荘子を読む その五
平成21年5月度

 1日 立場は簡単に逆転する あい(とも)に君臣となると雖も、時なり。世を()うれば(すなわ)ち以ってあい(いや)しむなし」。
   
    (外物篇)
君臣と臣下と言って厳然たる身分の違いがあっても、それは時の勢いで偶々そうなっただけである。時間の物差しを長くとれば確実にそうなる。現在の勝者も流れが変われば敗者に転落するのは容易である。地位が高いからと云って驕らず、低いからと云って卑屈にならず淡々と生きてゆけばよいのだ。
 2日     柔軟さ 至人(しじん)はすなわち()く世に遊びて(へき)せず、人に(したが)いて(おのれ)を失わず」。
    (外物篇)
至人とは、無為自然の道を体得した理想の人間。このような人は、どのような社会でも、常に自分のペースを守りハメを外さない、主体性を失うことなく人々と協調する。
至人とは現代でいう苦労人、人あたりも柔らかい。
 3日 心意自得

天地の間に逍遥(しょうよう)して心意(しんい)()(とく)す。吾何ぞ天下を以って()さんや」。
    (譲王篇)

舜から天下を譲ると言われた善巻(ぜんかん)が辞退した時の言葉である。私は広い天地の間にのんびりと心を遊ばせつつ、ゆったりと暮らしている。天下など迷惑だというのである。功名富貴だけの世界は余りにも息苦しい、心意自得の一面も有用だ。 

 4日 利欲の為に身を苦めず ()く生を(たっと)ぶ者は、貴富(きふ)といえども養いを以って身を傷つけず、貧賤(ひんせん)といえども利を以って形を(くるし)めず」。
     (譲王篇)

本当に生命を大事にする人物は、例え富貴の地位にあったとしても生活手段の為に生命を害うようなことはしない、また貧賤にあっても利欲の為に身を苦しめることはしないものだ。 

 5日 あに悲しからずや 聖人の動作するや、必ずその()所以(ゆえん)とその為す所以とを察す」。
     (譲王篇)
之く所以とは、何の為にするのかという目的。
為す所以とは、それを実現する為の手段。
出来た人は、常にバランスを考え、本末転倒の愚を犯すことがない。
現代人は余りにもつまらないものの為に貴重な生命や時間を浪費しているのではないか。
「あに悲しからずや」だ。
 6日 主体性のない相手 君自(きみみず)から我を知るにあらざるなり。人の言を以って我に(ぞく)(おく)る。その我を罪するに至るや、またまさに人の言を以ってせんとす」。      (譲王篇) 主体性のない相手は信用出来ないとの話。あの方は私を理解してくれたわけではない。人から言われて食糧を届けさせたのだ。事情が変化し私を罪に陥れる時でも、やはり人の言葉に動かされてそうするに違いない。
 7日 足るを知る者は 足るを知る者は、利を以って(みず)から(くる)しめざるなり。自得(じとく)(つまびらか)にする者は、これを失いて(おそ)れず。行ない内に(おさ)まる者は、位なくして?()じず」。
     (譲王篇)

足ることを知っている者は、利益に目がくらんで自分を苦しめるようなことはしない。
悠々自適するすべを心得ている者は、かりに財産を失っても苦にしない。
立派な徳を身につけている者は地位などなくても気にしない。
 

 8日 あるがままのいき方

(いにしえ)の道を得る者は、窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ。楽しむ所は窮通(きゅうつう)にあらざるなり」。
     (譲王篇)

窮とは逆境、通とは順境。
どちらの境遇であろうが、「道」と同化しながら、あるがままの人生を楽しむのが有道者(ゆうどうしゃ)の生き方だという。
 9日 士たる者の生き方 (いにしえ)の士は、治世(ちせい)()えばその任を避けず、乱世に遭えば(いや)しくも存することょなさず」。    
    (
譲王篇)
立派な時代に生まれ合わせれば、然るべきポストについて然るべき責任を果たす。然し、乱れた時代に遭遇したら自分に妥協してまで一時凌ぎの生き方はしない。要は、節操を守って生きよとの励ましであろう。 
10日 褒める人間に限って (この)んで()のあたり人を()むる者は、また好んで背にしてこれを(そし)」。
 (盗跖篇(とうせきへん))
面と向って相手を誉める人間に限り、裏に廻ると陰口をたたきたがるものだ。いつの時代にも当てはまる原理原則であろう。だが、誉めるのは人間関係の潤滑油ではある。ただ陰口だけはいけない、回りまわって相手の耳に入り逆効果、叱る時こそ寧ろ本人に向かってしたほうがよい。 
11日 褒める人間に限って (この)んで()のあたり人を()むる者は、また好んで背にしてこれを(そし)」。
(盗跖篇(とうせきへん))
面と向って相手を誉める人間に限り、裏に廻ると陰口をたたきたがるものだ。いつの時代にも当てはまる原理原則であろう。だが、誉めるのは人間関係の潤滑油ではある。ただ陰口だけはいけない、回りまわって相手の耳に入り逆効果、叱る時こそ寧ろ本人に向かってしたほうがよい。 
12日

世の習い

(いず)れか悪、(いず)れか()。成る者を(しゅ)となし、成らざる者を()となす」。
(盗跖篇(とうせきへん))

何が悪か、何が善か、決め手はない。成功者は上座、失敗者は下座に据えられる。現実に機能してする「力の論理」である。勝てば官軍、負ければ賊軍は世の習い。そうしなくては生きて行かれぬからであろう。パワーポリティックスは政治世界だけでなく人間の存在する処は必ずついて廻る。
力のない者は無視されるからこそ声を大にし叫ぶ必要はある。
 

13日 どちらも同じ 小人は財に(じゅん)じ、君子は()に殉ず」。
(盗跖篇(とうせきへん))
小人は財産や利益のためには自己犠牲も厭わない。
君子は名誉や名声の為なら自分の犠牲を顧みない。
どちらも自分を苦しめている点では同じである。
そんな生き方は哀れではないかとなる。
14日 どんな生き方がいいいか

では、どんな生き方が望まれるのか、荘子は、自分の本性を守り、「道」と一体化して虚心に生きるのが理想だという。

@主体性のある生き方。
A柔軟でとらわれない生き方B矛盾しているようだが、本当に主体性のある者だけが、柔軟でとらわれない生き方ができるのであろう。。
15日 俗物の生き方 人卒(じんそつ)いまだ名を(おこ)し利に()かざる者あらず。彼富めば則ち人これに()し、帰すれば則ちこれに(くだ)り、下れば則ちこれを貴ぶ」。
(盗跖篇(とうせきへん))
人卒とは世間一般の人々。金や名誉や地位ができれば人がちやほやし悪い気はしないのが人間社会。
荘子は、そういう連中は、俗世間の価値観にどっぷりひたりきっている俗物なのだという。
志が低く、外に広大な世界があることを知らない田舎者だという。それらを全面的に否定しないが、肝心なことを犠牲にしてまで、それらを追求する価値は無いのだという。肝心なこととは、天から与えられた自分の人生を全うすることである。
16日 道の体得とは (いきお)いは天子となるも(たっと)きを以って人に(おご)らず。富は天下を有するも財を以って人を(あなど)らず」。
(盗跖篇(とうせきへん))
天子のような至尊の地位についても、権勢を笠にきて威張らない。天下の富を集めたような大金持ちになっても、それをひけらかして人を見下すようなことはしない。これが「道」を体得した生き方なのだという。これらは、私には至極当たり前のことで人物を見る基本的尺度にしている。これらは人間の本質的要素ではないからである。
17日 余分は争いのタネ (たい)らかなるを福となし、余りあるを害となすは、(もの)(しか)らざるはなし。(しか)して財はその甚だしきものなり」。
(盗跖篇(とうせきへん))
バランスが取れて過不足のないのが理想、これは人生のあらゆることに該当するのではないか。特に財産についてはそう言える。争いの元は過大財産、子孫に美田を残さずは蓋し至言である。
18日 達人 財積みて(もち)うるなく、服庸(ふくよう)して()かず、満心(まんしん)戚?(せきしょう)し、益を求めて止まず。憂いと謂うべし」。(盗跖篇(とうせきへん)) 財産を溜め込んでも握り締めたまま使うことほ知らず、毎日心が安まる暇がないのにまだ利益を求め続ける。こういう人達は自分を苦しめているようなものだ。一部華僑は、爪に火を灯すように貯めるが、晩年になると郷里とかに学校などを寄付したりするという。そんな人達こそ人生の達人といえるのではないか。
トヨタなど貯めるだけで、公的寄付が少ない大田舎者ではあるまいか。
19日

「人間の(はっ)()」 
その一
(
漁夫篇)
 

人間には次の八つの欠点があるという。(漁夫篇)
@「(そう)」。
自分がやるべき仕事でもないのに、余計な手出しをする。
出しゃばりである。
A「(ねい)」。聞かれもしないのに、しゃしゃりでて意見を述べる。
おべんちゃらである。
20日

「人間の(はっ)()」 
その二
(
漁夫篇)

B「(てん)」。
相手の意に迎合して調子を合わせる。
おべっかである。
C「()」。
是非のけじめなどお構いなしに喋りまくる。
へつらいである。
21日

「人間の(はっ)()」 
その三
(
漁夫篇)

D「(ざん)」。
何かと言えば他人の悪口を言いたがる。
ねたみである。

E「(ぞく)」。
他人を仲違いさせ、親しい者同士を離間させる。
 

22日 「人間の(はっ)()」 
その四
 (
漁夫篇)
F「(とく)」。
悪をほめ善をけなして相手を駄目にする。

G「(けん)」。
善悪お構いなしに愛想をふりまいて相手に(おもね)る。

荘子は「この(はっ)()は、外は以って人を乱し、内は以って身を(やぶ)る」と言った。
23日 四つの欠点 その一

事にあたって、陥りやすい欠点が四つあるという。

(こと)四患(しかん)あり」。
    (漁夫篇)

好んで大事を経み、変更して常に易え、以って功名を挂くる」。
つまり、しばしば重大問題に手をつけたがりやたらに変更して自分の功名手柄にしたがる。

知を専らにし事を(ほしいまま)にし、人を(おか)して(みずか)ら用いる」。

つまり悪知恵を働かしてやりたい放題、他人を侵害して自分の利益を計る。
24日 四つの欠点 その二 過ちを見て(あらた)めず、(いさ)めを聞きて(いよいよ)(はなは)だしくする」。
過失と分かっていても改めようとせず、忠告されると一層むきになり過ちを重ねる。
「人、(おのれ)に同じければ則ち可とし、己に同じからざれば、善と雖も善とせざる」。
相手も自分と同じことをしていれば素晴らしいと誉め、違うことをすれば(けな)す。
四つとも社会人として、まともな人間ではないが、居るように思う。
25日 長幼の序 (ちょう)()いて敬せざるは失礼なり。賢を見て(たっと)ばざるは不仁(ふじん)なり」。
   (漁夫篇)

年長者に会った時、それなりの敬意を表さないのは礼に反する。
近年は日本ではこれが無視されている。
長幼の序の欠けた社会は人間の生きざまを伝えない結果を産んでいる。
不幸である。
長のサイドの至らないのが最も悪いかも。
 

26日 無能なる者こそ 巧者(こうしゃ)は労して知者は憂う」。
(列御寇篇(れつぎょこうへん))
巧者とは駆け引きに長けた人、そればかりでくたびれてしまう。
知者は情況が読めて目先が利き迷い心の安まる暇もない。荘子は続けて「無能なる者は求むる所なく、飽食して豪遊す」と語る。
無能なる者とは道を体得した人、世間に何一つ求めない、腹一杯食べてのんびりと自分の世界に遊んでいる。
27日 正義とは 聖人は必なるを以って必とせず、故に兵なし。衆人は必ならざるを以ってこれを必とす」。

(列御寇篇(れつぎょこうへん))
必とは「道」と合致した絶対の真理。聖人はその真理でも固執しないから戦争まで行かぬ。世間は、相対的な真理でしかないのに絶対的真理として固執するから常に争いになってしまう。
戦争とか争いは自分の正義の衝突である。だが所詮、その正義も相対的なものだが絶対的と捉えてしまう、愚かなものだ。聖人は柔軟に処世ししなやかに生きてゆく。
 
28日 人間鑑別法 人の心は山川(さんせん)よりも(けわ)しく、天を知るよりも(かた)」。

(列御寇篇(れつぎょこうへん))

天は春夏秋冬、朝昼晩とあるが人間は容貌を飾り心の中を外に見せないから、天を知るより人間を知るのは難しい。
だが、そんな人間でも相手を見分ける方法があると荘子はいう。

@。遠方で仕事をやらせてみて、忠誠心を試す。
A近くで仕事をやらせて相手の人柄を観察する。
B面倒な仕事を担当させて能力を試す。

C思いがけぬ質問をして見識を試してみる。

D慌しく約束を取り交わしてそれを守るかどうか試す。

Eお金を与えてみて、どの程度の思いやりがあるか観察する。

Fピンチに陥ったことを知らせて節操を試す。

G酒に酔わせて社会人としてケジメのつけ方を観察する。
H女と一緒にしてみて、どの程度の色を好むか観察する。
29日 上になるほど謙虚に 正考父(せいこうほ)(いち)(めい)せられて()し、(さい)(めい)せられて()し、(さん)(めい)せられて()し、(かき)()うて走る」。
(列御寇篇(れつぎょこうへん))
正考父は孔子の先祖、彼は、最初の拝命には、せむしの如く背中をかがめ。
次の拝命で上級官吏となると一層低く背中をかがめ、三度目の拝命で重役に抜擢されると、顔を伏せたまま人目を憚るように垣根沿いに足を急がせた。
地位が上る程、身の処し方を謙虚にしたのである。
「実るほど頭の垂るる稲穂かな」は金言である。
30日 荘子的処世法 (きゅう)八極(はっきょく)あり。(たつ)三必(さんひつ)あり」。

(列御寇篇(れつぎょこうへん))

栄達の条件となるものが三つあるという。

@自分に固執しないで相手の意向に従っていくこと。

A対象世界に調子を合わせて無理をしないこと。

B臆病者の精神に徹し慎重を旨とすること。

「窮地に立たされる原因」。八つ。美点や長所だが却って窮地に立たされるという。

@「()」、姿が美しいこと。
A「(ぜん)」、立派な髯をたくわえていること。
B「(ちょう)」、上背(うわぜ)があること。
C「(だい)
」、恰幅がよいこと。
D「(そう)」、威勢がいいこと。
E「(れい)」、華々しいこと。
F「(ゆう)」、勇気があること。
G「(かん)」、決
断力に富んでいること。

31日

不平(ふへい)を以って(へい)にすれば、その平や不平、不徴(ふちょう)を以って(ちょう)すれば、その徴や不徴なり」。

(列御寇篇(れつぎょこうへん))

不公平な気持ちで公平に物事を扱おうとしても、その公平さは本物ではない。
荘子は、道と一体化し道の持っている広大無辺な徳を体得する以外にないという。道は無としかいいようがない。これが無いと万物は成り立たぬ。それ程の大きい働きながら、その在り方たるや極めて謙虚、いささかのえこ引きもない。だから道と一体化すれば本当の公平となるという。人間の知恵とは、所詮、相対的なものに過ぎない。絶対的な基準は道に則るしかないのである。