徳永圀典の「比較日本文明論」 その二

10.足の文化 
次は、では日本人と「足」はどうなるのかとなります。農耕民族の日本人は手でした。大平原を彷徨う狩猟民族は健脚でなくてはならぬ「足」です。サッカーは足で球を蹴りますが元々はフットボールから進化したのです、フットボールの起源はイギリスです。彼らにとり足こそ生活の基礎、健脚でなくてはなりません。だから足のスポーツが盛んです。

「足」の文化です。彼らは、長さの単位を、フィート、フットと足で測ります。

日本では、両手を広げて、一(ひろ)、二尋と言いまして、手の指の長さで一寸、二寸と測ります。      

自転車のブレーキも日本では「手」でかけますが、彼らは「足」でかけます。

日本は、手をマメに動かして「手で稼ぐ」民族ですが、彼らは「足」でマメに歩いて「足」で稼ぐことになります。大平原では、いくら手を動かしてもカネにならないからです。彼らは「足が早い」、我々は「手が早い」。こちらが「手柄」を立てる時に、彼らは「足柄」をたてる。こちらが「手拍子」で「手踊り」するのに、彼らは「足拍子」です、即ち、タップやフラメンコをせわしく陽気に踊る。

日本の祭りでは、佐渡おけさ、阿波踊りでも「手踊り」が中心ですが、西欧のダンス、バレエ、宝塚や日劇ダンシングチームの出し物は脚線美の芸術です。これが「手で舞う」のと「足で踊る」のとの違いです。

こちらが「手がかり」をつける時、彼らは「足がかり」をつける。お手並みと足並みの違い、「手軽」を尊ぶ習性と、「足軽」を尊ぶ習性の違いとなりますか。日本人は狭い土地で暮らすので「手をまめに動かして」たやすく行動する。よい意味で手軽を使う。しかし、ちょこちょこと、手軽に歩き回る人のことを「足軽」と申して身分の低い者として軽蔑する。足の文化ではないのですね。

日本人の下駄

日本人だけが下駄を履きます。靴と下駄の文化の違いは決定的です。広い大地をダイナミックに移動するためには、靴でなくてはできません。下駄は長距離の歩行には無理、村の中の移動、土と泥の風土に最適な履物です。

欧米人は靴は一日中履いている。家の内外を問いません。なかば身体の一部のようです。だから足と体の生理のファッションとして靴への関心は極めて高い。靴専門ドクター、foot surgeon という足の専門の外科医もいる。靴の処方箋を書く、最適な靴処方箋を作る。洋服を替えるように好みの靴に履き替える。日本人は靴一足で通勤もパーティも使う。靴の字を分解しますと、革が化ける、まさに牧畜民族の所産であります。

下駄は植物の多い日本ならではのものです。湿った日本の土地では、足が土から離れるほど快適だからです。日本の家屋と縁があるのは風を通すため、神社が高い階―きざはしーがある高床式と共通する風土の知恵の所産でありましょう。

明治以降、全国的に水虫が大流行したことがあるらしい。靴を履きだしたからです。下駄は健康を維持する快適な健康履物、日本的な発明品であります。日本生まれのスポーツ、相撲と柔道が素足なのは四股を踏んで足指に力をこめるからだ。

明治初期、生物学者のモース先生は、日本印象記の「日本その日、その日」という書物に下駄に注目して書いている。                    初めて横浜の宿屋に着いた、朝、目を覚ますと外が何となく騒がしいのに気づく。窓を開けてみると、そこに不思議な光景があった。人々は下駄という奇妙なものを履いて、カラン。コロンと音を立てて歩いているではないか。先生は早速「日本人はリズミカルな国民だ。歩きながら優雅な音楽をかなでている」とメモした。理学博士の寺田虎彦先生には、「下駄の生理学」「下駄の力学」という身近な所に研究テーマを見出して科学的に興味深い下駄の論考をされています。

下駄箱のない欧米の家庭            欧米には下駄箱というものがない。モース博士も感心した。日本だけの現象です。土と泥の風土の日本では、履物は必ず玄関で脱ぎ下駄箱に入れて座敷に上がる。泥のついたまま相手の座敷に上がるなど侮辱であります。内と外を玄関ではっきり区別する。欧米人は乾燥した石の上で暮らす、土足のまま家に入る。ベッドで初めて脱ぐ。彼らはクローゼットの中に洋服と靴を格納する。日本の畳はベッドだと彼らはわからない。余談だが、玄関の整理整頓の風景、また来客が玄関を上がる時、靴の揃え方で教養、育ちが歴然と判別する、それで人間が判定できるのです。揃えて上がらねばいけませんね、いい年して脱いだまま上がつている人がいる、育ちが一発で判明する。これでは一流と交際の必要な大組織内では幹部にはなれない。下駄箱生活は、日本古来からの最高の美俗です。清潔民族の誇りでもあるのです。

足の民族の風景                足の民族の姿勢動作には「立つ」ことは苦痛ではないようです。立食パーティ、立ったまま討論会、これは日本人には苦手。                座る生活の日本人には古来より「立たされる」ことは苦痛、だから、記憶がありますでしょ、小学校とか中学校では、罰として廊下に立たされた。足の民族は、走る、キックするサッカーやラグビーが得意なのです。日本には、広い広場はなかった、勿体ないから田とか畑にしていた。私の子供時代の記憶でも子供の時は神社の忠魂碑広場程度で遊んでおり行動半径は狭かった。

手の文化の民族は、内へ内へと内向的でした。足の文化の民族は、フロンティア精神が旺盛で、パイオニア精神に富む、外向的です。ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住するや、開拓馬車を連ねて西へ、西へと前線を伸ばし西部開拓しは名を馳せたが原住民は追いやられ多く殺された。美名の西部開拓は原住民は惨殺され侵略そのものです。僅か100年の間に5000千キロ居住権を拡大してしまった。侵略です。

もし、日本民族がアメリカ東海岸に辿り着いたら、どうしたでしょうか。その場所の環境下で最適に生きる手立てを考案し手作業で定住したでしょう。日本人は馬車を明治の初めまで知らなかったのですから。彼らは馬車から汽車、自動車、航空機を発明し全世界を一挙に制覇してしまったのです。足の文化だからでしょう!!

21世紀は手の文化の時代

つらつら観察しますに20世紀は足の文化が勝っていた、だが21世紀は「手の文化」ではなかろうかと思える。世界中各民族自立の時代です、19-20世紀のように無人の場所は無いし、他民族を侵略し領土拡張はできません、まあシナがやっていますが・・。夫々の国が自国の文化に目覚め最高の生き方を求めるしかありません。つまり外向的より内向的な「手の文化」の時代ではないでしょうか。

定住農耕文化の日本では、重いこと、動かぬことが尊く重く見られてきています。重要、貴重、重臣、重役、重視、慎重、鄭重、重厚などなど、全て「重」の字がついています。

これに対して、軽いもの、動き回るものは、軽蔑、軽薄、軽率、軽挙妄動などなど、軽いことを軽蔑しています。手に対して、「足軽」、「蛇足」「下足」などバカしていますね。

では、「足」の民族はどうか、ヨーロッパは、物資、原料、商品を自分の国へ持ち込む、輸入、インポートすることが最重要と考えます。彼らはコロンブスのアメリカ大陸発見以来、自国の資源の貧しさから、船で世界中に出かけてゆき侵略し、珍しいもの、貴重なもの、美術品等々、手当たり次第に略奪し、取り込む、インポート輸入する、自国を富ませる人を偉大な人、即ちベリ・インポータント・パーソンと呼ぶわけですね。大英博物館は多くはそのような略奪品が陳列してある。英国王室はね先祖が海賊であることわ誇りにしています。罪の意識が全く無いわけです。欧米人は500年間に亘り、世界中を植民地にして略奪し続けた習性から今でもVIP―ベリ・インポータント・パーソンに何の疑問を持たない。

21世紀は、だから「手の文化時代」であります。生物学的にみて、手の文化は、足の文化より進化した姿といえます。手こそ日本経済、社会発展の源泉なのです。

教育は「知育」「徳育」「体育」ですが、もう一つ「手育」を加えるべきであります。手の器用な子供は、学校の成績が良いことも事実であります。

                       徳永日本学研究所 代表 徳永圀典