「面倒くさい」問題先送りの末路 鹿島茂 文学者 

編集部からの原稿依頼の手紙には「これが私たちの望んだ日本なのか」というお尋ねがありましたが、これには「その通り、これが私たちの望んだ日本なのただ」と答えるしかありません。犯人は自分なのです。 

なぜなのか?それは戦後日本が上から下まで、全員で「面倒くさいことは嫌いだ」と考え、それを国是としてきたからです。 

例えば外交。戦後日本にとって一番面倒くさいことは再軍備の可否を問うことでした。

然し、時々の政府はもこの問題を先送りして、取り敢えずは経済優先と考えたわけですが、それがアメリカからも中国からも馬鹿にされる日本外交をもたらしたのです。 

例えば内政、税制にしろ財政にしろ選挙制度にしろ、国論を二分しそうな面倒くさい問題が起きそうだと「様子を見る」というのがその時々の政府がとってきた方針です。その結果、消費税率のアップはなされず、年金改革も中途半端、選挙制度も人気投票に堕するというていたらくになったのです。

たとえば、経済。戦後日本の経済的努力は面倒くさいことの省略に注がれてきました。家電、自動車、ロボット、パソコン、携帯。あるいはコンビニ、自販機、レトルト食品。全部、面倒くさいことの代行業として定義づけられると思いますが、将にこうした代行業が日本人から刻苦精励の精神を奪い取り、大量のオタクを生み出したのです。 

たとえば教育。戦後、文部省も日教組も効率的な受験勉強と顧客満足度の高い教育のことばかり考えてきました。マークシート、センター試験もゆとり教育はその最たるものでしょう。 

例えば家族関係。親が子供を叱るという面倒くさいことを避けようとした結果が、引きこもり、家庭内暴力、等々引き起こすことになったのです。 

たとえば、性愛。恋愛→セックス→結婚という面倒くさいことを若者に回避させる為に発展してきたオナニー産業が晩婚化とシングル社会を作り出したのです。 

たとえば、出産と子育て。これが一番面倒くさいことであるのは言うまでもありません。日本がいま直面している最大の問題「少子化」こそ「面倒くさいことは嫌いだ」の精神が辿りついた最終的結論なのです。 

よって、「これが私たちの望んだ日本」なのです。