「用瀬の流し雛」 「紐落とし」などなど 
 
    旧暦三月三日
日本でも用瀬のは有名。

 流し雛の起源は、源氏物語の「須磨の巻」にある、

 光源氏がお祓いした人形の形代を須磨の海に流す叙述がある。ひいなと言うています。

 巻12【須磨】
『三月一日に出で来る巳の日、今日はかく思すことある人は御禊(みそぎ)し給ふべきと、なまさかしき人のきこゆれば、海面もゆかしうて、出で給ふ。いとおろそかにぜむじょうばかりを引きめぐらして、この国にかよひける陰陽師めして払へさせ給ふ。舟に、ことごとしき人形(ひとがた)のせて流すを見給ふに』

源氏物語、須磨の巻には、三月上巳(じようし)の日に陰陽師を召して祓を行い、その人形を船に乗せて流したという記載がある。『曲水の宴』は祓いの遊びの宴でもあった。この雛流しの起源とされる人形流しは源氏物語にみられる。

七五三  紐落の語源

 この祭りの起源をご存じですか。

 江戸時代、乳幼児の死亡率がとても高かった。

よくここまで育ってくれたと言う、気持ちの表れ、こんな国は世界にない。

江戸時代、館林の城主・徳川徳松、五代将軍綱吉の長男、の健康を祝って、お祓いし祈ったのが嚆矢とされている。

3歳は髪を伸ばす「髪置」、5歳は初めてをつける「袴着」、7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解・紐落」はここから来る。