520日 美田を残すな

 文化・文政・天保時代に但馬から出た人に平尾厚康という人があります。厚康というより源太夫と言った方がよく通り、藩侯の出石候の嘱をうけて、領内の荒村を救済振興して治績をあげました。

いわば、出石・但馬における二宮尊徳でありますが、晩年は禅に参じて、名を玄通と改めた。まことに風格の高い実際家であり、哲人的な人であります。

この家訓は西郷隆盛の「子孫の為に美田を買わず」に通ずる考えであります。金銀を多く子孫に残すより広く善事を行い、陰徳を積むと、その徳がめぐって子孫の幸福となる。平康厚康、六十九才の作であります。

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