安岡正篤先生「東洋思想十講」
      第六講 仏教について()


大・小乗の誤解俗説--独坐(どくざ)大雄(だいゆう)(ほう)不昧(ふまい)因果(いんが)

1日 独坐大雄峰 以上で根本仏教の何たるかを一通りみてきたわけでありますが、八正道だの、十纏だのと言うと自ら仏教通を以て任ずる人々の中にも「そういうものは小乗であって大乗ではない。八正道などに捕えられておっては人間は伸びない」などと言う人が随分おりますが、これは大きな間違いであります。小乗なくして大乗なく、大乗は小乗を通じてあるのです。小乗を無視した大乗はそれこそ無慚(むざん)無愧(むき)なるものであります。最後に「独坐(どくざ)大雄(だいゆう)(ほう)」と「不昧(ふまい)因果(いんが)」、「不落(ふらく)因果(いんが)」に叉ちょっと触れておきたいと存じます。
2日 無門関問答

これは「無門関(むもんかん)」にある名高い問答で、禅の公案にもなっておるわけでありますが、現代の我々に非常な反省と自覚を与えるものでありますから時々思い出されるのです。中国の六朝時代は、三国が終わって晋が興り、その晋が衰えて江南に逃れるなど興亡を繰り返したために、北支一帯が大変乱れたのですが、人々は時代の悩みからの解脱の道を教養、思想、信仰といった方面に求めたものですから、独特の文化が大層盛んになりました。

3日 百丈和尚

その六朝の一つ、「梁」の武帝の時に達磨が伝えたのが「禅」であります。そして禅はその後、隋・唐と発展してゆくのでありますが、それまでの禅はまだ宗教としての組織形態を持たず、道観(道教の寺院)や山紫水明の静寂境で自由に思索や修行をしておりました。それが唐代になって一つの教団を形成するに至りました。その教団化に伴う体制を樹立したのが百丈和尚であります。この問答は無門関の外に「(へき)厳録(げんろく)」にも出ております。

4日 如何(いかん)が是れ奇特(きとく ある時、百丈和尚の所へ一人の雲水がやって参りまして、「如何(いかん)が是れ奇特(きとく)のこと」、近頃何か変わったことはありませんか、と訊ねました。奇特(きとく)という語に別に深い意味はありません。これは当時の中国の俗語で、少し変わったこと、珍しいことという意味です。和尚曰く。「独坐大雄峰」、俺がこうしてこの大雄山(百丈山の別名)に坐って居る、これぐらい変わったことはないではないかと云われた。いとも簡単であります。
5日 悟るということは

考えてみると、お互いがこうして偶々この講堂に集まってお話をし叉それを聞くと言うのは、考えれば考えるほど、奇特(きとく)なことであります。やろうと思ってもやれることではありません。悟りなどと言うと、俗人の知らない素晴らしいこと、何か変わったことのように思い勝ちでありますが、それはとんでもない間違いです。悟るということは、人間の最も人間的な、最も変わらない、確かなことを把握することであって、別に変わったこと認識することではありません。然し、錯覚を起している人間は中々口で言うてもわからない。

6日

そこで、ぴしゃっと、活を入れるわけです。この頃流行の語で言うと、所謂ショック療法というものであります。これが禅において特に発達したわけでありますが、百丈和尚はそれの達人でありました。

7日 老人の話

その百丈和尚の説法の座にいつも謹んで聴聞している一人の老人がおりました。或る日、説法が終わって聴聞の人達がみな帰ってゆくのに、その老人だけが一向に席を去ろうとしない。かねて和尚も老人に目をつけていたので「何か用か、お前さんは一体何者だ」と尋ねました。すると老人は実はかくかくと次のような話を始めました。

8日 不昧因果

私は本当は人間ではありません。この裏山に住む狐でございます。昔、私が修行しておる時に一人の雲水から「大修行をしたものは「不昧(ふまい)因果(いんが)」、因果の法則に支配されないものか」と()かれました。 (例えば、火中に入れば火傷する、水中に落ちれば溺れる、これは当然の因果関係であります。然し大変な修行をしたものは、そういう因果の支配を受けないで火傷もしなければ水にも溺れない、というような奇跡があるものです。雲水はその事を言うておるわけであります。)

9日 野狐

そこで私は、「その通りだ。大修行をしたものは因果の支配など受けるものではない」と答えました。そのために、とうとう野狐の身になって五百年後の今日も未だ解脱できずにおります。話し終わって老人は改めて百丈和尚に向かって「そこでお尋ねしますが、大修行をしたものは因果の法則の支配を受けるものでしょうか、受けないものでしょうか。」と()きました。和尚は、これを聞いて言下に「不昧(ふまい)因果(いんが)」因果を(くら)まさずと答えました。

10日 善因善果
悪因悪果

つまり善因(ぜんいん)善果(ぜんか)悪因(あくいん)悪果(あっか)で、善事を行えば善果を得、悪事を働けば悪果を得るのは当たり前のこと、それが本当の因果というもので、非常な修行をした人ほど真の因果をはっきり覚るものであると云うことです。老人はこの一語を聞いて脱然として去ってゆきました。この問答にはまだ後があるのですが、それほど問題ではなくこれで十分であります。

11日

我々の悟りも自覚も文明も全て一連のものでありまして、要するに不昧因果ということに外なりません。人間を支配し、生活させ、存立させ、進歩向上させることが因果の法則でありますが、その因果の法則を昧まさずに解明し、実践してゆくのが()(どう)であり、道徳であり、学問であり、文化であります。

12日 不落と不昧

そこに不落(ふらく)不昧(ふまい)の相違があり、禅の一つの妙諦(みょうてい)もあるわけです。不昧という語は人の雅号になり、日本文化になり、指導階級はもとより、庶民階級にまで浸潤して行っておるのでありまして、日本の民族文化、民衆文化というものは誠に豊かであります。こういう伝統文化を粗略にして次第に失ってきておると言うことは現代の惜しむべき損失であり、弊害であります。従ってこれを回復かることが我々の存在、文化を救う最も大切な条件であるということが出来ます。

第七講 儒教について()

13日 聖人の出世

ここ数時に亘って、仏教の根本原理を我々の実生活に即して解説して参りましたが、一応仏教はこれで終りまして、本日は更に話を進めて儒教にはいり、なるべく学究的な講論は避けて、皆さんの教養に役立ち、しかも興味深い点を解説して参りたいと存じます。

14日

儒教は申すまでもなく端を孔子に発しますが、孔子と言えば直ぐ思い出すのが釈迦、ソクラテス、キリストの、いわゆる世界の「四大聖人」であります。しかも、この四人は、キリストがやや後れて生まれておりますが、後の三人は殆ど同時代であります。そして三人の中では、従来久しく、釈迦が一番先輩で、孔子、ソクラテスの順だと言われておりました。

15日 奇特なこと

然し、ごく最近の釈迦の研究から時代考証が少して、孔子が一番早く、その死後約10年ほど経ってソクラテスが更に10年ほど後に釈迦が生まれたという説も出で参りました。いづれにしても、この三人が相前後して世に出たということは世界史上まことに奇特なことといわれなければなりません。

16日 偉大なる生の学問

まあ、それは措いて、孔子の儒教というものを一言で申しますと、「偉大なる生の学問」ということができます。儒教の一つの代表である「易」に「天地の大徳を生と曰ふ」、「生々之を易と謂う」という有名な語があります。正に、生は天地創造の営みであり、天地の大いなる徳であります。その天地の大徳である生の限り無き営み「「易」というのです。

17日 生の道の厳粛な理法

今日の科学も、天地自然の大きな創造をいろいろな分野から解明しているわけでありまして、いわば天地の生々の研究であります。儒教の本質はこの天地・人間を通ずる生の道、生の徳を解明して、その厳粛な理法に則って思索し、実践してゆくところにあるのであります。

18日 人生五計

例えば、先哲の語に「人生五計」ということがあります。人間を含めて一切の生き物は天地の大徳を享けて生きてゆくわけでありますが、それを人間として、或は自己の問題として捉えます時に、大きく五つに分けて考えることができます。

人生の計
19日 人生の計
第一
「生計」
第一は、「生計」。我れ如何に生くべきかということであります。普通、生計と言うと暮しの意味、経済的な意味に使われますが、この場合はもっと大きな本質的な生き方のことであります。
20日 第二「身計」

第二は「身計」。如何に身を立てるか。今日で言うと、我々の社会生活の仕方・在り方ということになります。

21日 第三 「家計」

第三は「家計」。家庭というものを如何に営んでゆくか、維持してゆくかということです。

22日 第四「老計」

第四は「老計」。如何に年をとるか。我々は否が応でも年をとり老いてゆきます。形態的・肉体的に永遠の青春というものは有り得ないのです。この問題に対して世間一般の人は殆ど何も考えておりません。考えていても、せいぜい貯蓄するとか健康を維持することぐらいでありますが儒教はこれに対する思索・学問の該博・深遠なことは本当に驚くべきものがあります。

23日 第五「死計」

第五は「死計」。われ如何に死すべきやという問題。これについても儒教独特の深い意味があります。死計に対する思索の最も発達しているのは仏教でありますが、儒教にはまた儒教で仏教とは異なった深遠な興味津々たる思索・実践があります。

24日 「易」が、生の道

これが人生の五計でありますが、五計は叉一つに約すれば第一の生計に外ならず、従って儒教を一語にして言うならば、「われ如何に生くべきや」と言うことに尽きると言っても過言ではないのであります。また従って儒教を代表する「易」が、生の道、であることも、次第に深く味わうことができるわけであります。

25日 未だ生を知らず

論語の中に孔子が「未だ生を知らず、(いづく)んぞ死を知らん」。自分はまだ生の何たるかを知らないのであるから、どうして死についてかれこれ言うことが出来よう、と言われておりますが、要するに死の事を考える前に、先ず我々は生に徹しなければならぬ、ということほ教えておるわけであります。死を全く考えないと云うのではない、生が分かれば自ら死が分ると言う、つまり「生」「死」を分けて考えずに一体のものとして考えるわけです。

26日 近代の分化学的思考-絶対と相待 ところが大抵はこの現実の存在、生の営みというものを一体のものとしてでなく唯物的に或は唯心的にとらえて、肉体生活、精神生活、知識生活、感情生活と言った様なものに分けて個別的に考えております。殊に明治になって近代の学問文化が入ってきてから、その傾向が一層顕著であります。それは幕末、明治になって初めて日本が取り入れた西洋文化、西洋の学問・思想の根本原理の一つはディファレンシェーション(differentiation-分化)と言う事であったからです。処が、それがここ10年来いつの間にか逆になり、インテグレーション(integration−統一)の原理に次第に変わって参りました。この変わってきたことに対して大変誤解が多く今まで派生的・分化的な原理であったものが今度は反対に統一の原理になったと解する人が少なくありません。これは分化をつきつめて行った結果、文化の追求・発展の結果、いつの間にか新たなる統一になってきていると解釈しなければなりません。
27日 東洋医学は 具体的に申しますと、一番顕著に変わって参った誰にも分かり易いのは医学であります。何分、医学は人間の健康、生命に関する学問でありますから、最も真剣であります。常に科学的にも哲学的にも先端に立っています。もともと古い医学、特に東洋医学などは内科と外科の区別もありませんでした。
28日 専門のこと

処が、わが国で言えば幕末特に明治になって、盛んに西洋医学が入ってくるに従って、次第に専門というものが発達し、先ず内科・外科に分れ、さらに内科は呼吸器、消化器、泌尿器など、外科は外科でそれぞれ専門的に細分化され、専門が権威を持ち、尊重され、専門家であることが、大変価値ある存在になって参りました。

29日 細分化

これは政治でもそうであります。昔は政治というものは、今日の行政も、経済も、教育も、すべてが渾然たる一体のものでした。それが近代になって色々に分かれ、さらに経済であれば、金融・貿易・生産などという風に細分化されてきたわけです。

30日 専門的愚昧

処がそうなると、余弊が生じます。進歩にも必ず副作用が伴います。例えば、細胞というものは元来生理学的にはインモータル(immortal−不死)のものであります。その不死の細胞が何故死ぬのかというと、細胞が進化・増殖するにつれて、怪我したり中毒現象を起したりするからです。進歩に伴う副作用も色々ありますが、とにかく進歩に伴って専門が発達し、そのうちに専門的権威と同時に、専門的愚昧も表裏一体となって、専門家であるが故に普通人に出来ない大きな誤りを犯すことにもなるわけです。経済人が経済のことばかりに首を突っ込み過ぎて、政治には疎く、外交も行政も分らぬ、言はば金儲けの化け物のような人間ができる。これも一つの専門的愚昧であります。

31日 生理機能が全て目に反映

例えば、医者の中にも「俺は外科であるから内科のことはわからぬ」などと、さも分らぬことを誇らしげに言う人も出てきました。明らかに専門による中毒現象であります。そういう風に、研究が進むに従って、始めに大きく一体をなしておったものが次第に分化し、専門化して、やがて弊害が生じ派生は同時に大きな統一であると云うことも亦わかってきたわけであります。一例を申せば、目の専門研究が進むにつれて、目というものも恐ろしいもので、我々の身体のあらゆる生理機能が全て目に反映している事が分かってきたのであります。専門家の話では、産婦人科でもまだわからぬ段階の妊娠現象が既に目に現れているということです。とにかく目を見ればその人の生理状態が分る。こういう事が明らかになって参りますと、もう今までのように単なる目の専門家だけで済ましておれなくなってきたわけであります。