安岡正篤先生の言葉
敬と恥の原理
子供の教育について考えますと、父と母とは非常に違い、父の任務は子供の人格を決定する教育を担当することにあります。そこで父は子供の「敬」の対象にならなければなりません。子供は愛だけでは駄目であります。愛は犬や猫でも持っておりますが、特に人の子は生まれてもの心つく頃から「敬」することを知って、始めて「恥」づることを知ります。言い換えると人格というものが出来るのです。この敬―恥の原理から、道徳とか信仰等という世界が開けて、民族が進歩してゆくのであります。その国民道徳の基盤である父子―親子が相疑うようになる。おやじの言うことがどうも信用出来ぬ、あんなことで親父はいいのだろうか、等と子供が父に疑を持つ。また父も、どうせ時世が違うのだ、俺の言うことなど聞かないし、聞いても分かるまい。一体子供は何を考えているのだろうか、というわけで子供を疑うわけです。そうなると子供は父に背き離れます。
現代信条 一
一 現代は大衆の時代である。然し、我々は大衆に混じて自己を失うことの誤りと危険を知って、自ら修めることを念とする。
二 現代は組織の時代である。然し我々は組織の中のアトム(微分子)となる機械化を斥けて、個性と自由を護持する。
三 現代はインスタント時代である。然し、我々は人生・教養の久成と熟達を期する。
四 現代はレジャー時代である。然し、我々は不善に流れることを戒めて、発憤努力する。
五 現代は国際主義時代である。然し、我々は外国に迎合する軽薄を恥として、祖国と民族の向上と品威を尊重する。
現代信条 二 傍観は許されない!!
諸君お互い果して健在であろうか。病気ではないが、健康ではないということが文明人の弱点であるように。日本も世界も、今やその運命を決する危期ではないか。この世界も国民も、各個人も共通する運命的危局を、果してどれ程良く解して居るか。傍観や孤立は許されない。それは襲い来る濁流に手を束ねて呑まれるのを待つに過ぎない。起ってこの恐るべき時代の濁流を防げ。分に応じて協力を惜しむな。互いに自ら問い、自らに答えよ。自分は卑怯ではないか、怠惰ではないか、無知ではないかと。身を挺して無心に働き、平和と歓喜の曙光を迎えよう。
現代信条 その三
諸君はお互い果して健在であろうか。病気ではないが、健康ではないと云うことが、文明人の弱点であるように。日本も世界も、今やその運命を決する危期ではないか。この世界も国民も、各個人も共通の運命的危局を、果してどれほど良く解して居るか。
傍観や孤立は許されない。それは襲い来る濁流に手を束ねて呑みこまれるのを待つに過ぎない。
起ってこの恐るべき時代の濁流を防げ。
分に応じて協力を惜しむな。
互いに自ら問い、自ら答えよー。
自分は卑怯ではないか、怠惰ではないか、無知ではないかーと。
身を挺して無心に働き、平和と歓喜と曙光を迎えよう。 完