一神教に関して

宗教は多々あるが、一神教は一つの神的存在者のみを信仰する宗教で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つである。

ユダヤ教が最初にあり旧約聖書が作られた。その旧約を新しくして新約聖書としたのがキリスト教。さらに、ムハンマドがそこから作ったのがコーラン。この三つは姉妹宗教、「奉ずる神は同一」であると私は認識している。

この三宗教の聖地はすべてエルサレム。ユダヤ教は信仰を集めていたエルサレム神殿が聖地。キリスト教はキリストが教えを垂れ処刑され、埋葬され復活したとされる場所。イスラム教はムハンマドが一夜のうちに昇天した場所と言う。

イスラム教創始者・ムハンマドはメッカに生まれ、厳格な一神教を唱え、唯一絶対の神が預言者たる人間ムハンマドを通じた教えである。キリストも人間。ユダヤ教はエホバの神、全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなものだが預言者以外には不明確な存在、宇宙空間全体の事象に帰納できるとされ、この点は日本の神に似ている。だが預言者を通じ実在感ある存在即ち人間と捉えられている。

一神教は不完全な存在の人間が絶対化されている。マルクスレーニンの共産主義、これも一種の一神教であろう。

極めて荒っぽい言い方であるが上述の神々は人間が元祖、共産主義も人間が元祖。不完全な存在である人間を絶対視しており、イデオロギー的と観てよいかと思われる。

人間とは不完全な存在、間違いや思い込みをする存在である。ローマ法王が数年前に謝罪はしたが、歴史的に一神教は異教徒を殺害しても良いとされていた。

人間は間違うものである。人間は不完全なもので、その人間の生み出したイデオロギーは失敗する、またイデオロギーでは人間は食えない。ソ連共産主義により人間性は荒廃し、その壮大なる70年に亘る人間実験が失敗して共産主義の虚構を暴いた。

大自然は絶対である。その産物である人間は、大自然の原理に素直な生き方が最適な筈だ。

日本民族の神はどうか。一言で申せば、「大自然崇拝」と見て間違いあるまい。大自然を畏れ謹み崇めて神としてきた。これを別な表現で捉えれば、大自然、大宇宙、天地自然の法則、宇宙運行の原理を神として畏れ謹み崇めることであり、元々大自然の産物である人間がその生みの親の原理に従って生きるということと同義である。これは大自然の原理に従順に生きる姿勢であり洵に天地自然の理に適ったことである。

大自然の根幹である太陽の化身とされる天照大神を崇める神道は地球の原理と同一であり、それへの信仰は絶対に間違いないこととなる。日本が連綿たる国であり続けるのはこの大自然の原理に適っているからであると改めて確信する。

人間も万物と同様、枯葉のように朽ちて消え再びこの宇宙に散華する、それが大自然の原理である。天国も極楽も人間の願望であろう。
             徳永日本学研究所 代表 徳永圀典