時には文学を その三

時には文学に触れて心を癒したいと思う。

平成27年4月

1日 土佐日記 ここらで土佐日記に少し触れてみたい。初めての男性による仮名文字の日記である。平安時代、男性は漢字、女性は仮名を用いた文章であった。紀貫之が土佐を出発して京都に着くまでの55日間の旅日記である。これが仮名文字文学隆盛の先駆けとなったのである。
2日 冒頭部分 冒頭部分である、()とこもすなる日記といふものを、()むなもしてみんとてするなり。それ()のとしの(師走)はすの(二十日)つかあまり()ひと()()のひのいぬの()とき()に、かど()()す。そのよし()、いささかにものに()きつく。
これは口語訳しなくては分からぬであろう。
3日 口語訳 「男も書くと聞いている日記というものを、女のわたしもやってみようと思って書くのである。ある年の12月21日の午後8時頃に、わが家を出発する。そのいきさつを少しばかり紙に記録しておく」。
4日 冒頭部分原文の続き あるひと、あがた()よと()()いつ()()はて()て、れい()のことどもみなし()へて、げゆ(解由)などとりて、すむ()たち()よりいでて、ふね()のる()べきところへわたる。かれこれ、しる()しら()ぬ、おくり()す。としごろよくくらべつるひとびとなん、わかれ()がたくおも()ひて、日しきりにとかくしつつ、ののしるうちに()ふけぬ」
5日 口語訳 口語訳は
「ある人(自分)が、国司としての地方勤務の四年か五年の任期が終わって公務引継ぎのおきまりの事務をみなすませて任務終了の公文書などを受け取って住んでいる官舎から出て、船に乗ることになっている所へ行く。あの人やこの人、知っている人も知らない人もみな見送りをする。この数年来ごく親しくつきあい互いに信じあってきた人々は特別に別れづらく思って、その日は一日中始終あれこれしながら騒いでいるうちに夜がふけた」。
6日 仮名は日本進化の要素 貫之の率直な心情の表現には漢文よりも仮名書きの和文が相応しい。この事は、漢字は人間の情緒の伝達に不適格ということなのである。現代の中国人が漢字により進化・進歩を妨害されている背景がこれで理解できる。日本人は、仮名とかカタカナの発明により漢字の持つ固有の束縛を脱して今日の繁栄に繋がったと理解してよいのである。
7日 後世に大きい影響を残した紀貫之 紀貫之は早くから歌人として名をなし当時の第一級の歌詠みである。古今集の撰者であり、仮名文字も使用して仮名序をものすなど洗練された先進的なお人柄のようである。和歌が漢詩と対等だという認識でありその主張をした方で後世に大きい影響を残したと言える。
8日 土佐物語は任期を終えて京へ帰る道中日記、その嬉しさ、人々との別れ、船旅の不安、そして全編を流れているのが土佐で生まれて直ぐ亡くなった娘への思慕である。
9日 春はあげぼの
枕草子
今、三月から四月、春である。春となると、「春はあげぼの」の言葉を思い出す。それは枕草子であり清少納言だ。枕草子 長短さまざまな300段に及ぶ、わが国最古の随筆集であり源氏物語と並び称される女流文学の最高傑作である。宮廷生活での見聞や感想を歯切れのよい文章で綴り鋭い感覚を見せている。
10日 春はあけぼの 第一段 春はあけぼの 第一段
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎわ すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
11日 秋は夕暮れ 秋は夕暮れ。夕日のさして山の()いと近うなりたるに、(からす)の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の()など、はたいふべきにあらず。
12日 余韻と情趣 なかなかとても表現の雰囲気がいい。繊細な観察と「をかし」「あはれ」など余韻と情趣あり、日本人の故郷に帰りし思いがしてくる。
13日 口語訳 でも、一応の口語訳を果たしておこう。
「春は夜明けがよい。次第に白らんで行く山頂辺りの空が、ほんのりと明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている光景は素晴らしい」。
14日 「夏は夜がよい。月の出ている所は言うまでもないが、闇夜でも、やはり虫がたくさん飛びかっているのは良いものだ。また、それがほんの一つ二つだけ、かすかに光りながら飛んでいるのは風情がある。雨などが降るのも趣があるものだ」。
15日 「秋は夕暮れがよい。夕日がさして、山ぎわに近づく頃に烏が寝ぐらへ帰ろうとして三羽、四羽あるいは二羽三羽と、せわしげに飛んでゆく姿までが、しみじみとした秋の風情を感じさせる。まして、雁などが列をなして飛んでゆくのが、たいそう小さく見えるのは実におもしろい。日が沈んでしまって、風の音や虫の音などが聞こえるのは、また言うまでもなく趣の深いものである」。
16日 清少納言はどんな女性か この感性溢れる清少納言はどんな女性であったのか調べて見た。生没年は不明、平安時代中期の方、清原元輔を父として生まれた。元輔は三十六歌仙の一人「後撰和歌集」の撰者の一人で当時を代表する歌人であり漢学者であった。このように家柄に育った清少納言は幼い頃から和歌や漢詩文などの素養を身につけて成人している。
17日 清少納言の清は清原の家名を表わし、「少納言」は父元輔の官名を示している。実名は不明とされている。正暦四年、993年頃、27-8才のとき、関白藤原道隆の娘で一条天皇の中宮(ちゅうぐう・)定子(ていし)に仕えている。その豊かな教養と優れた才知により定子に愛されている。十年程度宮仕えを続けたと思われている。その間の体験が枕草子の主たる素材となっている。晩年の消息は不明とされている。
18日 草子の由来 草子の成立は長保三年、1001年頃とされている。署名の由来は、多々説がある。「枕」は身の回りま記録、「草子」は綴じた本を意味とする説が有力とされている。
19日 枕草子の内容

類集的な段
凡そ三百余りに及ぶ長短さまざまなの段から成る大随筆集である。三つに大別される。
一、類集的な段
 「ものづくし」と言われる文章、自然とか生活に関しての印象、感想などを書き綴ったもの。「山は」「池は」「河は」などの地理的なもの、「鳥は」「馬は」「猫は」などの動植物についてのもの、「にくきもの」「うつくしきもの」などの精神的なものがある。
20日 随想的な段 一、随想的な段
 自然美、人生観など、多方面のわたる作者の感想や評論を書き綴ったもの。「春はあけぼの」け「正月一日は」「五月ばかりなどに山里にありく」などがある。
21日 日記的な段 一、日記的な段

 宮廷生活を背景として作者自身が体験したこと、見聞したことを日記風、回想風に書き綴ったもの。「うへにさぶらふ御猫は」「雪のいと高う降りたるを」などがある。

22日 にくきもの

では、「にくきもの」第二十八段をご披露する。

ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声(ほそごえ)にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風さへその身のほどにあるこそいとにくけれ。

23日

きしめく車に乗りてありく者。耳も聞かぬにやあらんといとにくし。わが乗りたるは、その車のぬしさへにくし。また、物語するに、さし出でしてわれ一人さいまくる者。すべてさし出では、童も大人もいとにくし。あからさまに来たる子ども・童も大人にいとにくし。あからさまに来たる子ども・童を、見入れらうたがりて、をかしき物とらせなどするに、ならひて常に来つつ、ゐ入りて調度うち散らしめぬし、いとにくし。 

24日 口語訳 眠たいと思って横になっていると、蚊がかぼそい声で情けなさそうにブーンと鳴いて顔の辺りに飛び回る。羽風までもがそのからだ相応にあると言うのが実ににくらしい。ギシギシときしむ牛車に乗って行く者。その音が聞こえないのであろうかと全く嫌になる。そんな車に自分が乗った時には車の持ち主までもが憎らしい。また話をするとき、出しゃばって自分一人で喋りたてる者。だいたい、出しゃばりは子どもでも大人でも、ひどくにくたらしい。ちょっと遊びに来た子供や童たちに、目をかけかわいがって、喜びそうなものを与えたりなどすると、慣れてしまって、いつもやってきては家に上がりこんで身のまわりの道具類を取り散らかしてしまうのは、なんともにくらしい。 
25日 うつくしきもの

なかなか面白い、現代の人間の真理や感覚と少しも変らない。では、第百五十一段 

うつくしきもの
うつくしきもの。瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、(ねず)()きするにをどり来る。二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひ来る道に、いとちひさき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる(および)にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。(かしら)尼剃(あまそ)ぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきて物など見たるも、うつくし。

26日 口語訳

かわいらしいもの。瓜に画いた幼児の顔、雀の子が、人がねずみの鳴き声をまねてチュウチュウと呼ぶと、飛びはねながらやって来る様子。二つ三つくらいの幼児が、急いではってくる途中で、ごく小さい塵のあったのを目ざとく見つけて、とてもかわいい指でつまんで、大人などに見せている様子は、たいそうかわいらしい。髪はおかっぱの幼女が、目に髪のたれ下がっているのをかきやりもしないで、首をちょっとかしげて何かを見つめているのも、かわいらしい。

27日 第二百二十三段

五月ばかりなどに山里にありく 第二百二十三段

五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、ながながとただざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などのあゆむにはしりあがりたる、いとをかし。

28日 口語訳

五月のころなどに山里に出かけるのは大変楽しい。草の葉も水もたいそう青々と見渡されて、表面はなに変わったところもなく草が生い茂っている場所を、どこまでも真っ直ぐに牛車を進めると、草の下はなんとも言えずきれいな水が、深くはないが溜まっていて、従者などが歩くにつれて足もとから水しぶきが上がるのは実におもしろい。

29日 日本人の感性

この文章の意味合いはさることながら、表現が、実にやさしい、女性的視点ではあるが、幼児がはいはいしながら、畳の上の小さいものを小さい可愛い手でつまむしぐさなどは私自身も経験のあることであり、日本人の感性だなと痛感し感激する。もう一段、引用したい。

30日 第二百九十九段

雪のいと高う降りたるを 第二百九十九段

雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みこうし)まゐりて、()(びつ)に火おこして、物語などして(あつま)りさぶらふに「少納言よ、香炉(こうろ)(ほう)の雪いかならん」と(おお)せらるれば、御格子あげさせて、御簾(みす)を高くあげたれば、笑はせ給ふ。人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」といふ。

31日 語訳

白居易の漢詩にある、香炉峯の話をしらねば理解できない、口語訳をしたためる
「雪が非常に高く降り積もったのに、いつになく御格子を下して囲炉裏に火をおこして世間話などをして女房たちが集まり控えていた時、中宮さまが「少納言よ、香炉峯の雪はどんなでしょうね」と仰ったので、御格子をあげさせて、すだれを高く巻き上げた処、にっこりお笑いになる。女房たちも「そういうことは誰も知っているし、歌などにも詠むけれども、咄嗟には思いつきもしませんでした。やはりあなたは、中宮さまにお仕えする女房としてふさわしい方なのでしょう」と言う。