平成27年6月 安岡正篤の言葉  徳永選

 

帝王学

 帝王学とは、人の上に立つものが、どうしても身につけなければならない学問、つまり「エリートの人間学」であり、その基本は三つの柱から成り立っている。

1.     原理原則を教えて貰う師をもつこと。

2.     直言してくれる側近をもつこと。

3.     よき幕賓(直言してくれる在野の人物)をもさことである。

            男子志を立つべし

 

(えん)尋機(じんのき)(みょう) 

仏語に、縁尋機妙という語がある。縁尋機妙とは、縁が尋ね巡っ

て、そこここに不思議な作用をなすことである。縁が縁を産み、新

しい結縁の世界を展開させる。人間が善い縁、勝れた縁に逢うこと

は大変大事なことなのである。これを地蔵経などは聖因・勝因とい

う。     安岡正篤先生随行記

省の意味

 省の字、誰もこれをかえりみる(○○○○○)と読んでおるが、これだけでは五十点。今一つははぶく(○○)()いう言葉がある。この省の字をつくづく味わってみると、かえりみてはぶくことの一番根源的なものは自己であるから、人間の存在そのもの、その生活、また従って政治にしろ。道徳にしろ、人間に関する一切はこの()に尽きると申して宜しい。 

論語・老子・禅

気骨は根本的要素

 骨に気を載せると「気骨」。気骨がない人は、どうにもならない。気骨のない人間というのは、平和で機械的なことをやらすことは出来ますが、一朝、事が起きて誰か責任をもってやらなければならない非常時には、だらしなく役に立たないものです。骨力とか気骨は人間の根本的要素で、人格の第一次的要素であります。            運命を創る

機に注意

 すべて物事には機というものがある。ここと言うところを活かすか、逸するかで大局に大きくひびく一点を言うのである。商売に商機あり、政治にも政機がある。物理学者もシンギュラー・ポイント、singular pointを重視する。数理や普遍的原則ばかりでなく、特異的に注意せねばならぬ事を説いている。一片の煙草の吸殻はそれ自体何ものでもないが、この微物が時に大山火事を惹き起こすのである。              新憂楽志

 

機は造化の一点

 造化というものは「機」の連続である。自然の造化の働きには絶えざる変化がある。その変化には変化の微妙な一点がある。これはみな機であります。こうして、変化あるいは造化の一点を機という。商売には商機というものがあり、政治には政機というものがある。何ごとも機というものがある。機というものをうまく捉えれば我われの考えも行為も活きる。       禅と陽明学

四耐四不 

耐冷 ― 冷遇に耐え 耐苦 ― 苦しさに耐え 

耐煩 ― 煩わしさに耐え 耐閑(ひま)に耐え

不激 ― 激せず  不躁(さわ)がず

不競 ― 競わず 不随(したが)わず(=付和雷同せず)以て事を成すべし

我々は退屈するということは案外いけないことなのです。我々が働くことによって消費されるエネルギーよりも、退屈することによって消費されるエネルギーの方が大きい。退屈するということは非常に疲れることであり、毒なことであるということが、最近、医学的にはっきり実験、証明されております。だから、その意味においても、我々は退屈してはいかん。あくまで、敏、敏求、敏行でなければならぬ。昔から四耐ということがあります。四つの忍耐、一つの冷ややかなことに耐える、人生の冷たいことに耐える。第二は苦しいことに耐える。第三は煩わしいことに耐える。第四は(かん)に耐える、この閑、退屈に耐えるということが一番難しいことです。「小人閑居して不善をなす」というのは名言であって、そこで退屈せぬように、とにかく自分が日常絶えず追求すべき明確な目標を持ち続けておるということです。 暁鐘