他国に国民の救済を頼む情けない日本
めぐみさんのお母さんの早紀江さんが米国ブッシュ大統領に面会し、めぐみさん初め拉致被害者の救済を訴え、母の子を思う偉大なる献身に大統領は感動した。子を持つ親なら涙なしにこれらを聞くことはできない。咽ぶような思いである。
日本のマスメディアも単にこれを流しているだけである。
勿論も与野党を問わず政治家も拉致を非難するだけである。
本問題の核心に触れた発言をする人は誰もいないように私には思える。
本問題の本質は何か、それは、主権と主体性と、国家の何たるかの分かる人しか分からないのではないか。
ということは、与野党政治家は勿論も歴代政府もマスメディアも惚けており真実、真の勇気と気概を喪失した連中ばかりだということになる。
では、問題の本質は何か。
日本の国民の救済を他国に依頼する”国家”とは漫画的な構図なのである。
国家とは、奇襲してでも北朝鮮に突入し、それが戦争になっても国民を助けなくてはならないということなのである。それが本問題の核心であり本質なのである。
拉致に反対する国民も、それだけの覚悟をしてこそ、踏み切ってこそ、国家だということである。拉致された人々を放置したままとは、国家の安全、国民の安全を放棄していることなのである。
普通の国家であれば、あのアメリカがイランの人質を奇襲で救出したようにしなければ国家ではない。
日本は奇襲攻撃して救出する権利を行使せよと言う政治家・国民でなくては口舌の徒ということになるのではないか。
真の勇気・気概、国民の安全を守るということはそんなものなのではないか。
国民が拉致されて、犬の遠吠えのように、手を拱いてきた、勇気を持たぬ政治家・政府・国民・マスメディアこそ恥ずかしと思わなくてはならぬのである。
平成18年5月1日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典