日本あれやこれや その25 
                     徳永圀典の「近世・俯瞰的世界史」植民地支配の真実

平成18年5月

 1日 欧米式の植民地は皆無の日本

欧米人は、地球の反対側にまでの国々に侵入して、武力で原住民を殺害し、或いは奴隷化して、本国の利益の為だけの侵略・略奪行為をほしいままにしている。

日本は、すべてお隣りの土地と住民を武力でなく条約により国際法による合法的に合併したものである。
欧米のそれと同日に論じるわけには行かない。

 2日 日清・日露戦争

朝鮮半島に清国が侵入してきたのを追い払ってやったのが日清戦争である。やがてロシアが朝鮮半島に侵入しそうなので追放したのが日露戦争である。両戦争とも日本人が血を流して朝鮮半島を守ってやつたのである。

だからと言って日本は直ちに朝鮮を併合したのではない。併合したのは初代総理伊東博文を韓国人安重根にテロで殺害された翌年の明治42年である。これは敗戦後の総司令官マッカーサーを日本人が殺害したら日本は間違いなくアメリカに併合されていたのと同様な事態である。
 3日 台湾と樺太

台湾は日清戦争の賠償として合法的に譲り受けたものだ。

樺太は同様に合法的にロシアから譲られたものだ。
 4日 朝鮮合邦までの経緯

日本の明治の元勲、初代総理の伊藤博文は朝鮮との合併には終始反対していた。明治初年には征韓論の西郷隆盛の頃からあったのを抑えてきていたのである。

伊藤が朝鮮合併に反対したのは台湾経営から学んだ経験、即ち明治天皇の「一視同仁」の思想、日本人と同じ生活レベルに引き上げる為に、教育・鉄道・病院など民生向上に莫大なコストがかかるからである。
 5日 日韓合併の動機は安重根

朝鮮合併は明治43年の明治末期である。それは征韓論反対の元老・伊藤博文が明治42101909年に朝鮮人・安重根が伊藤博文を暗殺した翌年である。

年代

事項

明治6-1873

征韓論起きる-中止

  8-1875

江華島事件

  9-1876

日鮮修好条規-江華条約

 15-1882

壬生の変-斉物浦条約

 17-1884

甲申の変

敗戦直後のマッカーサーを日本人が殺したと同然である。もしそうなら日本は完全にアメリカに合邦されたであろう。同様な事態である。

 18-1885

日鮮漢城(京城)条約・日清天津条約

 27-1894

東学党の乱・日清戦争

 28-1895

下関条約

 37-1904

日韓議定書・第一次日韓協約

 38-1905

第二次日韓協約―統監府設置

 40-1907

ハーグ密使事件・第三次日韓協約

 4210-1909

伊藤博文、ハルピンで暗殺

明治43-1910

日韓併合条約―総督府の設置

 6日 朝鮮伝統の「事大思想」

より強い者に従うと言う朝鮮の伝統思想で、矢張り韓国は中国と同じである。強い者に弱く、弱い者に強いのが両国と特徴。日本とは全く本質的に違う異民族である。

伊藤殺害から朝鮮では澎湃たる「日本との合併運動」が盛り上がった。李容九の「一進会」は100万人の署名を集めて合併請願運動を起こしている。
 7日 朝鮮合併に慎重な日本 日本政府は慎重であった。清国・英米の列国が東アジア安定の為に朝鮮半島の日本合邦は必要であると諸国 は皆同意したのである。当時、朝鮮半島はアジアのバルカン半島と言われて動乱が絶えなかったのであったからである。
 8日 当時の朝鮮

当時、親日派だけでなく、親ロ派、親清派もいたが、多数派の親日派の世論に従い日韓併合が選択されたのである。この時、親ロ派に追随していたら、今の北朝鮮同様な悲惨な共産国になっていたのは間違いない。親清派につけば中国の属国として永久化していたであろう。

日本についたお陰で今日の韓国はアジアで日本に次ぐ繁栄を享受しているのは史実である。韓国民にとり日本につくことは正しい選択をしたことになる。雑誌ウィルの渡部昇一先生の論説のタイトルのように「恩を仇で返す」ようなやり方は人間として見ると実にサモシイ、日本人と異なる憐れな性である。
 9日 日本の統治政策

それは韓国の近代化と同化であった。故に社会資本は整備され、ハゲ山を緑に戻し、生活の向上を計った。特に教育の普及が韓国の近代化に与えた影響は大きい。昭和11年には一面一校(一つの村に一つの小学校)が完成、2500の公立普通学校ができた。優秀な学生は日本の大学でも士官学校でも差別なく進学可能であった。

京城帝国大学は、大阪帝国大学、名古屋帝国大学より先に創設されたのである。欧米人の植民地でこんな教育を施すなど考えられない。韓国人は何を逆恨みするのか、妙な国民性である。白人は植民地に高等教育するし謀反を起こすから絶対にこんなことはしていない、韓国人は正しい歴史を厳しく受け止めなくてはならぬ。それが自分の国の未来の為であろう。
10日 梨本宮方子さま

当時、日本と韓国両民族の間には、日本と朝鮮の融和、運命共同体という言葉が流行った。日本と韓国との結婚も奨励され、明治天皇の孫に当たる梨本宮家の皇女方子(マサ)を李王家に嫁がせ、彼女は韓国人に慕われて生涯韓国の為に

尽くされたことは有名である。方子さまは、韓国の福祉運動に献身され、韓国のマザーテレサとまで慕われたではないか。これは日本の誠意であり正真正銘融和を示していることを何故認めようとしないのか。人間が悪い気がしてくる。
11日 創氏改名

日本植民地の悪政の一つとして反日家が持ち出すが事実ではない。官から押し付けていない。朝鮮人から進んで願い出たものである。日清・日露に勝利した国の日本名なら大陸でも大手を振って進出できたからである、それが中国と同様な韓国の事大主義である。

日本の士官学校を出て簡単に日本人でもなれない陸軍中将にまでなつた浩思翊や、日本の国会議員になった朴春琴氏などは朝鮮名のままではないか。欧米の植民地では有り得ないのに認めようとしないのでは日本が切れるのは当然である。
12日 戦後の韓国の反日理由は 極端に韓国が反日になったのはマッカーサー占領軍が日本に進駐し、抗日の闘士・李承晩をアメリカから連れて来て大統領にした。 李はアメリカに従い、東京裁判を有利にする為に、日帝36年の日本の悪行を捏造し反日を国是とし韓国人の反日感情を扇動したからである。未来に備えた米国の日韓分断の布石である。
13日 日本は江戸時代から親韓国

日本は江戸時代から明治以来、一貫して反韓思想もなく、反韓運動もなかったのである。これは歴史的事実としてある。親韓国なのに、隣国の韓国が一方的に反日政策をとるとは実に不幸なことである。これは韓国に原因がある。

韓国では日帝36年を反日スローガンにしているが、実際は34年数ヶ月である。都合よく切り上げて、四捨五入を使い36年にしている。歴史的事実ではない。このように明白なウソを平気でつく韓国、それはソウル大学の黄教授の研究論文の国際的大問題で露呈した。矢張り、韓国は信用できない。

14日 台湾は中国の厄介者 台湾は日清戦争の結果、下関条約により清国から割譲された。当時の台湾は蛮族の住む未開の地、清国は「化外の地」として中国にと り厄介者を日本に押し付けたのである。百年前の台湾は、亜熱帯雨林に覆われ恐ろしい風土病と毒蛇の出没し人口僅か250万人、現在の十分の一であった。
15日 日本の台湾経営 台湾総督は、一視同仁の皇民化政策で、莫大な資金を使い道路、鉄道、電気、学校などの社会基盤の整備に全力投球した。 特に教育の普及は住民の知的水準を高め、忽ちにして野蛮国から文明国となった。戦後アジアで日本に次ぐ経済発展国に成長した。日本の台湾経営が見事に成功したのである。
16日 台湾の道義 台湾には今でも二宮金次郎の像が、勤勉と儒教精神の鏡として尊敬され、教育勅語や天皇の御真影を大事に守っている家がある。 戦後の台湾が優等生になれたのは、基本的には日本統治時代の社会基盤の整備の上に、日本からの資本と技術移転の波に乗り、日本文明の一つのサブ・システムの役割を果たした。台湾がミニ・ジャパン、第二の九州と言われた所以である。
17日 台湾と海南島 海南島は中国大陸の南の海上にある九州や台湾と同じ面積。台湾の一人当たりGNPは1万ドル、海南島の国民一人当たりの GNPは台湾の60分の一であった。それは現在は兎も角、中国の政策がいかに劣っていたかを示す、百年前は同じ地理的・歴史的条件であった。
18日 日帝36年の韓国・50年の台湾 韓国のスローガンは日帝36年で日本統治を恨むが、それなら日帝50年の台湾はもつと悪政が続いて韓国より悪い筈である。 処が逆に、韓国より戦後いち早く繁栄してきたのは何故なのかと聞きたいのである。受け止める人間の方が悪いのである。
19日 フィリピン フィリピンの住民は、隣国の台湾は島国なのに台湾と比べて貧しい。自分たちも台湾のように日本の植民地になつていたら、どんなに豊かになり良かったかと残念がつて いた声がある。白人の植民地と日本のそれとの差は戦後の各国の姿に如実に反映しているのである。アメリカ支配のフィリピンと日本のそれの台湾の違いで自明である。日本は誇ってよいのである。
20日 各国王室の紋所 西洋の王家の紋所は、ライオン、熊、双頭の鷲といった猛禽類である。英国王室は、先祖が海賊(バイキング)の子孫であることを誇りにしているのである。

日本の皇室は、菊、徳川将軍は葵の御紋である。
各家の家紋もすべて植物で構成されている。平和で温和な民族性のある日本人である。

21日 人類と動物の生態分布 ユーラシア大陸の真ん中に虎や狼のような強い肉食類が棲み、有袋類のカンガルーやコアラが大陸より遠いオーストラリアに逃れて、やつと生き延びてきたのである。マレーや朝鮮は弱いから半島に逃げてきたのである。 大陸の中央にはジンギスカンを生んだ勇猛な蒙古族が占拠している。それは周辺の移民族を蹴散らして、弱い民族ほど辺境の山奥や半島、島に追い立てられたのである。日本人など半島から更に前方の島に逃れてきたコアラのような争わない温和な民族なのである。
22日 日本列島 日本列島は自然が豊かで、気候温暖、花鳥風月を愛し、義理人情に心を動かしも大陸の民のような荒々しい闘争心が育っていない。 ラジオとかテレビで中国人とか北朝鮮のアナウンサーの喧嘩のような発声を耳にするが、刺々しい、日本人の穏やかなトーンと大違いである。
23日 宗祖に見る民族性 キリスト教徒は、十字架に架けられたキリストの血の滴る残酷な刑死の姿を毎日拝んでいるのである。 対して、仏教徒はお釈迦様の涅槃の安らかに横たわる姿に親しみを感じる、観音さまも如来様も血と無関係である。慈悲に満ちた温かい安らぎがある。
24日 性善説の日本人 それは草食民族と狩猟民族の違いである。農耕民族は自然が相手だから勤勉に正直に働けばその分だけ報われる。 狩猟の民は、ワナや囮をかけて相手を騙すことが商売で、そして平気である。日本人はだから騙され易いのである。
25日 白髪三千丈 中国の謂いである。大袈裟を平気で述べるのは南京大虐殺の彼らの宣伝どおりである。 白を黒と言い含めて罪悪感がない、タカリ習慣の国民性、又国際法の無視も平気の平左である。
26日 日本の軍隊 明治以来、日本軍は規律正しい統制の取れた模範の軍隊として世界的に定評があった。それは、韓国とか中国でのサッカーの試合、イラクに派遣のアメリカ軍の幼稚さ等々勘案すれば容易に分かる筈である。武士道の残っていた戦前から明治なら当然のこととしてて分かる筈である。軍人勅

諭、戦陣訓の下に厳粛な軍律があって、占領地での略奪・強姦など有り得ない。外国の軍隊は、白人もそうだが、シナの軍隊は馬賊と言われたように、侵略先の村町を破壊し、泥棒しや強姦はやりたい放題、それか゜唯一のサラリーでありボーナスだからこの時とばかり悪事を働くのである。

27日 南京入城

南京入城における松井石根大将の軍隊の整然たる規律正しさは、当時の世界の新聞に報道され、欧米居留民を安全に保護したことなどで感動された事実を伝えている。戦いが終わり無抵抗な民衆を虐殺するような行為は日本人の心情

として出来ることではない、シナの兵隊が自分たちが通常していることだから、日本軍も当然やつた筈だと勝手にでっち上げたのが南京事件の真相である。南京事件が無かったことは日本の学者により証明され、信用ある多くの著書が出ている。
28日 日本軍の真実の姿

赤い夕日の満州の「戦友」と、乃木大将の「水師営の会見」の歌詞に集約されている。「戦友」は“軍律厳しき中なれどで分かるように、戦場でさえも戦友を助けることが出

来なかった我が軍律の厳しさと友情を歌っている。「水師営の会見」は“昨日の敵は今日の友”で敗者をも、ねんごろにいたわる日本の武士道精神が脈動し世界の人々を感動させたのである。
29日 敗者に見る日米比較

日露戦争終結後の勝者としての日本の敗者に対する寛容さ、日米戦争における勝者としての米国の日本に対する残虐性を対比すると、日米どちらが武士道・騎士道に従っているかは明白である。まず、日本、日露戦争終了で乃木大将は敵将ステッセル将軍を水師

営に招き明治天皇の大勅(みことのり)を伝え、昨日の敵は今日の友として遇し、敵の防備の素晴らしさを称えている。大量のロシア軍の捕虜たちは四国各地の町で住民に懇ろに扱われ、途中死んだ将兵をも厚く葬り、今でもその墓所には市民の献花や清掃が続いている。
30日 敗者に見る日米比較2.

日米戦争の戦後処理では、アメリカはどうしたか、日本の将軍や指導者を残酷な絞首刑に処した。しかも事後法であり無罪の者さえ死刑にした。

不法な東京裁判で5千人もの人々を刑務所に放りこんだのである。日米彼我の民族性の残虐性の違いが武士道と騎士道の違いが明確となるのである。
31日

温和に大和心だが

大和心は温和でみやびやかなものであるが一旦、侵略者の挑戦とかの国難に遭うと、世界の正義を守る為には、身を賭して毅然として戦う大和心に変心するのが伝統である。

日本民族は、このように文武両道を具えた優れた民族である。