礼の真義

この頃、特に気づくのでありますがお互いに礼をするということが少なくなって参りました。

これは社会学的に考えても大問題でありますが、

そもそも最近の人達は、なぜ互いに礼をするかということの意義を知らぬようであります。

頭を下げて礼をするのは相手の人の為にするのだ、と大部分の人は思っておる。

礼は敬の心から

その礼は、敬の心から生ずる。相手を敬すればこそお辞儀をする気持ちにもなるのです。

人間と他の動物との限界線はどこにあるかと言う事を突き詰めてゆくと、結局はこの敬の心に帰する。

よく「愛」だというのでありますが、

愛だけならば、他の動物も多少はみな持っておる。

人間である以上、愛は愛でも敬愛でなければ

いけません。

論語に「敬せずんば何を以てか分かたんや」と

言うてありますが、敬の心は人間に到って始めて生じた感情であるばかりでなく、その敬によって人を敬し、己を敬することによって始めて人間は自他共に人間となるのです。

従って、その大事な礼を忘れると、色々の弊害が発生するのは当たり前であります。

然し、それは大違いでありまして、礼というもは、

相手にすると同時に、自らが自らに対してする、と

いうのが本義であります。

在る時、一人の雲水が師家を訪ねて、礼拝した処が

師家曰くお前は何故礼拝をしたのか、

はい、御師家を敬って致しました”。

すると師家はこう言われた、それは礼ではない、礼というものは、汝に依って我を礼し、我に依って

汝を礼す”、

つまり、自分を通して相手にお辞儀をすると共に、

相手を通して自分が自分にお辞儀をする、

これが礼というものだということです。