う。ドイツ人医師でオランダ商館の医師として長崎に来日した人。 滞在二年間、日本のあらゆる分野に関心を持ち見聞記を残した人。
5月17日 世界一礼儀正しい国民

ケンペルは時の将軍・綱吉に拝謁の為江戸旅行中に日本人の礼儀正しさに気づいた。「旅館の主人らの礼儀正しい応対から、日本人の礼儀正しさが推定される。旅行中、突然の訪問の折に我々が気づいたのだが、世界中のいかなる国民でも、

礼儀という点で、日本人に勝るものはない。
のみならず、彼らの行状は、身分の低い百姓から、最も身分の高い大名に至るまで、大変礼儀正しいので、我々は国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでよかろう。
5月18日 礼儀正しさは世界一の日本 ケンペルはの「日本人の礼儀正しさは、日本人の大きな美徳の一つであるが、身分の上下に関係ないことは、「躾」を初めとした教育が良く行き届いていたということである。

日本の制度が末端まで機能していたことの証左であるペリーの「遠征記」でも日本人ほど丁寧に礼儀正しき振舞う国民は世界中どこにも無いと述べている。 

5月19日 言葉の遊戯 例えば、旅行中の日本人が、夕食後、酒を飲みながら歌を歌ったり順々に謎かけをする。 これが、なんとも微笑ましく、江戸中期の庶民の様子が伺えると記載している。テレビもない時代の言葉のコミュニケーションを楽しんだ風景である。
5月20日 鎖国に賛成のケンペル ケンペルは当時、日本の鎖国に賛成している。日本の為に良い制度だとしている。ラフカデイオ・ハーンと同様である。欧米の悪さ、狡さを知悉しているからである。 日本は江戸時代には、自給自足ができて自立していた。外国から輸入する必要は無かった。戦争も無く、生活水準も非常に高かったからである。
5月21日 鎖国を国王に進言した白人

ツンベルグというスエーデンの科学者はオランダの商館付医師であり日本に2年間滞在した。鎖国を高く評価し政治体制に就いても

幕府の形態を最高のものとし、本国に帰国した時、国王に「鎖国」と「幕府政治」を勧めている。日本は鎖国により欧米の植民地化の魔の手から逃れたのである。
5月22日 三等車旅行

「私達は三等車で旅行した。平民の振る舞いを是非共見てみたかったのである。客車の仕切りは肩の高さしかなくて忽ち最も貧しい日本人で満員になった。三時間の旅であったが、他人や私達に対する人々の礼儀正しい態度、そして総ての振る舞いに私は、ただただ感心するばかりだった。

それは美しいものであった。とても礼儀正しくしかも親切。イギリスの大きな港町で多分目にする振る舞いと較べて何と言う違いだろう。さらに日本人は、アメリカ人と同様、自分や周りの人への気配りから清潔で見苦しくない服装で旅行している。老人や盲人に対する日本人の気配りもこの旅で見聞した。私たちの最も良いマナーも、日本人のマナーの気品、親切さには及ばない」とイサベラ・バードは言った。 

5月23日 英語の最高の日本旅行記 イサベラ・バードはイギリス生まれの旅行家である。彼女の書いた「日本奥地紀行」の評価である。 世界を旅し、庶民の暮らしを観察した彼女は日本人の多くの長所を指摘した。特に日本人の礼儀正しさには感動しきりであった。
5月24日 英語の最高の日本旅行記 イサベラ・バードはイギリス生まれの旅行家である。彼女の書いた「日本奥地紀行」の評価である。 世界を旅し、庶民の暮らしを観察した彼女は日本人の多くの長所を指摘した。特に日本人の礼儀正しさには感動しきりであった。
5月25日 安全に女旅の出来る国 彼女の来日は、1878年であるから、明治11年。「奥地や北海道を1200マイルにわたり旅したが、全く安全で、然も心配もない。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にも逢わず全く安全に旅行できる国は無い」と。 彼女の旅行計画を聞いた英国代理領事が彼女「英国婦人が一人旅しても絶対大丈夫でしようでしよう」と太鼓判を押していたのである。日本は文明国であり民度も高いのである。これを誇りにしていない日本人が残念。西洋の方が余ほど野蛮国なのである。
5月26日 勤勉・真面目・読書家の日本人

イサベラ・バードは、日本人を勤勉、真面目、よく働くと繰返し述べている。「山腹を削って作った僅かな田畑も、日あたりのよい広々とした米沢平野と同様に素晴らしくきれいに整頓してあり、

全くよく耕作されて風土に適した作物を豊富に産出している。これはどこにも見られる。草ぼうぼうの「怠け者の畑」は日本には存在しない」
5月27日 子供の読書の声 日本の庶民の読書について記載されている。「日光地方では、夕方には殆ど、どこの家からも予習のために本を読む子供の声が聞えてきたと言う。 田舎、都会に関わらず、本を読み、従者の日本青年も十冊ほどの本を脇に置き、読んで夜を過ごすという。江戸時代は貸本業はとてもポピュラーで多くの人々が利用した。庶民でも本を読む、つつまり識字できるという点は世界に於いて抜きん出ている。 
5月28日 お金を受け取ることは、

恥ずべきことだと・・日本女性は
イサベラ・バードが暑くて困っている時、日本の女性達は団扇(うちわ)を持って来て一時間も扇いでくれた。料金を尋ねると少しもいらないと言い全く受け取らない。そして言うには「少しでも取ることがあれば恥ずべきことだ」と。 悪い水を飲んで具合の悪くなった車夫は「契約を厳重に守り代わりの者を出し、病気だからと云ってチップを要求することもない」その正直で独自のやり方は大変嬉しかった。
5月29日 紛失した時 「旅の終わりまで無事に届けるのが当然の責任だと、どうしてもお金を受け取らなかった。」 自分の責任で仕事に力を尽くし、それ以上の金は受け取らないという誠実な態度が目立つと言った。
5月30日 イギリス人が劣る このような明治初期の日本人を見て彼女は言う「この日本国民と比較して、常に英国民が劣らないように・・・・」 「・・・残念ながら実際には英国民が劣っている・・・」と述べているのだ。このように日本文化、モラルは欧米人より高いのに、どうして西洋文明を貴ぶのか。ここに日本堕落の原点がある。 
5月31日 1000年前からなのだ 今年は源氏物語が出来て1000年となるらしい。王朝絵巻の十二単の優雅な衣装を着ていた時代、ヨーロッパはまだ未開の範疇であった。 日本文明は、既に世界八大文明の一つとして独自性もあり、高度なものを有していたのだ。そして、江戸時代には、文句なしに庶民に至るまで高いモラルを確立し識字率世界一の国民となつていたのである。