国語と神

中近東にイスラエルと言う国がある、ヘブライ語を喋るユダヤ人の国である。古代史を見ると、ユダヤ人は悲惨な迫害の歴史を持つ民族で、奴隷にまでなり、放浪の民と言われた。ユダヤ人放浪は数千年。古代ローマ大帝国の後、ビザンツ帝国、セルジューク朝、十字軍、オスマン帝国などの支配を受け、近代まで祖国を失った民族で、世界中に離散していた。それが昭和23年、第二次大戦後、突如、米国の支援により墳墓の地・パレスチナにイスラエル国を建国した、実に数千年振りの国家回復であった。

考えて見るがいい、数千年間世界中に分散し放浪していた人間が一挙に建国が出きるものであろうか。そのキーワードは「国語と神」である。ユダヤ人は世界中に分散し放浪生活をしていても「民族の神と、民族の言葉」を各家庭で数千年間、きちんと子孫に伝え続け守っていたからこそ、一挙に民族国家が成立できたのだ。もし、彼らが、国語と民族の神を忘れ去っていたら民族集結・国家再興は不可能であったろう。

このように観てくると、民族の言葉、民族の歴史を守るということの重大性が理解できる。国際化の進展する現代、勿論、通商、政治上、外国語は必要であるが民族の言葉、歴史、文化、即ち、「日本語、国史」は確実に伝承しなくてはならぬ。我が国は二千年の歴史を持つ国、その素晴らしい日本文化は滔々として世界に拡散し、賞賛されている。多少の改善は漸次復活しているが戦後教育を俯瞰すれば極めてお粗末、国史の言葉さえ学校教育で消滅している恐るべき現実がある。「劣化した日本人」の根拠はここにある。忘れてはならぬ、国家とは、民族の精神に他ならない。   徳永圀典