文化伝統の力  岡野弘彦 歌人 

これ程長く政治の不安定が続いても、日本人は他国民のように怒りをストレートにぶちまけたり、不満を爆発させたりはしない。 

この温和さの奥には、平和への祈りや国民生活の安泰に心を尽される、天皇への信頼が大きく影響しているに違いない。 

その天皇は定型が確立してからでも、千数百年の伝統を経た和歌の形で、年頭に新聞を通して思いを国民に伝えられる。

入江侍従長の話では、両陛下が思いのほどを和歌にして各新聞に発表されたのは敗戦後の正月からだった。

当初は天皇は八首、皇后は六首の歌を詠まれ、それを近代の名歌人・斉藤茂吉が拝見した上で各新聞に渡される。

だが、殆どの新聞は、そのお歌を二首くらいに削って発表するのが常だ。厳しい昭和天皇は、「入江、八首渡したではないか。なぜ二首だ」と咎められた。「お答え申しようが無いのです」と入江は深い嘆きを込めて話した。

この形は今も続いていて、天皇は五首、皇后は三首、過ぐる年を顧み、迎える一年への希望をこめた歌を、格調ある表現に託して発表される。それが二首くらいにしぼられてしか紙上に出ないのも以前のままだ。 

欧米の知識人にこの話をすると、天皇が年始な伝統詩の形でその思いを国民に告げるのは実に素晴らしく、羨ましいと思うと言う。 

今の天皇と皇后は、明治・大正・昭和の三代が大きな戦争を体験したあとを受けて戦争による彼我の死者の魂の鎮めと平和を祈るだめに、沖縄・硫黄島・サイパンを慰霊訪問してその思いを歌に発表された。

新聞は、新年歌会始の歌と同じく、毎年の年頭に両陛下が国民の生活や世界の平和のために、深い思いをこめて詠まれる歌を、省くことなくそのまま全部、発表するべきだ。

それが、この転変激しい時代の日本人の心を支える力強い指針となり文化伝統となるのだ。