鳥取木鶏研究会5月例会   

(ちゅん)

(ちゅん) 水上(すいじょう)雷下(らいか) 水雷屯(すいらいちゅん)

屯はよくトンと読みますがチュンであります。天造草昧(てんぞうそうまい)と、卦辞(けじ)に書いてありまして、天地創造万物生成の始まりという意味であります。

同時に、生みの悩み、苦しみにも通じます。この屯の締めくくりの言葉に、小貞(しょうてい)(きち)大貞凶(だいていきょう)小貞(しょうてい)はよろしい、大貞(だいてい)は凶である、と書いてあります。 

つまり天地万物創造の始まりの卦であるから、これを人間で申しますと赤ん坊であります。だから、そっとしておかなければなりません。余り性急にやってはいけません。赤ん坊の時から少年や青年のような育て方をしたら、これは間違いで時には死を招くこともありますから、大貞は凶であります。 

また非常に苦難の中に事業を始めたというような時も、これに当ります。

そこで、そっと育てなければなりません。余り過大な注文をしたり、色んなことに手をつけたりすると必ず失敗する。だから、屯難(とんなん)という熟語もあります。小貞吉、大貞凶とは大変味のある言葉であります。 

(もう) (さん)上水下(じょうすいか)山水(さんすい)(もう)

(もう)は、人間で言えば、赤子の時代を終え、児童少年の時代であります。それで童という字をつけて(どう)(もう)という言葉があります。

この時代になると、もう小貞ではいけません。そこで大象(たいしょう)には、果行育(かこういく)(とく)という言葉を使っております。果は、結果の果でありまして、きびきびした実践を表します。つまり小学校時代になると、甘やかしてはいけません。

きびきび活動させて徳を育てなければなりません。果という字は面白い文字であります。果物ですから、その栽培を考えるとよくわかる。必ず間引かなくてはなりません。鈴なりにしておくと木が弱ってしまう。従って果物も駄目になります。

果断・果結

そこで適当に間引かなければならんのです。これを果結(かけつ)、あるいは果断(かだん)という。花もそうであります。上手に摘花(てっか)しなければ、よい花になりません。然し、この果結、果断あるいは摘花というものは大変難しい。時期を外したり、やりそこなったりしますと、とんでもないことになる。

 

果物や花でもそうであります。まして人間の少年教育は、その意味において大変大事でありまして難しい。これは()(ぎょう)によって徳を養うことができるので、少年時代は出来るだけ雑駁(ざっぱく)ならぬように引き締めて、きびきびと躾け、つまらぬものを省いて、よい生活習慣、よい癖をつけるようにすることこれが蒙の卦の根本精神であります。 

              人間の本質的要素

徳というものは、人間の本質的問題であります。人間には、本質的要素と、附随的要素があって、徳というものは、その本質的要素であります。これに対し、知能とか才能というものは、附随的要素であります。この知能、才能、或いは技能というものは、なくてはならぬ大切なものであるけれど、人間の要素としては、派生的なもの、附随的なものであります。 

また、躾、習慣というものがありますが、これは、徳というものを育てる上において大切なものであり、本質的要素の中に入れるのが普通であります。これは東洋人間学の基本的な問題の一つでありますが、易は明確にそれを教えております。

(じゅ) 水上(すいじょう)天下(てんか)水天需(すいてんじゅ) 

子供が成長すると、内在しておった人間性の要求が発達してきます。つまり色々の要求を持つようになる。

これが(じゅ)(もとむ)であります。人間の生理でいうと血液、リンパ液のようなもので、我々の人格、頭脳をうるおす働きをするものであります。

精神的飲食

そこで需の字に、?(さんずいへん)をつけると、(うるお)うという字が出来、また、(にんべん)をつけると、(じゅ)という字であります。

これは発育盛りの子供達に、旺盛な食欲を満たすばかりでなく、大いに精神的な飲食を盛んにして満足させなければならないということであります。需の卦は、成長とこれに伴う教育を表す卦であります。   

                              徳永圀典記