徳永圀典の「論語」 C
平成19年5月 学而編
1日 | 或ひと孔子に謂いて曰く、子奚ぞ政を為さざる。子曰く、書に云う、孝なるかな惟れ孝、兄弟に友に、有政に施すと。是れ亦政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すことを為さん。 |
或謂孔子曰。子を為すなり。奚不為政。子曰。書云。孝乎惟孝。友干兄弟施於有政是亦為政。奚其為政。 |
家事は国政の本、大小の差のみを指摘したもの。 一国は一家の集団、その孝友の道をなせば国政に参加せずともよいではないか。 |
3日 | 子曰く、人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり。大車げい無く、小車イ無くんば、其れ何を以て之を行らんや。 |
子曰。人而無信。不知其可也。大車無げい。小車無イ。其何以行之哉。 |
牛車にはげい、馬車にはイがあり牛馬に連結している。 人に接するには信がなくてはならぬ、信は道徳の真髄。 |
5日 | 子張問う、十世知るべきや。子曰く、殷は夏の禮に因る、損益する所知るべきなり。周は殷の禮に因る、損益する所知るべきなり。其れ或いは周を継ぐ者は、百世と雖も知るべきなり。 |
子張問。十世可知也。子曰。殷因於夏禮。所損益可知也。周因於夏禮所損益可知也。其或継周者。雖百世可知也。 |
今より十たび革命した後の政治はどう変わるか、前知できるか。 孔子、将来の変化を知るには既往の改革で推測するのみ。 夏殷周三代の因襲がこのようだから十世でも難しくない。 |
7日 | 子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは諂なり。義を見て為さざるは勇無きなり。 |
子曰。非其鬼而祭之。諂也。見義而不為無勇也。 |
人のなすべからざる事をなす、なすべきことをなさざるは共に中道ではないとの戒めである。 |
9日 |
はついつ第三(禮楽の話) |
孔子謂季氏八いつ舞於庭。是可忍也。孰不可忍也。 八いつ第三編第一 |
八いつ毎は天子宗廟の舞、陪臣の身で舞わせるとは、更に何事か謀み国を奪うこともある得る。 |
11日 | 三家者、雍を以て徹す。子曰く、相くるは維れ辟公、天子穆穆たりと。奚ぞ三家の堂に取らん。 |
三家者以雍徹。相維辟公。天子穆穆。奚取三家之堂。 |
季氏の禮を失する咎め。雍は詩。 天子の祭は諸侯が助け行う。 天子の神を敬尊する様が穆穆であり季三家は雍を歌う義はない。 |
13日 | 子曰く、人にして仁ならずんば、禮を如何にせん。人にして仁ならずんば、楽を如何にせん。 |
子曰。人而不仁、如禮何。人而不仁。如楽何。 |
人が不仁ならば既に人としての本を失っている。禮も虚禮、楽も虚楽で人間の抜け殻である。 |
15日 | 林放、禮の本を問う。子曰く、大なるかな問や。禮は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪は其の易らんよりは寧ろ威めよ。 |
林放問禮之本。大哉問。禮與其奢也寧倹。喪與其易也寧威。 |
禮の問いに孔子は喜んだ。 禮は実を貴び、形式の虚偽を重んじない。 華美より質素倹約素朴、喪は哀痛で禮の足りないくらいの実意が善い。 |
17日 | 子曰く、夷狄の君あるは、諸夏の亡きが如くならざるなり。 |
子曰。夷狄之有君。不如諸夏之亡也。 八いつ第三編第五 |
夷狄でも君あり人民を統治している。 然し、今のこの国は君ありて君亡きが如しだ。 |
19日 | 季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、女救うこと能わざるか。對えて曰く、能わず。子曰く、嗚呼、曾ち泰山を林放にも如かずと謂えるか。 |
季氏旅於秦山。子謂冉有曰。女弗能救與。對曰。不能。子曰。嗚呼曾謂泰山不如林放乎。 |
国に大凶ある時、山を祭るを旅という。 孔子は僭越な季氏の旅を非難、諌めない冉有も神は非禮を受け入れないと戒めた。 |
21日 | 子曰く、君子は争う所無し。必ずや射か。揖譲して升り下り、而して飲ましむ。其の争いや君子なり。 |
子曰。君子無所争。必也射乎。揖譲而升下。而飲。其争也君子。 |
揖譲は弓道(射)で、堂場での上り下りも、人に先立たない事。 君子は人と接するに、禮と譲を貴び争わぬものだ。 |
23日 | 子夏問うて曰く、巧笑倩たり、美目?たり、素以て絢を為すとは、何の謂いぞや。子曰く、絵の事は素きを後にす。曰く、禮は後か。子曰くも予を起す者は商なり。始めて與に詩を言うべきのみ。 |
子夏問曰。巧笑倩兮。美目いつ兮。素以為絢兮。何謂。子曰。絵事後素。曰。禮後乎。子曰。起予者。商也始可與言詩己矣。 |
女の巧みな笑い、滴る愛嬌、眼は鮮の天然の麗質は粉飾無く生地のままで絢麗。更に化粧すれば愈々。 孔子はこの話を禮のことと悟り、人たるものは内に美質ありて更に学び外を文飾すれば忠信が発揮されると。 忠信なければ徒らに禮を学んでも益なし。 要するに粉飾せず素が絢ならば詩人といえる。 |
25日 | 子曰く、夏の禮は吾能く之を言えども、杞は徴とするに足らざるなり。殷の禮は吾能く之を言えども、宋は徴とするに足らざるなり。文献足らざるが故なり。足らば則ち吾能く之を徴とせん。 |
子曰。夏禮吾能言之。杞不足徴也。殷禮吾能言之。宋不足徴也。文献不足故也。足則吾能徴之矣。 八いつ第三編第九 |
夏・殷の禮は文献が不足して証拠に欠ける。 宋・杞の文献でも証しがない。 だから後世に伝えることができない。 |
27日 | 子曰く、てい、既に灌してより往は、吾之を觀ることを欲せず。 |
子曰。てい自既灌而往者。吾不欲觀之矣。 |
ていとは祭の名。觀とは降神式。 孔子が魯の国の非礼を嘆息。 |
29日 | 或ひと?の説を問う。子曰く、知らざるなり。其の説を知る者の天下に於けるや、其れ諸を斯に示るが如きかと。其の掌を指す。 |
或問?之説。子曰。不知也。知其説者之於天下也。其如示諸斯乎。指其掌。 八いつ第三編第十一 |
ていの事を聞かれて孔子は知らぬと。 ていの祭の真義をよく知ればその人は天下を治める道を明らかに知る人だ。 |
31日 | 祭ること在すが如くし、神を祭ること神在すが如くす。子曰く、吾祭に與らざれば、祭らざるが如し。 |
祭如在。祭神如。子曰。吾不與祭。如不祭。 八いつ第三編第十二 |
祭りとは全て至誠を以て神を敬すもの。 祭りの壇上の神霊が降り来たり現つに存在せられるが如き気持ちで誠意を尽くすものである。 |