「MUJO」 村上春樹
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる常態は一つとしてない、と言うことです。この世に生まれたあらゆるものは、やがて消滅し、総てはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなど何処にもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられて、民族的メンタリティとして、古代から殆ど変わることなく引き継がれてきました。
(中略)
今回の大地震で、ほぼ総ての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしよう。それについて、僕はあまり心配していません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族です。
(中略)
最初に述べましたように、我々は「無常」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアの一つになっています。然し、それと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続ける事への静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具っているはずです。