易経をひも解いて見る。

 トインビーが西洋的思考で行き詰まりこの易の

哲学、即ち、変化の原理で開眼したと故安岡正篤先生は言われた。

窮すれば変ずれば即ち通ずどは易の最たる哲学である。易の哲学では物事は行き詰まるものはない。

 限りなくクリエートして行く事こそ易の根本原理ではないかと自分は思う。

 この卦の流れから

何を汲み取るかが問題。含蓄と洞察を要す。 

五十易を学べばもって大過なかるべし。

五十才くらいから本当の勉強が出来る 論語

 自然は創造無限。

  宿命は立命が肝要

 欲望は盛んなれ。   欲望なくば活動なし、

欲望には内省が必須。

真の健康人 才能、気力、気迫もあり反省もよくし自己を粛清しテキパキと処理するのが健康人。

 中 ちゅうする。

  現実の矛盾を統一してクリエートしていく働き。

総合的、統一的、進歩的作用である。

 中ちゅうは ジンテーゼ、矛盾を統一し、相対的なものを限りなく創造し展開していく

 行年 こうねん五十にして四十九の非を知り--

  今までの生活が全部駄目と知り自己改革し六十にして六十化す。

   改革をし六十になった だけの変化をする。

陰陽相対の理法①

  知能、感情は陽。

統一的含蓄的、反省的は陰。この双方がうまく 調和すれば解決しないものはない。

 陰陽相対の理法②

  陰陽は対立すると同時に相待つ、陰は陽を待って始めて中ちゅうしていく、即ち進歩向上する。

 乾 けん 元亨げんきょう利り貞てい             

   天行健なり、君子自彊じきょうしてやまず。

 坤 こん      君子、厚徳載物 こうとくたいぶつ            

   徳を厚くし、物を載す。万物生成と包容。

 屯 ちゅん   万物生成の始まり

 小貞はよろし、大貞は凶。過大は失敗する。

 蒙 もう  果行育かこういく徳とく

 童の小貞は不可、キビキビした躾肝要

 需 じゅ  成長と教育

 大童の成長は欲求--精神的飲食の必要

 訟 しょう 作事さくじ謀ぼう始し

 童の成長は欲求-

聞いて正しく教えること必要。始が肝要。

 師し もろもろの複雑と争

 童の成長と群居は争の源、力が必要。

 比ひいやな者を排斥 

 自分の感情、欲望、好みを主眼とする為悪くなりやすい。

 小畜しょうちく 知恵なくば機械化、唯物化する 童が一定の年齢に達すると内面生活、徳の蓄えの指導を

 履り   

先輩友人の意見に従い進む

社会人は童より修めた徳を履む必要。

 泰たい 外が陰で内が陽

 内面に活発な健康力あるも外は控えめ、才能に富み、満々たる迫力あるも外に表さないおだやかに保つのが泰。

 否ひ 泰の逆

 

外は陽気で活発だが内には大したエネルギーがないから直ぐ行き詰まる。見かけ倒し。

 同人どうじん 手を携えると発展

 色々と似た者が集まる--志、同業、同窓は力

 大有たいゆう 

人が共同すれば力

謙けん  円満な卦、

美しい卦

大有から謙遜へ変化すれば、発展を抑制し永続化する。人間も立派な人はゆかしい、能力、才能、金力とも。

豫よ 余裕 同人から大有、謙の徳を養うと豫。

先が見える余裕。

 隋ずい ゆとりは魅力

 時が来れば退いて自分を修める要。とんだ間違い発生の恐れ。

 蠱こ 余裕は間違による腐敗の怖れ警告。

腐敗には障害の排除を。謙から予、隋そして蠱と機微がある。この理解が易。

 

臨りん 華やかな存在 新天地の卦

 俯瞰ふかん、迎ぎょう観かん、

 

 

人格者が座につくと 参列の人が粛然とすのが

仰観、戒めのこうぜいこう 

飲み込まない、咀嚼を。好事魔多しの卦、

十分考える必要。人間、自然、社会の変化に応じて展開してきている。

 賁ひ  賁臨ひりんは臨席より上 

難問を処理して賁ひに到る。

 

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剥はく 

賁ひは一度で破れ、剥落する。

油断すると剥落しご破算

 復ふく剥が一転すれば一陽来復

 は極まる事がない。冬来たらば春遠からず。

 无妄むもう 天の下落雷

 

妄は偽り、これが無いとは、出直しには真実をのこと。

 復元には蓄積と内容の充実を。

 頤い   あご-養うの意。

 

禍の基の「口」と健康の基の「飲食」を節し徳と身体を養う。

 大過たいか 陽-の過ぎる状況。

陽が過ぎ-責任過大-更に大なる努力要す。

 坎かん 水は窪みに入る。

 苦労は人を磨き勇気や力を生み敬を受ける。

 離り 何かにつき従うか 慎重、厳正で吉慶を得る

 上経終る。

 乾坤から離まで自然の流れで推敲思索がある。易は円転滑脱、無限、無窮にして数千年の薀蓄がある。変化極まりない人間学と自然観察による人間の考察、解明がある。

 これにより限りない自由が得られる。 明日からの下経となると具体的で実践的なものとなる