十六、「()() 第十六」
平成29年5月度

原文 読み 現代語訳
5月3日

一、季子将伐(きしまさにせんゆを)セン(うたん)(とす)冉有季路見於孔子曰(ぜんゆうきろこうしにまみえていわく)季氏將有事於(きしまさにせんゆにこと)セン(あらん)(とす)孔子曰(こうしのたまわく)(きゅう)無乃爾是過(すなわちなんじこれあやまつ)(なきか)(それ)セン(せんゆ)()(むかし)者先王以(せんのうもって)(とう)東蒙(のうのしゅと)(なし)且在邦域之中矣(かつほういきのなかにあり)(これ)社稷之臣也(しゃしょくのしんなり)何以為伐也(なんぞうつをもってなさん)冉有曰(ぜんゆういわく)夫子欲之(ふうしこれをほっす)吾二(われにしん)臣者(のものは)皆不欲也(みなほっせざるなり)孔子曰(こうしのたまわく)(きゅうよ)(しゅう)(じんの)有言(いえるあり)(のたまわく)陳力就列(ちからをつらねてれつにつく)不能(あたわざれ)者止(ばやむ)危而不持(あやうくしてしじせず)顛而不扶(てんしてたすけざれば)則将焉用彼相矣(すなわちはたいずくんぞかのしょうをもちいん)且爾言過矣(かつなんじのげんあやまてり)児虎出於(こじこうより)(いてで)亀玉毀於読(きぎょくとくちゅうにこぼたる)(れば)

是誰之過(これたれのあやまち)(ぞや)冉有曰(ぜんゆういわく)今夫(いまかの)セン(せんゆ)臾固而近於費(はこにしてひにちかし)(いまと)不取(らざれば)後世必為子孫憂(こうせいかならずしそんのうれいとならん)孔子曰(こうしのたまわく)(きゅう)君子疾夫舎曰欲之而必更為之辞(くんし歯に組む之をほっすというをおきてかならずこれがじをなす)丘也聞(きゅうやきく)(くにを)国有家者(たもちいえをたもつものは)不患寡而患(すくなきをうれえずしてひとしからざるをおもう)不均(ふたもつ)不患貧而(ひんをうれえずしてやすからざ)不安(るをおもう)(けだし)均無貧(ひとしければまずしきことなく)和無寡(わすればかなきことなく)安無傾(やすければかたむくことなし)夫如(それかくのご)(ときが)故遠人(ゆえにえんじん)不服(ふくせざれば)則修文徳以来之(すなわちぶんとくをおさめてもってこれをきたす)既来之則安之(すでに之をきたせばすなわちこれをやすんず)今由与求也(いまゆうときゅうと)(ふうしを)夫子(たすくるも)遠人(えんじん)不服(ふくせずして)(きた)不能来也(すあたわず)邦文崩離析而不能守也(くにぶんぼうりせきしてまもるあたわず)而謀動干戈於邦内(しかもかんかをほうないにうごかすをはかる)吾恐季孫之憂(われはおそるきそんのうれえ)不在於(せんゆに)セン(あらず)(して)而在蕭牆之内也(しょうしょうのうちにあらんことを)

季氏、将にセン臾(せんゆ)を伐たんとす。冉有(ぜんゆう)、季路(きろ)、孔子にまみえて曰く、季氏、将にセン臾に事あらんとす。孔子曰く、求よ、乃ち爾、是れ過てること無からんや。夫れセン臾は、昔者(むかし)先王以て東蒙の主と為し、且つ邦域の中に在り。是れ社稷の臣なり。何を以てか伐つことを為さんや。冉有曰く、夫子これを欲す。吾二臣は皆欲せざるなり。
孔子曰く、求よ、周任に言あり曰く、力を陳べて(のべて)列に就き、能わざれば止む。危うくして持せず、顛(くつがえ)って扶けずんば、則ち将た焉んぞ(いずくんぞ)彼の相を用いん。且つ爾の言は過てり。虎・児、甲より出で、亀玉、トク中に毀たれば(こぼたれば)、是れ誰の過ちぞや。冉有曰く、今夫のセン臾は固くして費に近し。今取らずんば、後世必ず子孫の憂いと為らん。孔子曰く、求よ、君子は夫のこれを欲すと曰うを舎(お)いて必ずこれが辞を為すことを疾む(にくむ)。丘は聞けり、国を有ち(たもち)家を有つ者は寡なきを患えず(うれえず)して均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う。蓋し均しきときは貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安んずれば傾くこと無し。夫れ是くの如し、故に遠人服せざるときは則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たすときは則ちこれを安んず。今、由と求とは夫子を相けて、遠人服せざれども来たすこと能わず、邦、分崩離析(ぶんぽうりせき)すれども守ること能わず、而して、干戈を邦内に動かさんことを謀る。吾恐る、季孫の憂いはセン臾に在らずして蕭牆(しょうしょう)の内に在らんことを。

季氏がセン臾を征伐しようとした。冉有と季路とが先生に拝謁して申し上げた。季氏がセン臾に攻撃を仕掛けようとしています。
孔子が言われた、
「冉有よ、それは過ちではないか。セン臾という国は、昔、先祖であった国王が東蒙の山神の祭主に決められて、魯国の領域内にある。セン臾の国は、魯に忠節を尽くす社稷(譜代)の家臣である。どうしてこの国を征伐する正当な理由があるのか」。冉有が言った。かの方(季康子)が討伐を欲せられたのですが、私たち二人は討伐を望んではいません。。孔子が言われた、「冉有よ、大史の祖である周任の言葉に、「力の限りを尽くして任務に当たり、力が及ばない時には辞退する」というものがある。主君の危難を見て支えず、主君が倒れても助けないというのでは、いったい宰相の役目とは何なのだ。お前の言葉は間違っている。虎と児の猛獣が檻から逃げ出して、大切な亀の甲と玉の宝石が箱の中で壊れたとしたら、それは誰の責任なのか。それと同じことではないのか」。
 

5月4日

二、孔子曰(こうしのたまわく)天下(てんか)(みちあ)(れば)(すなわ)(ちれい)(がくせ)征伐(いばつは)自天子(てんしよりいづ)()天下(てんかみ)無道(ちなければ)(すなわ)(ちれい)(がくせ)征伐(いばつはしょ)自諸侯(こうよりいづ)()自諸侯(じしょこうみずから)(いずれば)(けだ)(しじっ)(せいう)希不失矣(しなわざるまれなり)自大夫(たいふみずからい)(づれば)()(せい)希不失矣(うしなわざるまれなり)陪臣執(ばいしんこくせい)(をと)(れば)三世不失矣(さんせいうしなわざるまれなり)天下(てんか)(みちあ)(れば)(すなわ)(ちまつり)不在(こどたゆうに)大夫(あらず)天下(てんか)(みちあ)(れば)則庶(すなわち)人不議(しょにんぎせず)

孔子曰く、
天下道有れば、則ち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、則ち礼楽征伐、諸侯より出ず。諸侯より出ずれば、蓋し十世にして失なわざる希なり。大夫より出ずれば、五世にして失なわざる希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失なわざる希なり。天下道有れば、則ち政は大夫に在らず。天下道あれば、則ち庶人議せず。

孔子がおっしゃった、
「天下に正しい政治が行われていれば、礼楽・征伐を行う実権は天子が持っている。天下に正しい道が行われていなければ、礼楽・征伐を行う権限は諸侯が奪うことになる。諸侯がこの権限を持つ時には、
10代後にこの権限を失わないものは稀である。諸侯の大夫がこの権利を持つ時には、5代後にこの権利を失わないものは稀、諸侯の陪臣が国家の政権を握っている時は、3代後にこの権限を失わないものは稀である。天下に正しい道あれば、大夫が政治の実権を握ることはなく、庶民が政治の議論を戦わすこともない」。

5月5日

三、子曰(こうしのたまわく)禄之去公室五世矣(ろくのこうしつをさることごせい)政逮大夫四世矣(まつりごとたいふにおよびてしせい)故夫三桓之子孫微(ゆえにかのさんかんのしそんおとろう)

孔子曰く、禄の公室を去ること五世。政の大夫に逮ぶ(およぶ)こと四世。故にかの三桓(さんかん)の子孫はおとろう。 先生が言われた、「俸禄を与える権限が魯の公室を離れて五代の時が流れた。政権が重臣大夫の手に渡って四代の時が過ぎた。この無道は永遠ではない、だからあの孟孫・叔孫・季孫の三桓の子孫も衰えたのである」。
5月6日

四、孔子曰(こうしのたまわく)益者(えきするものの)三友(さんゆうあり)(ちょくなる)(をともとし)友諒(りょうなるをともとし)(たぶんな)多聞(るをともとするは)益矣(えきするなり)友便辟(べんへきなるをともとし)(ぜんじ)(ゅうなる)(をともとし)友便佞(べんねいなるをともとするは)損矣(そこなうなり)

孔子曰く、益するものの三友あり。直なるを友とし、諒(まこと)なるを友とし、多聞なるをを友とするは益するなり。便辟(べんへき)を友とし、善柔なるを友とし、便佞(べんねい)なるを友とするは損うなり。 孔先生が言われた、
「役に立つ三者の友人。真っ直ぐな人、誠実な人、、博学な人、これは有益である。追従する友、表裏ある人、裏表のある人、これらは有害である」。
5月7日

五、孔子曰(こうしのたまわく)(えきす)者三(るもののさん)(らくあり)(そこな)者三(うもののさんらく)(あり)楽節(れいがくを)(せつするを)(たのしみ)楽道人之(ひとのぜんをいうを)(たのしみ)(けんゆ)多賢(うおおきをたのし)(むは)益矣(まするなり)楽驕(きょうらくを)(たのしみ)楽佚遊(いつゆうをたのしみ)(えんら)宴楽(くをたのしむは)損矣(そこなうなり)

孔子曰く、
益する者の三楽あり、損う者の三楽あり。礼楽を節するを楽しみ、人の善を道う(いう)を楽しみ、賢友多きを楽しむは、益なり。驕楽(きょうらく)を楽しみ、佚遊(いつゆう)を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。
孔先生が言われた、
「有益な三つの楽しみ。損失となる三つがある。礼儀と節度を持った楽しみ、他人の徳性を褒める楽しみ、賢明な友人が多い事の楽しみ、これら三楽は有益。驕りたかぶること、気ままに遊びほうけること、酒食に耽けること、これらは有害である」。
5月8日

六、孔子曰(こうしのたまわく)侍於(くんしに)君子有三愆(じするにさんけんあり)言未及之而(げんいまだこれにおよばずして)(いう)謂之躁(これをそうという)言及之而(げんこれにおよびて)不言(いわず)謂之隠(これをいんという)未見顔色而(いまだがんしょくをみずにして)(いう)謂之瞽(これをこという)

孔子曰く、
君子に侍するに三愆(さんけん)あり。言未だこれに及ばずして言う、これを躁と謂う。言、これに及びて而も言わず、これを隠と謂う。未だ顔色を見ずにして言う、これを瞽(こ)と謂う。
孔先生がおっしゃった、
「君子の側に仕える場合の三つの過ち。まだ発言すべきでないのに発言する、これを慌しく落ち着きのない「躁」という。発言すべきときなのに発言しない、これを時宜をわきまえない「隠」という。顔色を見ないで発言してしまう、これを状況がまるで見えていない「瞽(めしい)」という」。
5月9日

七、孔子曰(こうしのたまわく)君子(くんしに)有三(さんかい)(あり)少之(わかきと)(きは)血気(けっきいまだ)未定(さだまらず)戒之在(これをいましむるはい)(ろにあり)及其壮也(そのそうなるにおよびては)血気方(けっきまさに)(つよし)戒之在闘(これをいましむるはたたかいにあり)及其老也(そのおゆるにおよびては)血気既衰(けっきすでにおとろう)戒之在(これをいましむるはとく)(にあり)

孔子曰く、
君子に三戒あり。少き(わかき)時は血気未だ定まらず、これを戒むるは色に在り。その壮なるに及びては、血気方(まさ)に剛し、これを戒むるは闘いに在り。その老ゆるに及びては血気既に衰う、これを戒むるは得(とく)に在り。
孔先生が言われた、
「君子には守るべき三つの戒めがある。年少の時にはまだ血気が安定しておらず感情が不安定だ、この時には異性への欲求を戒めること。壮年の時には血気が充実して盛んになる、この時には闘争を戒めること。老年になると血気は既に衰えている、この時には欲深さへの戒めが大切である」。
5月10日

八、孔子曰(こうしのたまわく)君子有三畏(くんしにさんいあり)(てん)天命(めいをおそれ)(たいじ)大人(んをおそれ)畏聖人之(せいじんのげんを)(おそる)小人不知天命而不畏也(しょうじんはてんめいをしらざればおそれず)(たい)大人(じんになれ)侮聖人之(せいじんのげんをあ)(などる)

孔子曰く、
君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らざれば畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る。
孔先生が言われた、
「君子には三つの畏れはばかりがある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らないので畏れず、大人になれなれしくし、聖人の言葉を侮辱する」。
5月11日

九、孔子曰(こうしのたまわく)生而知之者(うまれながらにしてこれをしるものは)上也(じょうなり)学而知之者(まなびてこれをしるものは)次也(つぎなり)困而学之(くるしみてこれをまなぶものは)又其次也(またそのつぎなり)困而(くるしみて)不学(まなばざる)民斯(たみこ)為下矣(れげとなす)

孔子曰く、生まれながらにしてこれを知る者は上なり。学びてこれを知るものは次なり。困み(くるしみ)てこれを学ぶものは又た其の次なり。困みて学ばざる、民、斯れを下と為す。 孔子がおっしゃった、
「生まれながらにして道理を知っている人は「上」。学んで知るようになった人はその次の部類。苦しみながらも懸命に勉強する人はその次。頑張って勉強することも出来ないのが人民であり、これを「下」とする」。
5月12日

十、孔子曰(こうしのたまわく)君子有九思(くんしにきゅうしあり)視思(しにはめいを)(おもい)聴思(ちょうにはそうを)(おもい)色思(しきにはおんを)(おもい)貌思(ぼうにはきょうを)(おもい)言思(げんにはちゅうを)(おもい)事思(じにはけいを)(おもい)疑思(ぎにはもんを)(おもい)忿思難(ふんにはなんをおもい)見得思(とくをみてはぎ)(をおもう)

孔子曰く、
君子に九思あり。視には明を思い、聴には聡を思い、色には温を思い、貌(ぼう)には恭を思い、言には忠を思い、事には敬を思い、疑には問を思い、忿(ふん=怒り)には難を思い、得を見ては義を思う。

孔先生が言われた、
「君子には九つの思いがある。見るときには明察を、聞くときには細聞、風貌は穏やか、態度物腰は恭しく、言葉は誠実、仕事は慎重、疑問は正す、怒り後々の困難を、得ならば道義を思うことであろう」。

5月13日

十一、孔子曰(こうしのたまわく)見善如不(ぜんをみてはおよばざるがごとくし)見不善如探(みふぜんをみればとうをさぐるが)(ごとくす)吾見其人矣(われそのひとをみ)吾聞其語矣(われそのごをきけり)隠居以(いんきょしてもって)(そのこ)(ころざし)(をもとめ)行義以(ぎをおこなっても)(ってその)(みちを)(たっす)吾聞其語矣(われそのごをきけども)未見其人也(いまだそのひとをみず)

孔子曰く、
善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。吾その人を見、吾れその語を聞けり。隠居して以てその志を求め、義を行って以てその道に達す。吾その語を聞けども、未だその人を見ず。

孔先生が言われた、
「善いことを見れば、とても達成できないと謙虚に受け止め、善くないことを見れば熱湯に手を入れたように離れる。私はそう言う人、その言葉も聞いた。世間から隠棲してその志を果たそうとしその道を通そうとする、その言葉を聞いたが、そんな人は見たことがない」。
5月14日

十二、斉景(さいのけい)公有馬千駟(こううませんしあり)死之(しする)(のひ)民無徳而称焉(たみとくとしてほむるなし)伯夷叔斉餓于首陽之下(はくいしゅくせいはしゅようのもとにうう)民到于今称之(たみいまにいたるまでこれをほむ)誠不以(まことにとみをもって)(せずして)亦祇以(またまさにいをも)(ってす)其斯之謂(それこのい)(いか)

斉の景公、馬千駟(せんし)あり。死するの日、民徳として称むる無し。伯夷・叔斉、首陽(しゅよう)の下に餓う。民今に到るまでこれを称む。誠に富を以てせずして、亦、祇(まさ)に異を以てす。それ斯の謂いか。

斉の景公は四千頭もの馬を持っていたが、死んだときには、人民は誰も景公の徳を褒めなかった。
孔先生が言われた、
「詩経には「人の評価は、裕福な富によらず、ただ富とは異なるものによる」とある。伯夷・叔斉は首陽山のふもとで飢え死にしたが、人民は今日までもその徳を褒めている。詩経の言葉は、こういうことを言うのだろう」。

5月15日

十三、陳亢問於伯魚曰(ちんこうはくぎょにといていわく)(しも)亦有異聞乎(またいぶんあるか)対曰(こたえていわく)未也(いまだし)(かって)独立(ひとりたてり)鯉趨而過庭(りこばしりてていをすぐ)(のたまわく)学詩乎(しをまなびたるか)対曰(こたえていわく)未也(いまだし)(のたまわく)不学(しをまなば)詩無以言也(ずんばもっていうなし)鯉退而学(りしりぞきてしをま)(なべり)他日(たじつ)(また)独立(ひとりたてり)鯉趨而過庭(りこばしりてにわをすぐ)(のたまわく)学礼乎(れいをまなびたるか)(こたえていわく)未也(いまだし)不学(れいをまな)礼無以立也(ばずんばもってたつなし)鯉退而学(りしりぞきてれいをま)(なべり)聞斯二者(このにしゃをきけり)陳亢退而喜曰(ちんこうしりぞきてよろこびていわく)問一得三(いちをといてさんをえたり)(しを)(きき)(れいを)(きき)又聞君子之遠其子也(またくんしのそのこをとおざくるをきけり)

陳亢(ちんこう)、伯魚に問いて曰く、子も亦異聞あるか。対えて曰く、未だし。嘗て独り立てり。鯉、趨りて(はしりて)庭を過ぐ。曰く、詩を学びたるか。対えて曰く、未だし。詩を学ばずんば、以て言うこと無し。鯉退きて詩を学ぶ。他日又た独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、礼を学びたるか。対えて曰く、未だし。礼を学ばずんば以て立つ無し。鯉退きて礼を学べり。斯の二者を聞けり。陳亢退きて喜びて曰く、一を問いて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子のその子を遠ざくるを聞けり。 陳亢が(孔子の子の)伯魚に尋ねた。『あなたは、父上から何か変わったことを教えられましたか』。伯魚は答えて申し上げた。『いいえ。いつか父が一人で立っておられたとき、私が小走りで庭を通りますと、「詩を学んだか」と言われました。「いいえ」と答えると、「詩を学ばなければ適切にものが言えない。」と。私は下がってから詩を学びました。別の日に、父がまた一人で立っておられたとき、私が小走りで庭を通りますと、「礼を学んだか」と言いました。「いいえ」と答えますと、「礼を学ばなければ自立できない」ということで、私は下がってから礼を学びました。この二つのことを父に教えられました』陳亢は退出すると喜んで言った。『一つのことを質問して、三つのことを得られた。詩のことを聞き、礼のことを聞き、また君子が自分の子供を甘やかさない、ことを聞かせて貰った。
5月16日

十四、

邦君之妻(ほうくんのつま)君称之曰(きみこれをしょうしてふじ)夫人(んという)夫人自称曰(ふじんみずからしょうしてしょうど)小童(うという)邦人称之曰(ほうじんこれをしょうしてくんぷ)(じん)夫人(といい)称諸異邦曰(これをいほうとしょうして)寡小(かしょうくんと)(いう)異邦人称之亦曰君夫人也(いほうにんこれをしょうしてまたくんぷじんという)

邦君の妻、君これを称して夫人と曰う。夫人自ら称して小童と曰う。邦人これを称して君夫人と曰い、これを異邦人と称して寡小君と曰う。異邦人これを称して亦た君夫人と曰う。

国の君主の妻のことは、君が呼ばれるときには夫人といい、夫人が自分で言うときには小童といい、その国の人が呼ぶときには君夫人といい、外国に向かって言うときには寡小君といい、外国の人が言うときにはやはり君夫人と言う。