鳥取木鶏会 5月例会  徳永圀典選 

禍福 

 どうも人間のこと、人生のことは複雑微妙でありまして、「老子」にも、「禍かと思えば福のよる所であり、福かと思えば禍の伏す所で、誰かその極みを知らん」とありますが、まことにその通りでありまして、「禍福は糾える縄の如し」という言葉もある通り、これは複雑微妙なもので、決してこれは禍である、これは福であるというように、機械的に分けることのできないものである。

 人間生活の真実で、よく言いますように長所と短所というものもそうで、長所と短所というものが別々にあれば始末がいいが、実際は長所が短所であり、短所が長所である。だから、採長、補短、長を採って短を補うというけれども、そう簡単にはゆかぬ。なにしろ長所が短所であり、短所が同時に長所なんだから、長所を生かそうと思うと短所も伸びてくる。短所をなんとかしようと手を入れると、ついでに長所も却って駄目にしてしまう。

 そこで、人間の事業とか、あるいは政治というものは、非常に難しい。それと同じことで、幸福を願っていると幸福が却って禍になる、禍かと思っておると、それがとんだ幸福を伴う。三国の群雄にしても、悪戦苦闘しておる時に一番意義があり、また本人の真価というか、天分というものを養っておるのでありまして、彼らの成敗利鈍というものは、多く彼等が得意の時に問題を惹起しておる。

 

立腹の科学的弊害

 アメリカの科学者の実験によると、腹を立てて人を傷つけたり、殺したりした人間の息を冷却すると、液化して毒々しい栗色のかすとなり、それをモルモットに与えたら頓死した。しかもその毒性はアメリカの薬局法による在来の如何なる毒液よりも猛毒であった、ということが証明されておる。従って私心私欲で腹を立てることくらい悪いことはない。世界最古の医書と言われる「素問」に、人間のあらゆる疾患の最大原因は一字の「(しん)(怒り)にあると言っているが、誤りのない事実である。     論語・老子・禅