なすべき「義」と、打算的な「利」とが明白になる。 これが「義利の弁」である。 かくして義理の弁を理解すると、それまでの知識は単
なる知識にあらずして理想精神や創造力から見る「見
識」が生まれる。見識は知識の如く補うことも、また
人から借用することも不可能である。