次の内閣は日本の歴史的瀬戸際となる

次の内閣は中国共産党の言いなりの日本になるか、独立を維持できるかを決定するという点で歴史的瀬戸際に立たされる。これは聖徳太子以来の歴史的なものとなる。 

元外相秘書官で、元NHK記者であった渡部亮次郎氏は言う。

「私はNHK記者として日中国交正常化に立会い、外相秘書官として日中平和友好条約の締結交渉に携わった。周恩来、華国峰、ケ小平らの謦咳に接し、心底「日中友好」を祈念してきた。 

しかし、と氏は言うのだ。 

「いまや、日本は騙された、そのの責任は重大、謝罪せざるを得ない。自分は既に齢70、これでは死んでも死にきれない」と。 

19725月の田中内閣成立までの中国政府の日本政府非難は、聞くに堪えない苛烈なものであった。

池田内閣も、佐藤内閣も、中国との関係正常化無しにアジアの安定は有り得ないことは当然承知していた。 

それぞれが、それなりに心を砕いていたのを見ている。それなのに「保守反動勢力」という中国の呼び方は心胆を寒からしめた。 

処が、公明党が中国と往来するのと前後して田中角栄内閣が成立すると、中国は日本非難をパタリとやめ、「戦争賠償は請求しない」と言い出し、就任早々の田中首相を北京に招き入れることに成功した。 

北京晴天、日中友好万歳。人民大会堂でマオタイ酒に酔った角さんをまざまざと思いだす。 

東京を訪れたケ小平氏は天皇陛下への拝謁後は態度を急変、一歩下がって敬意を表したではないか。 

新幹線に乗り、「これから行う4つの現代化を激励されているみたいだ」と言う趣旨の甘言を弄したではないか。 

福田康夫氏はその時、総理秘書官として現状を認識した筈だ。 

少なくとも共産党中国が今日の発展を具現することが出来たのは、戦後の困難を乗り越えた現代日本の物心両面に渡る協力があったからこそだ。 

それを否定できる程の歴史音痴は中国首脳にはいないはずだ。 

それなのに今日の中国は靖国神社否定を要求し、まるで属国扱いだ。 

日中友好に我々は騙されたのだ。応じれば今度は、憲法改正に絡んでくることは間違いない。 

彼等の要求は経済的、儀礼的な問題ではなく、日本を自分達の言いなりになる国だと世界に示すための威嚇運動以外の何物でもない。 

これに応えようとする福田康夫を総理にしては絶対に駄目、安倍晋三氏しかない。 

国民は銘記しマナジリを決して言わなくてはならぬ。 平成1853

 

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典