血の匂いが  柴田翔 作家 

国内では上るばかりと囃し立てられていた株価が急落し、海外では生きて見ることはないと、(私などだけではなくキッシンジャーまでもが)思い込んでいたベルリンの壁崩壊が現実となって、20年余りが過ぎた。 

マルクスの夢を見た共産主義が雲散霧散した結果、彼が予言した世界資本主義の苛酷な競争が現実となり、その荒波が(不必要になった東西対立への顧慮を捨てて)容赦なく国境を越え、戦後日本の(社会主義防止対策だった)労使協調をも越えて、繁栄と自由幻想に酔って砂粒のようにパラパラに解体した日本人、一人一人の頭上で砕けている。 

どの程度の時間をかければ日本は、世界と自国の新事態に対応できる国家の仕組みを作れるのか。 

当然、漠然と、まあ10年あればどうにか、と考えていた私などは、歴史と現実について何と無智であったことか。 

幕末、黒船の来航から明治維新まで15年、ヨーロッパ近世の崩壊は、フランス革命からウィーン会議まで25年。それなら、今度は、それらほどの大事とも見えないから、まあ10年・・・。 

だが、愚かな楽観を越えて、世界資本主義の強欲はIT革命の翼を得て迅速かち徹底的に氾濫し、しかも現代の民主主義国家は、自国の一滴の血も嫌い、全ての既得権益を前に逡巡して、優柔不断に徘徊する。 

考えて見れば明治維新に辿り着く迄には、江戸時代で水戸で、京都で、更に薩摩で、長州で、日本の各地で、惜しむことなくふんだんに血が流れた。

また、ヨーロッパ近世崩壊の四半世紀は、血まみれの革命・騒乱・動乱の年月だった。 

それあって、初めて旧秩序が崩壊し、新しい世界が生まれた。 

平和国家日本では、赤い血は流れそうにもない。

とすれば、歴史が要求する血ではない代償は何なのだろうか? 

後期高齢者の私には、されを目撃する時間は無さそうなのが残念なような、ほっとするような・・・。