日本の現実の姿を皆で確認しよう
篠沢秀夫 学習院大名誉教授
戦前、戦中、日本は一つ。いやさ、江戸時代から一つだ。
その事実を世の心が乱してきた。「西洋に追いつけ、追い越せ」という明治の心が西洋を手本とする余り日本を低く見、前の時代を封建制と蔑視した。
そして、昭和敗戦で、進駐軍、つまり占領軍の宣伝教育により、「日本国民は他国の民と同様に日本の軍国主義の犠牲者」とイメージされ、敗戦前の日本を批判するのを良しとするマスコミのパターンが固まった。
進駐軍の手先だ。
それが、次の世代にも引き継がれたのが進駐軍の手先の弟子だ。テレビに多かった。
だが、よかった。ソ連崩壊後、だんだんと、テレビから進駐軍の手先の弟子が消えた。
この連中は、国歌や国旗に関する論議で、日本が戦前、戦中と同じ国歌と国旗を保つことを、偉そうに批判していたが、何の効果も無かったのが、足元を揺るがしたか。
彼らが、手本のように言っていたドイツでは、戦中のナチス国家の事実上の国歌はナチス党の党歌だった。
戦後に直接占領の占領軍が作った通称西ドイツでは、戦前のドイツ共和国の国歌を復活させ、今日に至っている。(ソ連が作った東ドイツは崩壊して西ドイツに合体)。
日本では、宣戦布告に署名捺印した昭和天皇が降伏を受け入れ、その天皇を上に仰ぐ帝国政府の上に進駐軍総司令官が乗る間接占領となった(ドイツでは独裁者ヒットラーは降伏せずに自殺、国家崩壊状態で軍が降伏)。
一年して、帝国議会の手続きにより憲法改正、今日に至る。
天皇の実態にも変わりはない。象徴である。
明治以来、天皇は一兵も動かしていないし、勝手に法律を作ったこともない。
だが、昔も今も、議会を通った法律は天皇の署名捺印で公布される。
明治元年1868年の倒幕戦のとき、明治天皇は15歳で宮中にいただけ。
おお、そして国としてのまとまりは、フランスで1598年のナント勅令、日本では1600年の関が原の戦いと、両国が世界で一番早いのだ。
日本を下に見るなかれ。