四、「()(じん) 第四」
平成28年5月6日-5月31日

原文 読み 現代語訳
6日 一、
子曰(しのたまわく)(じんな)(るとこ)(ろにおれば)(びをなさん)(えらん)不処(でじんにおら)(ざれば)(いずくん)(ぞちたる)(をえん)
子曰く、仁なるところにおれば美をなさん。
択んで仁に処らざれば、焉んぞ知たるを得ん。
孔子が申された、
「仁の徳の厚い所におれば、見習って美いことをするようになる。選んで仁の徳ある所に住むのでなくては賢者と言えない」
7日 二、
子曰(しのたまわく)不仁(ふじんしゃ)者不可以(はもってひさしくやくに)久処(おらしむべ)(からず)不可以(もってながく)長処(らくにおらしむべ)(からず)仁者安(じんしゃはじんに)(やすんじ)知者(ちしゃは)(じんを)(りす)
子曰く、
不仁者は以て久しく約に処らしむべからず。
以て長く楽に処らしむべからず。
仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す。
孔子が申された。
「不仁者には貧しい生活をさせてはならない。
また安楽も長くさせてはならぬ。
仁者は自己の境地で満足して生きる。
知者は己の境地を社会に生かせる。
8日 三、
子曰(しのたまわく)(ただ)仁者(じんしゃは)(よくひと)好人(をこのみ)(よくひと)悪人(をにくむ)

子曰く、唯仁者は能く人を好み、能く人を悪む。

孔子が申された「心ある人だけが公平で、善い人は善いとし、悪い人は悪いとし区別することができる」

9日 四、
子曰(しのたまわく)苟志於仁矣(まことにじんにこころざさば)無悪也(あくなきなり)
子曰く、まことに仁に志さば、悪無きなり。 孔子が申された
「ひたすら仁愛を実践する心がけを持てば、決して悪をしないであろう。
10日 五、
子曰(しのたまわく)(ふと)()()是人之所欲也(これひとのほっするところなり)不以(そのみち)(をもって)(せざれば)得之不処也(これをうるもおらざるなり)貧与賤(ひんとせんとは)是人之所悪也(これひとのにくむところなり)不以(そのみちを)(もって)(せざれば)得之(これをう)不去也(ともさらざるなり)君子去(くんしはじんをさ)(らば)悪乎(いずくにか)成名(なをなさん)君子無終食之間違(くんしはしゅうしょくのかんもじんにたがうこと)(なく)造次必於(ぞうじにもかならずこれにおい)(てし)顛沛必於(てんぱいにもかならずここにおい)(てす)
子曰く、富と貴きは、これ人の欲する所なり。その道を以てせざれば、これを得るも処らざるなり。
貧と賤は、これ人の悪む所なり。その道を以てせざれば、これを得とも去らざるなり。
君子は仁を去らば、悪にか名を成さん。
君子は無終食の間も、仁に違うことなく、造次にも必ず是に於いてし、顛沛にも必ず是に於いてす。

孔子が申された、
財産と高い地位は、人間の欲しがるものである。正しい方法で手に入れたものでなければ、得たとしても安住できない。
貧乏と卑賤とは人間が嫌うものである。もっともな理由がなく貧しく、地位もないのでれば、私はそこから逃れようとはしない。
君子たる者、正当な在り方を外れて、どうして君子と名乗れるか。
君子は食事中の短時間でも正しい在り方を忘れない。
忙しい時でもそうだ。
倒れた時たってそうなのだ。

11日 六、子曰(しのたまわく)(われ)未見(いまだじんを)好仁者(このむものもふじんを)(にく)不仁者(むものをもみず)好仁(じんをこのむ)者無以尚之(ものにはもってこれにくわうるなし)(ふじん)不仁(にくむものは)者其為仁矣(それじんをなさんとす)不使(ふじんなる)不仁(ものをして)者加乎(そのみにくわえ)(ざらし)(めず)有能一日用其力於仁矣乎(よくいちにちとてそのちからをじんにもちいることあらんか)(われ)未見力(いまだちからた)不足者(ざるものをみず)蓋有之乎(けだしこれあらん)我未之見也(われはいまだこれをみざるなり) 子曰く、
我未だ仁を好む者も不仁を悪む者をも見ず。
仁を好む者には以てこれに加うるなし。
不仁を悪む者は、それ仁を為さんとす。不仁なる者をして、その身に加えざらしめず、能く一日とてその力を仁に用いることあらんか。我未だ力足らざる者を見ず。
蓋しこれ有らん、我未だこれを見ざるなり。
孔子が申された
「私は、まだ仁を好む人も不仁を憎む人も見たことがない。
仁を好む人は、それ以上のことはないし、不仁を憎む人も、やはり仁を実践していると言ってよい。
不仁の人も仁の道から踏み外さないようにする、さすれば、一日だけでも仁の実践に用いるように仕向けられる。
私は、まだ力の足りない者など見たことがない。
いや、一日さえ仁のできない人を私はまだ見たことがない。
12日 七、
子曰(しのたまわく)人之過也(ひとのあやまつや)各於(おのおのその)其党(とうにおいてす)観過斯知仁矣(あやまつをみればすなわちそのじんをしる)
子曰く、人の過つや、各々その党於いてす。過つを観れば、すなわち仁を知る。

孔子が申された「人間の過ちは誰にでもある。その犯した過ちは、それぞれの土地(郷党)、風俗(文化)に応じたものだ。人間の過ちの始末を見れば、人間性が分かる。

13日 八、
子曰(しのたまわく)(あしたに)聞道(みちをきかば)夕死可矣(ゆうべにしすともかなり)

子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

孔子が申された「朝に真実の道を悟ったら、夕方に死んでも構わない」
14日

九、
子曰(しのたまわく)士志於(しのみちにこころ)(ざすや)(あく)(いあ)(くしょく)()悪食者(はずるものは)未足与議也(いまだともにぎするにしかす゜)

子曰く、士、道に志すや、悪衣悪食を恥ずる者は未だともに議するにしかず。

孔子が申された、「男が一旦志を立てて進む時、不遇、衣装の善し悪し、貧食を恥じるようでは語るに足りない人物である」。

15日 十、
子曰(しのたまわく)君子之於(くんしのてんか)天下也(におけるや)無適也(てきもなく)無莫也(ばくもなし)義之(ぎこれとと)与比(もにひす)
子曰く、
君子の天下に於けるや、適もなく、
(ばく)もなし。義をこれとともに比す。
孔子が申された
「君子の在り方は、公平であり、偏った適正も否定もない。筋道を通すこととそれに従うことだ」
16日

十一、子曰(しのたまわく)(くんし)(はと)(くをお)(もい)小人(しょうにんは)懐土(どをおもう)君子(くんしはけ)懐刑(いをおもい)小人(しょうじんは)(けいを)(おもう)

子曰く、君子は徳を懐い、小人は土を懐う。君子は刑を懐い、小人は恵を懐う。

孔子が申された、「君子は道徳(人徳)を強く思い、小人は土地(郷土)を強く思う。君子は刑罰(の行き過ぎ)を強く思い、小人は恩恵を強く思う」

17日

十二、
子曰(しのたまわく)放於利而(りによりておこ)(なえば)多怨(うらみおおし)

子曰く、利に放りて行えば、怨み多し。

孔子が申された。「利害打算だけでの行動は恨まれることが多い」
18日 十三、
子曰(しのたまわく)能以礼譲為国乎(よくれいじょうをもってくにをおさめん)(なにか)(あらん)不能以(れいじょうをもって)礼譲(くにをおさむる)(あたわ)(ずんば)(れいを)(いかん)(せん)
子曰く、能く礼譲を以て国をおさめん、何かあらん。礼譲を以て国をおさむるあたわずんば、礼を如何せん。

孔子が申された。「礼節と謙譲の精神で国を治められよ。難しいことではない。礼節と規範を以て国が治められないのであれば、礼を活かすことができず何の役にも立たない」。

19日

十四、
子曰(しのたまわく)不患(くらいなき)無位(をうれえず)(たつゆ)所以(えんを)(うれう)不患莫(おのれをしる)(なきを)(うれえず)求為可知也(しるべきをなさんことをもとむ)

子曰く、位なきことを患えず、立つ所以を患う。己を知るなきを患えず、知るべきをなさんことを求む。

孔子が申された。「己の活躍する地位がないことを嘆かず、その地位に立つべき己の実力や人徳について反省なさい。自分を認める人がいないのを気にかけず、優れた人物を知るように努めなさい」。

20日 十五、
子曰(しのたまわく)参乎(しん)吾道一以(わがみちはいち)貫之(もってこれを)(つらぬく)曾子曰(そうしいわく)()()(いづ)門人問曰(もんじんとうていわく)何謂也(なんのいいぞや)曾子曰(そうしいわく)夫子之道(ふうしのみちは)忠恕而已矣(ちゅうじょのみ)
子曰く、参よ、吾が道は一以てこれを貫く。曾子曰く、唯。子出ず。門人問うて曰く、何の謂いぞや。曾子曰く、夫子の道は忠恕のみ。 孔子が曾子に申された「参よ、私の道は一つのことで貫かれている。」曾子「はい」。孔子がその場を出られた。門人が尋ねた「どういう意味ですか」。曾子は言った、「老師の道は忠恕のみ」と。
21日

十六、
子曰(しのたまわく)子喩於(くんしはぎに)(さとり)小人喩於(しょうじんはりに)(さとる)

子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。 孔子が申された、「君子は道理を理解し、小人は損得で判断する」。
22日

十七、
子曰(しのたまわく)見賢思斉焉(けんをみてはひとしからんことをおもい)見不賢而内自省(ふけんをみてはうちにみずからかえりみるなり)

子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。 孔子が申された、「有徳の人を見れば同じようになろうと思い、劣った人を見れば、自分はそうあってはならぬと反省する」。
23日

十八、
子曰(しのたまわく)事父母幾諌(ふぼにつかえてはきかんす)(こころ)(ざしの)不従(したかわざるをみては)(またけ)敬不違(いしてたがわず)労而不怨(ろうしてうらみず)

子曰く、父母に事えてきかんす、志の従わざるを見ては、また敬してたがわず、労して怨みず。

孔子が申された。「父母に仕えて、間違いを見つけた時には遠まわしに諌め、父母の気持ちが自分の諫言に従わないようなら、元通り謹み深くして従い、世話をして文句も言わないようにしなさい」

24日

十九、
子曰(しのたまわく)父母在(ふぼいませば)不遠遊(とおくにあそばず)遊必(あそぶにはかな)有方(らずほうあり)

子曰く、父母在せば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方り。

孔子が申された
「父母在世の時は、遠くの旅に出ない。旅立つ時は、居場所を父母に知らせる」。
25日

二十、
子曰(しのたまわく)三年無改於(さんねんちちのみちをあら)父之道(たむるなくんば)可謂孝矣(こうというべし)

子曰く、三年、父の道を改むることなくんば、孝と謂うべし。

孔子が申された、
「父の亡き後、喪に服すこと三年、父のなしてきた事を改めない生活、これが出来れば孝と言えるだろう」。

26日

二十一、
子曰(しのたまわく)父母之(ふぼの)(とし)不可不知也(しらざるべからず)一則以(あるいはすなわちもってよろこび)喜、一則以懼(あるいはすなわちもっておそる)

子曰く、父母の年、知らざるべからず。或いは則ち以って喜び、或いは則ち以って懼る。 孔子が申された、
「父母の年齢を知らないということがあってはならない。一方で長生きを喜び、一方で高齢を心配する」。
27日

二十二、
子曰(しのたまわく)古者言之(いにしえのげんのいだ)不出(さざるは)恥躬之不逮也(みのおよばざるをはずればなり)

子曰く、古者(いにしえ)の言を出ださざる、()(およ)ばざるを恥ずればなり。

孔子が申された、
「昔の人が言葉数が少なかったのは、実践できないことを恥じたからである」。

28日

二十三、
子曰(しのたまわく)以約失之(やくをもってこれをうし)者鮮矣(なうものはすくなし)

子曰く、約を以てこれを失う者は鮮なし。 孔子が申された、「控えめにしていて、失敗する人は少ない」。
29日

二十四、
子曰(しのたまわく)君子欲訥於(くんしはげんにとつ)(にして)而敏於(おこないにびんならんこ)(とをほっす)

子曰く、君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す。

孔子が申された、「有徳の君子は、雄弁でなくても行動は敏でありたいと願うものだ。」

30日

二十五、
子曰(しのたまわく)徳不孤(とくはこならず)必有鄰(かならずりんあり)

子曰く、徳は孤ならず、必ず隣あり。

孔子が申された、「人格の優れている人は孤立することはない。必ずその徳を慕い集まってくる仲間がある」。
31日

二十六、
子游曰(しゆういわく)事君数斯辱矣(きみにつかえてはやからんとすればすなわちはずかしめられる)朋友数斯疎矣(ほうゆうにはやからんとすればすなわちうとんぜらる)

子游曰く、君に事えてはやからんと、すなわち、はずかしめらる。、朋友にはやからんとすれば、斯ち疎んぜらる。 子游が言う、「主君に仕え直ぐ親しくなろうとすると面倒がられ恥辱を受けることあり。友達と交わりすぐ親しくなろうとすると向こうが逃げてしまう」。