中国あれやこれや P 
平成185

 1日 中国の国家戦略 アメリカへの対抗であろう。地球的規模でバランスオブパワーを構築しようとしている。本土防衛から戦略的国境防衛政策へと転換している。軍拡にはそれなりの大義が必要、即ち「敵」が要る。

その仮想敵国かアメリカ覇権主義、台湾分離主義、そして日本軍国主義である。日本に軍国主義が恰も存在しているように宣伝し、民衆に「日本憎し」を教育し結集させ毛沢東の7千万人自国民虐殺を糊塗しているのだ。

 2日 次は尖閣から沖縄

中国の先祖は周辺の民族を侵略し、征服し、東亜大陸を支配した「過去の一時期」があるが、それだけを根拠として、中国人は、そうした地域を中国の「神聖不可分の固有領土」と主張して紛争を戦後も繰り広げ侵略を行っている。

国際的に全く通用しない。だが、鉄面皮な中国は遠く離れたスプラトリー諸島や尖閣諸島まで領有を主張している。古代のシナはこれらの地は異域として存在すら知らないし島夷として王民と看做さなかった地まで主張する。海底油田を眼がくらんでいるのだ。
 3日 琉球

驚くべきことだが、台湾の中華民国は,今でも沖縄を日本の領土と認めていないという。台湾は沖縄と言わず「琉球」と呼んでいるという。

その言い分は、中国は清国以来、かって朝貢国である琉球を一度たりとも日本領とは承認していないというものらしい。
 4日 琉球2.

清国は日本への琉球の帰属を実質的に承認しているものの、そのようなものは中国人にとっては関係ないという。日清戦争以後は日本領であることに異議を挟まなくなつたが、戦後も沖縄本土復帰を認めず、取り敢えず日本政府の主権が及んでいるとの事実だけは認めるが飽くまで帰属先未定との立場だという。

実に無意味かつ無礼な態度である。これが中国人の領土観であるという。
中華人民政府は、改革開放以後の
1980年代から学者たちが沖縄を中国固有領土と主張を始めており、これも旧朝貢国は中国の版図であるとの時代錯誤の認識によるものである。
 5日 土下座外交の終着先

日本を建国したのは中国人の呉伯や除福との説があるという。中国人の中では日本の先祖は中国人だったとの見方も根強いという。いずれ中国が強国になり世界の中心になれば朝鮮やベトナムと一緒に日本人も中華に帰ってくると思つているらしい。

だから中国は日本列島を領有するなど罪の意識もないという、中華意識とはそんなものらしい。中国共産党政府は上述のように考え日本を指導、支配下におこうとして、戦略的属国化を進めている。土下座外交の行き着く先は本当の属国である。

 6日 中国人の世界観 「天に二日なく地に二王なし」というものである以上、「天下帰一統」を理想として他者との対等な共存、並存を認めないのである。

「平和共存」ではなく、中国は「一存獨存」でなくてはならないのである。一つの思想、主義の下でまとまらなければ決して「大同社会」は実現しないと考えているのが中国である。

 7日 中国人の世界観2.

中国人にとり現在の世界は、世界統一以前の群雄割拠にしか見えないという。他者不信の戦国思想であるが、世界における各国の並立は対峙、競争、混戦状態としか見ることが出来ないのである。

それは偉大なる中国が中心になることで、世界は初めて平和秩序が確立され、諸民族は平穏な日々が送れると考えているという独善思想が中華であり民主主義などと程遠いものがある。

 8日

中国人の世界観3.

中国人には万国が平等、対等でなくてはならないとの観念が中々理解できないという。日常社会でも国際社会でも、人間不信の中国人は、いつ相手に裏切

られるか分からないような対等関係を甚だ危険視し、有徳者が社会を支配しないと安心できないという。その有徳者が中国人だというのだからとても世界の盟主にしてはならないのである。
好戦的中国

中華思想による、自己中心の現中国の覇権的軍事力増強、非国際法的経済拡大は決して世界の秩序を良くしないばかりか無法的な秩序破壊への乱入のようである。とても平和愛好国とは思えない。

中国のこの野心的侵略的意図は、経済拡大により米国初め魅力があり、巨大な人口であるが故に中国を欲しい侭にしているが、いずれ各国に破壊的な禍いを齎してくるように思える。
9日 中国の歴史観は捏造

1980年代になってから中国は、国策として日本に「正しい歴史認識」を突きつけるようになった。中国の独善的歴史観に基づいたものというより内政・外交上の必要に応じて捏造されたも

のである。それは南京大虐殺、然り、三光作戦然りである。偽造された歴史を自国民に教えるだけでも犯罪的だが、ました他国にまでとはもっての外である。
10日 結党後は捏造史観

中国の辛亥革命まではまだしも、結党後の彼らの歴史は、すべてが捏造された共産党栄光史観に基づいた内容になつていると言う。それは国民党と共産党の教科書を比較すると一目瞭然だという。

国民党側も国民党中心の捏造史観だと黄文雄氏はいうのだから、中国人は根本的にご都合主義の非化学的な国民性があめのだろう。ただ「八年抗戦(日中戦争)に関しては共産党より遥かに史実に近いという。
11日 日中戦争

この戦争は世界のどの国から見ても日本軍・南京国民党軍VS重慶国民党との戦いである。日本への抗戦の主役が自分たちだとする国民党史観は正確であるという。だが、共産党の歴史観にかかると、それが共産党だつたとなる。

当時の延安政府の共産党軍である新四軍や八路軍は国民党重慶政府の指揮下に入ったものの、せいぜい日本軍、南京政府軍、さらに重慶政府軍の討伐対象になつただけで、ほとんどが正面からの戦闘を避け、来るべき国共内戦に備えて各地の拠点作りに勤しんでいた、つまり抗日戦争は国民党に任せ自らは勢力温存を図るのが基本戦略だつたのである。だが、戦後、強引に否定する。
12日 なぜか 「共産党の指導による抗日戦争の偉大なる勝利」の栄光を共産党は政権獲得の正当性の根拠の一つにしているからだ。 そして抗日戦争が、共産党軍と日本侵略軍と戦いであったとの「正しい歴史認識」を民衆に押しつけたのである。
13日

日本の敗戦

日本の敗戦はアメリカ軍に負けたのであって、中国戦線では殆ど連戦連勝、終戦時にも圧倒的に優勢な兵力を保っていたのである。 その事実を共産党は否定し、抗日の英雄的戦いを強調したいばかりに、小説もどきの戦争ストーリーを数々創作し、日本にも押しつけているのが彼等の正しい歴史認識であり絶対に容認してはならないのである。
14日 江沢民の米国への押しつけ

中国の誤った歴史観の押しつけは日本に対してだけでなく、アメリカにも行われた。江沢民は訪米して、中国のチベット侵略を農奴解放の為だと

し、リンカーンの農奴解放と同様な歴史的義挙であると強調した。台湾は中国の神聖不可分の固有領土との主張も、国際社会に対する捏造歴史観の押しつけである。
15日 中国の虐殺文化

中国がなぜ執拗に日本軍による「南京大虐殺」とか「三光作戦」を強調したがるのか、それは虐殺が中国史に欠かせないからだ。

それが無ければ教育上、戦乱の歴史としての説得力が無くなる程、虐殺は中国文化の一部となっているからである。
16日 大屠殺

中国では大虐殺を「大屠殺」と呼ぶ。屠は、春秋戦国時代、ことに戦国時代に築城技術が発達してから発生するようになつた。

敵に攻略されて城内での「屠」「屠城」だという。城を攻め落とし、城内の住民ら略奪、暴行、殺害をすることが。中国の一般的な戦争方式となったという。
17日 中国の戦争の常識

中国では、戦争=住民虐殺は常識である。だから日本軍を悪役と仕立てる為、実際に中国の多くの戦死者、戦傷者が

出た南京での「屠城」が考えだされたのである。中国での戦争文化には「屠城」だけでなく、様々な残虐行為があるのが中国歴史である。
18日 中国歴史の残虐行為 秦軍の白起が趙の降卒40万人を「穴埋め」にした事は戦国史上有名なエピソードである。数十万の死体が川を覆って 流れを塞きとめたとか、流れが赤く染まったとかの記述も史書にはしばしば見られるという。自国の虐殺文化を日本もしているように宣伝しているのだ。
19日 中国・北朝鮮の恫喝文化

中国政府が台湾に「台湾海峡を血の海にする」「台湾を血で洗う」と恫喝をしばしばす

る。北朝鮮政府が「ソウルを血の海、火の海にする」と凄むのも伝統的な虐殺文化から来るものである。

20日 日本軍の中国での戦闘

確かに日本軍は、忠勇無双で、圧倒的優位であり中国各地の戦闘で烏合の衆のような中国軍部隊を徹底的に攻め滅ぼし戦場を火の海にしたのは事実である。

然し、残虐卑劣な大量虐殺行為をわざわざ膨大なエネルギーを浪費してまでしていない。中国とは戦争文化が決定的に異なるのである。生命を畏怖し、生命を慈くしむ日本人の生命観からは決して虐殺文化は出てこないと私は確信するし黄文雄氏も断言している。
21日 アヘン戦争当時

アヘン戦争当時、イギリス軍討伐の為にかけつけた湖南軍は広州市民の豊かな生活ぶりを見て、イギリス軍と戦わない処か市民から大略奪・大虐殺を繰り広げた。

1854年から55年にかけて天地会が反乱を起こすと、両江総督葉名探は天地会軍を破り、広東全省で残党狩りをした。これにより100万以上の広東人が殺害された。これが中国人のすることである。
22日 中国の虐殺文化 広州の悲劇はまだ続く、「国父」「中国革命の父」などと崇め奉られる孫文は、一度は追放された広州の軍政府を奪還するため、他省から軍閥軍雑軍、匪賊軍を引き入れた。 こうして広州は苛斂誅求、虐殺、暴行も放火の地獄となり、挙句の果ては反抗する住民の鎮圧で2000人以上を虐殺している。これが中国である。
23日 中華人民共和国の虐殺白書

これまで断行した運動、闘争でどれだけの民衆を粛清し餓死させそして虐殺したのか。「共産主義黒書」は6000万人、「ル・フイガロ」誌は6700万人、モスクワ放送は3500万人、米国上院は5000万人と数値を示している。香港誌「争鳴」は、共産党内部資料からとして、犠牲者総数78948000人としている。

内訳は文革は2500万人、反革命分子の一掃では2470万人、大躍進では2215万人、抗日戦争時代の内部粛清は600万人、反革命活動鎮圧は874千人、長征は92千人、整風運動は76千人、AB団は4万人、三反五反運動は16千人である。中国人に災禍を齎したのは中国政府自身でありそれを日本に転化しているのだ。日本軍虐殺記念館の展示は戦後の共産党による殺害だと見られている。
24日 なぜ中国は教育に力を入れぬか

孔子以来の伝統
中国は世界一流の国家を目指しながら、教育費は世界でもビリのほうでアフリカ諸国より少ない。なぜ一流を目指し、富国強兵を国是としながら教育に力を入れないか、それは独裁体制を維持するには民衆が愚民でなくては困るからだという。

それは「民は由らしむべし、知らしむべからず」と孔子以来の伝統てある。
これは中国愚民政策の根本思想である。中国における学問とは、いかに民を統治するかを知るためのものである。

25日 中国人の自慢の愚昧 中国人からよく耳にする自慢話は「中国人は世界で最も聡明な民族だ」であるという。黄文雄氏はある中国の著名な文人に「中国では優秀な教育の人材に欠け、しかも国家がすべての情報を操縦しも言論の自由も許されない中で、ど うして民衆は世界で最も聡明になれるか」と質問した。
答えは
「中国には五千年の文明があり、中国人は生まれつき聡明なのだ」として孔子、孟子、孫子などの歴史的人物の名を取り上げて胸をはったという。
26日 愚民を見たという黄氏 黄文雄氏はその発言に一人の愚民を見た思いがしたという。現代中国の学者、識者はこのように愚昧にして非科学的な中華思想から脱却できない為に幼稚さが目立つという。今でも、学者には、体制批判に繋がりかねない独創や進歩 は許されていない。黄氏の知る限り「中国人は聡明でない」と喝破したのは魯迅一人しかいないと。日本に対する中国政府の言動を冷静に見れば、いかに幼稚な理論に立っているかが良く分かる。無知蒙昧である。
27日 中国人は農耕民族に非ず 中国人は土地への定着性が高いと一般的には思われているが実際はそうではない。この国では中華帝国が誕生して以来、戦乱水害、旱魃、疫病が時代とともに拡大し再生産さ れ続け一度に農民は流民となり四方八方へ流れて行きた。ことに六朝の時代には北方の騎馬民族の侵入を受け、中原の農民は江南まで流れた。「五胡乱華」を受けての漢民族の南方大遷移である。
28日 中国の徴兵制 歴代王朝により多少は違うが基本的に徴兵制と言うより強制連行が主流であった。このような兵士だから内戦で勝てば略奪行為におよび、負けたら何も残らない以上、専ら略奪で生き抜こうとした。中国の兵隊が「兵匪」と呼ばれ住民が恐れられた。 社会主義革命後に中国人民を待っていたのが、都市から農村への下放、生産建設兵団に入れられ新疆などの辺境への移動という流転、文革時代になると、農村の生産隊から北京の中南海に至るまで革命による翻弄を完全に免れ得た人間は殆どないと言われる。
29日 自閉国家中国 歴史的に中国は極めて閉鎖的な帝国、陸禁、海禁を緩和した時代はあるが短い、開放はここ20年来の改革志向後である。海を見たことのない中国は多い。 現今でも中国は囚人国家で観光地の開放も完全ではない。中華帝国時代から人民中国まで自閉国家である。それはその文化・文明によるものであろう。その中華文明以外は野蛮な夷狄であると決め付けていた。
30日 中国の三つの集団 中国の伝統社会は三つの集団により構成されていた。@城市(官僚が支配)A農村(地主が支配)B江湖世界(匪賊が支配) 江湖世界は水滸伝の世界、このような中国社会で、農民は官僚、地主からだけでなく、匪賊からも略奪対象とされていたのである。
31日 社会主義後 中国の社会も社会主義の出現で一変、匪賊世界は解消され、都市と農村という人為的区分けがされ、そして固定され、農民の都市へ移入は子々孫々まで禁止されたが2006年にはこれも解消されようとしている。 改革解放後は都市と農村の壁は崩壊中、そして1億近い農村人口が「盲流」となり都市へ流れている。彼らは外の社会を知らず伝統的な「囚人」扱いで、不安定要素であり悲劇の民であろう。