切るものを切れ 藤原帰一 東大教授 

日本が五里霧中だ。出口を探さなければいけない。

こう言えば尤もらしく聞こえるけれど、五里霧中という認識が、本当に共有されているのだろうか? 

暗雲を伝える報道には事欠かない。

経済は停滞し、中国に追い越された。財政赤字が膨らみ、国債の信用を揺るがしかねない。

政権交代のお蔭で生まれた変化と言えば、首相の替わる頻度が年一回から年二回に増えたくらいい。これでいいと考える日本国民は少ないだろう。 

だが、どれ程、暗雲が立ち込めても、「このまま」ではダメだ。

「これまでのやり方」を変えるべきだという了解が社会に共有されているとは私には思えない。

それどころか、「これまでのやり方」を変えたからこそ暗雲が広がったという議論が珍しくないくらいだ。 

現在の格差社会は小泉改革の「負の遺産」だなどという主張はその典型だろう。

TPPの導入を巡っても、貿易自由化は「アメリカの圧力」だと述べる人が後を絶たない。新たな雇用機会を拡大するのではなく現在の雇用確保を求めねば社会福祉の維持拡充には賛成しても、増税には絶対反対。

現状への不満はあっても、痛みを伴う現状変革は認めないのが政治評論の多数派になっている。

既に経済大国を実現してしまった日本の課題は、かってのような欧米大国へのキャッチアップではなく、老大国の再生である。

再生にはスクラップ・アンド・ビルドは不可欠であり、切るものを切らなければ再生の資源を手にすることはできない。

現状にしがみついたままで危機を訴えても出口が見つかるはずはないだろう。 

では、何をなすべきか。

第一に、政策の目標ばかりでなく、それを実現する為に必要となる犠牲、社会コストについても政府が明示すること。

第二に、次の国政選挙までの間は、政府に権利を委任すること。

この二つは、既得権確保のための、政治から再生のための政治に転換する為に欠くことのできない条件である。

それが出来なければ、愚痴をこぼしながら凋落を放置する結果に終るだろう。