安岡正篤先生「易の根本思想」4
平成20年6月度
干支の本義
1日 | まとめー 「干」の本義 えは兄、とは弟で干支を構成。 |
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2日 | 「支」の本義その「1」 |
子 孳で、陽気が色々に発現しようとする動き。 |
丑 紐で、生命エネルギーの様々な結合。 |
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3日 | 「支」の本義「2」 |
寅 演で、形をとっての発生。 |
卯 冒に通じ、開発の意。 |
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4日 | 「支」の本義 「3」 |
辰 震・申に同じ、生の活動。 |
巳 已に通じ、陽盛の極、漸く陰に移らうとする所。 |
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5日 | 「支」の本義 「4」 |
午 忤に通じ、上昇する陰と下退する陽との抵触。 |
未 昧で、陰気の反映。 |
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6日 | 「支」の本義 「5」 |
申 陰気の支配。 |
酉酒熟して気の洩れる象。陰気の熟する所。 |
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7日 | 「支」の本義 「6」 |
戌 恤であり、滅である。統一退蔵。 |
亥 核で、生命の完全な牧蔵含蓄。 |
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8日 | 「支」の 「まとめ」 |
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9日 | 注 |
これを動物にあてはめたのは、民間に普及するにつれての仮託である。 |
八卦に干支が応用されて今日まで弘く民間に普及しているものの一は方位である。 |
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10日 | 先天図 |
先天図は伏義八卦図とも称され説卦伝第三章に見ゆる天地位を定め山澤気を通じ雷風相薄り |
水火相射はず、八卦相錯はるの一文を立説の根拠とするが、牽強付会の点あるを免れない。 |
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11日 | 後天図 |
後天図は文王八卦図と称され、説卦伝第五章に本づく。これに十二支を配するは、後世易家の説であるが、 | 艮・北東をウシ・トラ、巽・東南をタツ・ミ、乾・北西を、イヌ・イと呼ぶのは、皆これに本づくことは図を一見すれば容易に理解出来よう。 |
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12日 | 数 |
陰陽五行思想の発達は、一方に於て数というものについての観念が深くなっていったことに大いに関聯がある。 |
数は、あらゆるものを抽象し、同質なものにする。同質なものになれば、あらゆるものは対等になり、簡易になり、明瞭になる。確実に感ずる。 |
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13日 | 数の重要性 |
数はその同質化・簡易・明瞭の為に、却って何ものかの象徴と感じ易い。事実、同質化には前提や仮定がなければならない。これを遺れると危険である。 |
アリストテレス派の学者は自然は質的なものであり、数とか量とかは相対的にはさして重要なものではないとしたがプラトーは宇宙の根本様式として、数の重要性を強調し、統一體から多様が発生する過程は必ず数学的であるとしている。 |
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14日 | 数字は科学の言葉 |
プラトー学派のニコラス・クザヌスも、数とは創造主の意に存する第一の原型である。認識は常に測定であると説いているが、この認識が科学を発達させたことは、疑の無いことである。 |
数字は科学の言葉と言われ、量と数との新しい発見・研究・応用が近代文明を作ったといって過言ではないであろう。 |
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15日 | 奇と偶 |
易経では、陽は「奇」であり、陰は「偶」である。 | その陰爻を六と呼び陽爻を九と呼ぶ。 |
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16日 | 六は完全数 |
これについては諸説がある。尤もわかり易く言えば数は一から五までを生数六から十までを成数とするが五は生数のすべてに配して成数を生ずるものであるから五とその倍数との十を去っ |
て、六七八九を採り、陽は進むを以て九を老陽とし、陰は退くを以て六を老陰とし、六を以て陰爻を結び、九を以て陽爻を呼ぶとするのである。 |
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17日 | 完全数 |
聖アウガスチヌス(西紀400年前後)は、神は世界を六日間に創造したといい、六は完全数で、 |
最初の三つの整数、一・二・三の和であり、積であると説いているのも面白い考である。 |
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18日 | 学問をしぬいている人間 |
1703年(元禄16年、清・聖祖42年)1月、清国に布教していた牧師のフーゲェから朱子集注の易経を始めて見せてもらったライプニッツ(A.D.1646−1716)は、六十四卦の表を見て非常な霊感を得た。 |
それは彼が二十数年前に発明した二元算術に符号するものであった。幕末浪華の篤学山片蟠桃も「卦爻の象ばかりにて実に無量の味あるもの也」と云っている。学問をしぬいている人間の直感は偉大である。 |
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大極と中 |
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19日 | 動物と植物の区別 |
現代の科学は智能を絞って宇宙と物質の究極に迫っている。生理学者はついこの間まで、人間は細胞からできているとして、細胞を重んじていたが、動物細胞の中にあるものが、次第に植物細胞の中にもあり動物・ | 植物の区別は、その点で全くなくなり、細胞の研究が進むにつれて、細胞学などという限られたものはなくなる始末で、いづれの学問への到達に熱心な努力を続けている。 |
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20日 | 物質の究極 |
物質の究極も、分子から原子、原子から素粒子、素粒子から基礎粒子、中でも中性微子といよいよ精細になってきておる。 |
電気学的にいうと、宇宙の究極は玄微な陰と陽との電気の極度の張力の帯電状態とも考えられている。 |
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21日 | 宇宙人生の究極 |
易も宇宙人生に究極を考えた。繋辞伝に易に太極有りと云っている。それを符号の一で表す。これは単なる線でもなければ、 |
所謂「場」に止まるものではない。二千年後思いもよらなかった科学がこれを研究してくれていることを私は無限の感興を以て注意しておる者である。 |
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22日 | 無極の真 |
易の本然に返って説けば、太極の一は創造概念を表すもので、即ち金であり、一であり、絶対である。故に相待的な何ものでもないので、これ又無極という。 無極という言葉は易にもその他の儒書にもない。 |
これは宋学の先駆周濂渓が恐らく老子・荘子・列子等にあるこの無極の語を活用して太極図説に始めて立てたもので、彼は無極而太極があり、その無極の真が陰陽五行の精と妙合して造化が行われることを説いた。 |
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23日 | 太極は造化の究極 |
太極の外に無極があるのではない。無極が太極であるから「無極而太極」である。太極を国家的に言えば、皇極(尚書洪範)であり、国民的に言えば、民極(尚書・周禮・天官)である。 |
太極は造化の究極であるから、無限のエネルギーを含む核の状態、極度の張力の帯電状態と言うことができる。 |
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24日 | 「易」は「中」を説く |
造化は太極から自己を実現発揮してゆく努力過程である。そのいかなるものにも偏向・分裂・固定せず、常に全一・調和(太極)を保って、生成化育することを「中」と言う。 |
「太極」を「中」とすることは漢魏以来の通説で、王陽明の先蹤・陸象山がこれを力説した。易は全く「中」を説いたものである。事実易経の十翼は四書の中庸と相通ずる所が多い。 |
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25日 | 君子而時中 |
「中」の字の用法は興味深い。 中庸に君子而時中とある。これはどうしても、時中と読まねばならぬ。時に中すなど読 |
めば、どんな俗解・誤解になるかもしれない。強いて訓ずるなら「これ中す」とでも訓むべきであろう。 |
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26日 | 道に中す |
あらゆる場合に生成化育の本道を進むことである。同書に従容・道に中すとある。 |
この頃の曲学阿世のうろたへぶりを見る時、痛切な響きがある。 |
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27日 | 志に中う |
あたると訓んで、及第する意にも使うが、これも良く分かる。 |
合う、一致する意にも使う。「吾が志に中う」などである。 |
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28日 |
心中 |
的中と云って、矢を的に射あてることに使うのも、それこそあたっている。 |
誰が用いだしたか、この世で添われぬ男女の天国で結ばれようと共に死ぬことを「心中」とは言いえて妙である。男女共に浮ばれることであろう。 |
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29日 | 中傷・折中 |
悪い方では、毒や風邪や感冒にあたるに使い、中傷と云って、傷つける意味にも用いられる。 |
「折中」の語も適切である。悪を折いて始めて解決し、進歩する。故に折は「くじく」であり、「さだむ」と訓む。合せて二で割るようなことは悪への譲歩であって何ら解決にならぬ。 |
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30日 | 中は難い |
「中立」も双方に憚って、或は狡く打算して、どちらにも與せず孤立するような意味ではなく、不正に偏向せず、堂々と自ら大道を行くことである。 |
故に、中は難い。天下国家も均しうすべきなり。爵祿も辞すべきなり。白刃も踏むべきなり。中庸は能くすべからざるなり(中庸)とある所以である |