21世紀のヤマト魂
去る3月の大相撲大阪場所、新横綱稀勢の里が優勝した。あのケガで、顔にも出さず耐えて、立ち合い変化もせず、正々堂々と立ち向かい本割で勝ち、さらに優勝決定戦でも痛みに打ち勝って得た大優勝、大多数の日本人は感涙に咽んだ、あのような千秋楽は見たこともない興奮の渦であった。
そして4月1日、フィギュアースケート世界選手権、右手の人さし指を天に向かい突き上げ、羽生結弦が大逆転して王座に返り咲き史上最高点で完璧に決めた。会場は総立ち、大歓声と大拍手と感動の渦となった。羽生は昨年世界選手権後、左足の靱帯損傷、監督の指導を拒否し羽生流を貫き限界を作らずに練習した。
もう一人は米国で活躍中の野球の巨人・イチロー、黙々と自分に厳しく練習に励み、自分に打ち勝ち遂に常人の成しえぬ大記録を築き、米国大統領や米国民さえ褒め称える位置に立っている。サムライをイチローに見る。
「21世紀のスポーツ三偉人」と言いたくなる三人。この彼らが持つのが「大和魂」なのでありましよう。日本人の持つと言われる大和魂を武士とか、戦争とかに結び付けるのは余りにも短絡、戦後の偏向なのです。素直な見方ではありません。
本居宣長の歌「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」の通り、山桜は地味でしぶい、華やかさは無くいぶし銀です。ソメイヨシノのような華麗さはなくても控えめながら己を持ち個性的に咲いています、その姿こそ大和魂の本質なのだと私は思います。
戦後失っていたように見えても、21世紀の現代にも、若いこの三人が日本人らしい民族の特質・大和魂を持って世界の頂点に立ったことを日本人として誇らしく心から感動しています。
徳永圀典