ケント・ギルバードの所見   徳永圀典選

立憲民主党の本質を喝破す

 

日本共産党ばかりでなく、2017年の総選挙において「自称リベラル」勢力の主役であったと言える「立憲民主党」について見ていきましょう。

 

私は、結党の段階での、この政党の役員の顔ぶれを見た時、東日本大震災の頃の民主党政権の悪夢がよみがえってくる気がしました。

代表は、当時官房長官であった枝野幸男氏であり、最高顧問には、震災発生当時の首相である菅直人氏が就いています。この布陣を見ただけで、あの未曾有の大災害の最中、多くの意思決定において後手に回り、災害への対応を国民に向けた政治パフォーマンスの場として利用し、被害を放置、拡大させたことで多くの人々が犠牲になった時に感じた、何とももどかしいような息苦しさが昨日の出来事のように思い出されたのです。

 

枝野氏と言えば、震災の際には毎日テレビに出演して、放射能の危機について、「ただちに人体には影響はありません」という言葉を連発瑣していました。

彼の根拠を示さない曖昧な発言のおかげて、日本国民のみならず、世界中が恐怖のどん底に叩き込まれ日本という国に対する不信感が生まれました。

 

そんな枝野氏が、立憲民主党を結党したとたんに「筋が通っている」と高く評価する向きが散見されたのは理解に苦しみました。

枝野氏は、そのような人々の支持を取り付けるためか「安保法制は集団的自衛権の一部行使を容認しており立憲主義に違反し、憲法にも違反する。これを前提にした九条改憲には絶対に手を触れさせてはならない」とも強調していました。

しかし、枝野氏自身が、過去には九条の全面改正を含む憲法改正私案を発表しています。

しかもその私案は、日本共産党の新聞「赤旗」2013910日から、「民主党の枝野幸男衆院議員は「文芸春秋201310月号に「憲法九条 私ならこう変える 改憲私案発表」と題する論文を発表しました。軍事力の保有、集団的自衛権の行使、国連のもとでの多国籍軍への参加を容認する重大な内容です」

と批判されるような、立憲民主党の現在の主張とは正反対とも言える内容のものだったのです。

枝野氏は、立憲民主党を結党するにあたって、この憲法改正私案を撤回したそうです。しかし、憲法改正という国家の重大事についての、弁護士資格を持つ国会議員による改憲私案ですから、当時、枝野氏は精魂込めて考えたはずです。それをたった数年で、全面的に撤回し180度逆の主張をする現在の姿は「ただちに影響はありません」とばかり繰り返した20113月の彼の無責任な姿と重なって見えます。

民主党政権といえば、まともな経済政策を打てず、日本経済をどん底に叩き落しました。事業仕分けで科学技術振興費を大幅削減したため、日本が誇っていた技術力は一気に世界から後れをとるようになりました。そういえば、事業仕分けなるもので高圧的に「二位じゃダメなんでしょうか?」と言い放ったレンボウ氏も立憲民主党に入党しましたね。

 

尖閣諸島で中国の漁船に海上保安庁が衝突された際には、そのビデオテープを隠蔽し、海上自衛隊の艦艇に対して尖閣諸島に近づくことさえ禁止して中国の海洋進出を促進させ、さらに朝鮮学校の授業料無償化も推進しようとしていました。

日本国憲法第89条は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、又は、公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業に対し、これを支出し又はその利用に供してはならない」と規定しています。

日本国内で堂々と反日教育を行っている朝鮮学校が「公の支配に属しない」ことは明白であり、そこに税金を使うことは、誰がどう見ても憲法違反です。どの面を下げて「立憲主義を守れ!」などと言えるのでしょうか。

それだけのことをしてきた人々が、党の名前を変え、政治的主張をコロコロと変えて、過去の言動に一切の責任を負うことなく生き残ろうとばかりしている姿を見ると、国会議員の職責とは一体何なのだろうかと思ってしまいます。

 

彼らは元々、民進党のままでは次の選挙で惨敗して大半が失職してしまうと言う危機感を持ち、それでは全員で、都議選で飛ぶ鳥を落とす勢いを見せた希望の党に拾ってもらおうと考えていたのです。

しかし先方から「憲法改正に賛成するか?」という踏み絵を迫られ、それが嫌なら「排除する」と言われて逆切れ、モゴモゴと恨み節を口にしながら、希望の党への合流を諦めた人たちだけです。

 

それでもやはり、長年、政党助成金をもらいながら、ぬくぬくと生きていたので、今さら野武士みたいなマネも出来ず、それで結局「だったら新しい政党を作ろうじゃないか!」と言って、かっての民主党政権と殆ど同じメンバーで、新党「立憲民主党」を立ち上げたのです。

 

つまり、彼らの新党立ち上げの始まりは、自分たちのいた組織が倒産しかけたので、再就職のために長年お世話になった党に、後ろ足で砂をかけて飛び出してみたものの、第一志望の面接に見事大失敗し、個人事業主になる勇気もないから、再び一緒に飛び出した仲間と群れて新たに会社を興してみたら、予想以上にウケたという程度のことに過ぎないのです。

 

そのような人たちを、メディアは「リベラル勢力」だと、はやし立てたわけですが、それは「リベラル」と言う言葉に「風評被害」を与えるものとしか思えません。

まあ、「リベラル」に就いては、これでアメリカと同じような状態になっただけとも言えますし、それ以上に2017年の衆院選では「希望」という美しい日本語に対する風評被害のほうが酷かったようにも感じますが・・・。

   リベラルの毒に侵された日米の憂鬱

       ケントギルバード著

        58—62