日本海文化は実在した

 

大山寺は昨年開創1300年でしたね。

法隆寺より100年遅いだけ。凄いです。

 

妻木晩田遺跡、大山山麓、これは日本最大級ですね、

弥生時代、1700年から1900年前です。

 

青谷廃寺

これは弥生時代前期後半の遺跡、弥生の地下博物館と称される。

 

能登の、おうち潟、邑知潟、万行遺跡もあります。

大型の建造物があります。

 

四隅突出型墳丘墓

大陸古代の墳墓なのですね、

これ全国で20万基あるらしい。特殊な墳墓です。

多いのは兵庫県、次に鳥取県、そして京都府なのですね、日本海側の川沿いに多いという。

 

丹後半島には

籠神社があります。

ここに当会の椋幹事と一緒に参拝しましたが。

ここにある神社神職・海部氏家系図は国宝です。

籠神社は「元伊勢」のお札があります。

神武天皇以前の、にぎはやひ神を先祖としています。

 

やはり、丹後半島は、大陸からの渡来人集団の生活の遺跡です。

彼らは次々と瀬戸内方面へと移動したでしょうね。

 

若狭の水

小浜市

お水取り神事ゆかりの遠敷明神を祀る若狭国一宮は、若狭姫神社(下社)と若狭彦神社(上社)の二社に分かれている。

 

これらの話は暗示的ですね。

 

 

ここで、自然の地形から検討してみます。

 

広く、日本海を俯瞰してみる。

 

沿海州から北朝鮮=高句麗に沿い、朝鮮半島東部に南下する海流がある。

リマン海流である。この海流に乗ると数日或いは十数日で、北緯35度ないし36度で、暖流の対馬海流に乗るらしい。

対馬海流は東北に流れる、突き当たるのが

 

先ず島根半島、続いて丹後半島、能登半島の何れかに引っかかる。

島根半島は

出雲文化、妻木晩田、青谷廃寺、

丹後半島は

籠神社 元伊勢 

 

海流が外れれば新潟、秋田となり日本海沿岸のどこから漂着する。

 

これが大海原の古代から変わらぬ海流。

大陸から日本列島に人が来るのは自然なのですね。

 

移住民は南に南にと行きたのでしょう。

 

勿論、土着の王様も各地にいたのでしょう。

 

大和朝廷は、神武天皇により土着の王様をまとめたのでしょうね。

 

そして大陸系の出雲に譲らせたのでしょうね。

日本統一、大和政権樹立、

その集大成の歴史書が日本書記かもですね。

 

アマテラスの神社が次々と移転し、
伊勢に収まったのも何か意味ありそうですね。

 

春の日長の夢想でした。

      令和356日 

   徳永日本学研究所 代表 徳永圀典