゛醒考゛新・鳥取市

 

はじめに)

 

醒考などと言う熟語はない、私の造語である。醒めた眼での考察と言う程度である。

T)現状認識と基本的スタンス

 

@経済合理性

鳥取の名門文芸誌に初登場の愚生がノッケカラ、文芸と全くお門違いの言葉を掲げてしまったのは理由がある。釈迦に説法に違いないが、私の性癖として、問題の本質的なものに触れたいのである。物事には表面的な現象と本質とがある。この市町村合併に関して最も大事な経済的側面がボカサレているように思えて仕方がない。

 

A企業合併との類似性

バブル崩壊後、多くの思いもかけぬ大企業が淘汰されて退出し消え失せた。民間企業の経済活動には必ず利益目標があり、費用対効果の面で企業活動に合理性が欠けると、何時の日にか必ず破綻する。これを経済合理性と言い、企業活動には絶対不可欠な最重要テーマである。市町村合併に、このテーマが無関係であろう筈は無い。隠された最高の問題の筈だと思うのが本件に関する私の基本的スタンスである。

 

Bパラダイムの大変化に遭遇の公的機関

天下泰平なる時、経済合理性が欠けても全く動じないのは公的機関のみであろう。その公的機関でも、四半世紀から半世紀内には、社会とか経済のパラダイムの激変が到来して、瓦解に直面するのは歴史が証明している。イデオロギー漬けのソ連の共産主義国すら、70年間の大実験は失敗に帰した。結果は人間性の荒廃と経済破綻のみ残して崩壊した。物事には永遠不朽なものは在り得ない。あのローマ帝国すら、ましてや、日本など、世界の屋台骨を揺るがす程の金融、経済的大成功を収めた敗戦国が、冷戦終結後、世界のヘゲモニーを握る主要国から、国際経済支配原則の尺度変更を陰に陽に余儀なくさせられたのは当然であった。その調整過程がこの10年の米国に仕組まれたバブル崩壊であり、日本の浪費であり、その結果が国債・地方債激増による国家財政悪化である。その行き着く究極のゴールは、半世紀の間に累積された経済合理性の矛盾の露呈であり、破綻であり、その結果が市町村合併であろう。バブル崩壊による民間企業の破綻を嚆矢として、最後に公的機関に押し寄せてきたのだ。究極の終末は国家の破綻である。その事前対応策が市町村合併問題と見る。企業合併同様、本質的には後ろ向きな要素が核心である。市町村合併により、累積された過去の矛盾を解放しようとしていると見るのが問題の本質ではないか。

 

C市町村合併と並行してなすべき事

要するに、市町村合併は、企業合併同様に、市町村の破綻回避、或いは合理化であろう。元々は暗い話なのである。現実に、被合併町村の町村長、議員、役場職員は大幅に減少するであろうし、叉しなくてはならぬ。公的機関の親方日の丸が遂にダウンして、支配原理である経済合理性が半世紀を経て漸く貫かれようとしているに過ぎない。

ここで、わが国が過去に、かかる事態にどう対処したのか。

先ず、頭に浮かぶのが明治維新である。あの時は、既存のエスタブリッシュメントである武士階級が300年の特権を自ら放棄することにより事態が一挙に打開され先進国への道を大きく歩みだした。徳川慶喜将軍の大英断で大権返上、官を筆頭に民も同様な大変革を自ら英断し、遂に無血の維新に成功した。

これを現代に適用せよ、というのが私の救国策であり持論である。現代の身分保障のある職業と言えば公的分野のみである。いわば、往時の武士に相当する現代のノーブレス・オブリージュである。現今のような、国難的財政の時には、税金に依存して成立する公的分野から、抜本的大改革をなすべきなのである。本来、これが唯一最善の取るべき方策と断ずる。市町村合併を断行する前提として、国会議員の半減的大改革をなさねばならないと先人は教えている。大国、米国人口は日本の倍、議員は日本の半分である。従って、日本の国会議員の半減要求には合理性が十分ある。そうでなくては、市町村合併も、特殊法人改革も、魂の入ったものにならないと確信する。国民は、これを声を大にして叫んでいいのではないか。我々は、これを決して忘れてはならないと思う。

D成長率余談

経済成長は人間に富を与える。経済成長率に関して、出処は忘れたが記憶がある。キリスト出生から1920年迄の、人類の経済的成長率は、年率0.6パーセント程度だと聞いた。戦後早々の日本は年率810%は普通であった。中国は現在8%程度。如何に戦後日本人の富が激増し増殖が素晴らしいものであったかが分かる。処が人口減少過程に2004年から入るが、将来どうなるか。一定の時期になると、過去の経験にないスパイラル的な縮小均衡プロセスが始まるであろう。これは想像を絶する社会、経済、金融、農業、財政などあらゆる局面で劇的に起きてくるものと思われる。国民の生活の便宜は殆ど整った。それも財政力を無視した横並びの開発であり給付金の支給であり、大借金だけが残り市町村の倒産は時間の問題となったのだ。民間部門は不採算部門を切り捨て、人員大整理で対応している。生存をかけているのは民間部門だけである。公的部門は無神経であり、こんな国家は先進国にはない。しかも、共産国の人口7億人の市場経済参加で日本には過去のような高度成長は有り得ない。日本は崖淵に在る事を先ず銘記すべきである。国家も地方も縮小均衡は必然である。感情的に成り易い地域エゴと住民意識にとらわれず、小異を捨て未来を見据えた大局に立った企画と子々孫々に過大な債務を残さないという断固たる先見性が必須である。

 

U)次世代こそ合併構想の主役たれ

 

@ バブルの崩壊と北朝鮮拉致問題で、日本人も遂に国家あっての国民だとの正気が復元し自己を見つめ直しつつある。戦後歴史のバブル現象が消滅して行く過程にある。

 

A戦後復興に大貢献した世代は早やこの世を去りつつある。その成功世代は経済的大成功の陰に、日本のアイデンティティに係る、放置し難い負の遺産を次世代に残したままであり大きく傷つけてしまったものがある。

 

A せめて、新しい日本の未来は、未来に責任のある次世代の若い方々に企画・構想・実行を遺憾なく発揮して貰いたいと私は心から思う。戦後の成功体験のある、老人の出る幕ではないと信じている。明治維新も実に若い志士が開国に命懸けで力を発揮した。次世代が、21世紀の新日本開国の理想に燃えて存分に力を発揮すべきだと思う。人口も減少過程が始った、未来の有責者が思いっきりの企画展望をして実現しなくてはならない。やがて道洲制へとリンクしなくてはなるまい。小さい、過去に囚われた発想では打開できない。若い方々の厳しく真剣な思考をこそ求めたい。日本国は地方から変革の大波が起きて国家を変えてきた。本問題に関しても、情熱溢れる若い志士の出現を心底から望むものである。甘い幻想を捨て、問題の本質と真実を直視することから始めなくてはならぬ。 

平成1581日    

鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典