佐藤一斎「(げん)志録(しろく)」岫雲斎 補注  

わが鳥取木鶏会で言志録四巻を5-6年前に輪読し学んだ。
このホームページに記載されないのが不思議だとの声が関西方面からあった。
言志禄は、指導者たるべき者の素養として読むべきものとされたものである。
言志四録の最後の言志耋録(てつろく)佐藤一斎先生八十歳の著作である。
岫雲斎圀典と同年の時である。

そこで、思いを新たにして、多分に、愚生の畢生の大長編となるのであろうが、
言志四録に大挑戦することを決意した。
平成23530日 岫雲斎圀典
平成23年6月

 1日

序めに
 岫雲斎

私は、人間を見る尺度として、
先ず第一に、礼儀と言葉遣いである。
第二に、ボディ・ランゲージでそれを確認している。

第三は、学歴とか地位、財産とかは一切無用で判定する。特に引退後の人物の姿勢を洞察し、社会人として、過去を捨てた本来の人間性が出来ているか判定している。個人としては、健康、謙譲を最大の眼目としている。
 2日 言志録

佐藤一斉先生

この書名は、論語・公治長篇からの出所と言われる。孔子が弟子の(がん)(えん)()()に言う、「なんぞ各々(なんじ)の志を言わざる」、各自が志を言い終わり、子路が孔子に「願わくば()の志を聞かん」と言う。孔子が「老者は之に(やす)んじ、朋友は之を信じ、少者は之を(なつ)けん」と答えた故事がある。 その各々その志を言う、これが言志録の語源であると言われる。因みに、

(げん)志後録(しこうろく)(先生57歳以後10年間)
(げんし)()晩録(ばんろく)(先生67歳より78才まで)

(げん)()耋録(てつろく)(先生80歳に起稿し二年間)である。
まとめて言志四録である。
岫雲斎も申すことにする。
 3日

当時の社会情勢

文化10年は徳川11代将軍家斉、江戸の文化は爛熟の極みで頽廃の兆しあり。鎖国ながら海外の情勢は不穏、外国は刻々日本に迫るが300諸侯は、世は太平なりののん気さは現在と酷似している。 先生が耋録(てつろく)上梓(じょうし)された嘉永6年ペルーが浦賀に来航し幕府の威信は地に落ちた、国内情勢一変の時で、これまた現在の日本の事情と岫雲斎の年齢と酷似している。先生は、この社会情勢を見て各般に亘り語録で警告されたと言えるのである。
 4日 西郷隆盛 言志四録は西郷南州に愛読された。また多くの明治維新の志士たちに愛読されたと言われる。 従って一斎先生は間接的に明治維新の原動力となっている。
 5日 岫雲斎も挑戦!

禅の巨匠には九十歳以上の長寿の方が大勢おられる。ある和尚曰く、「仏教では、本当に長寿で呆けないことが修行の証左だ」と。

最後まで知力でも衰えない方が大勢おられる。

岫雲斎もあやかりたいと思い言志録に挑戦する。
 6日 心無けい礙(しんむけいげ) 無けい礙(むけいげい)()

般若心経の核心は「心無けい礙(しんむけいげ) 無けい礙(むけいげい)() 無有(むう)恐怖(くふ) 遠離(おんり)一切(いっさい) 顛倒(てんどう)夢想(むそう)究竟(くうきょう)涅槃(ねはん)」だと思っている。

愚生は若い時から般若心経に傾注しそれなりの理解がある。
長寿の秘訣は、心無けい礙(しんむけいげ) 、心にけい礙なければ恐怖あることなしなのであろう。

言志録 本文

  佐藤一斎

  岫雲斎補注
 7日 1.   

 
みな、前に定まる

凡そ天地間の事は、古往(こおう)今来(きんらい)、陰陽昼夜、日月(じつげつ)(かわ)(かわ)る明らかに 四時(たがい)(めぐ)り 其の数皆な前に(さだま)れり。人の富貴貧賤(ふうきひんせん)死生寿殀(しせいじゅよう)利害(りがい)栄辱(えいじょく)聚散(しゅうさん)離合(りごう)に至るまで一定の数に非ざるは()し。殊に未だ之れを前知(ぜんち)せざるのみ。(たと)えば猶傀儡(かいらい)()の機関(すで)(そなわ)れども、而も観る者知ざるがごときなり。世人其の(かく)の如きを悟らず、以て(おのれ)の知力(たの)むに足ると()して終身(しゅうしん)役々(えきえき)として東に(もと)め西に求め、遂に悴労(すいろう)して以て(たお)る。()れ亦惑えるの(はなはだ)しきなり。

一斎先生は宿命的運命論であるが、私は、安岡正篤先生の「立命論」を信奉する。

仏教では因果応報と言う、現世での自己の言動の因縁因果は理解するが、前世の行為が現世に出現する云々には直ちには組みしない。

だが、自分の先祖のDNAを継承して現れる己の現世のことは宿命である。

 8日 2

天を師と仰ぐ
太上(たいじょう)は天を師とし、

其の次は人を師とし、

其の次は(けい)を師とす。

岫雲斎
最上の人間は宇宙自然を師とする。これは真理。森羅万象の一つの存在に過ぎない人間は、その範疇の中の一生物だからである。(けい)は、古典であり人類英知の結晶でありこれは森羅万象の英知に近い、取捨選択は必須だが。

 9日 3.
天に仕える心
凡そ事を()すには、(すべか)らく天に(つか)うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。 

岫雲斎
これは正しい行いの精髄である。宗教の核心でもある。安岡先生は、人間に最も大切なのは「(しん)(どく)」だと言われたが相通ずるものである。

10日

4.
天道(てんどう)
の運行は(ぜん)

天道は漸を以て(めぐ)り。人事は漸を以て変ず。必至の(いきおい)は、之を(しりぞ)け遠ざからしむる能わず、又、之を(うなが)して(すみや)かならしむる(あた)わず。

岫雲斎

 万物、物事の流転は、それなりの運行速度があるという含蓄。
それに逆らうと成るものも成らぬ。
これは実に微妙なるもので人生の摩訶不思議。

11日 5.
(ふん)のエンジン

憤の一字は、()れ進学の機関なり。(しゅん)何人(なんびと)ぞや、(われ)何人(なんびと)ぞやとは、(まさ)()(ふん)なり。 

岫雲斎

発奮は学問の大事な機関車だという。
舜皇帝も人間ではないか。

自分だってと言う気概こそ全てだ。
 

12日

6.
学は立志次第

学は立志より要なるは()し。(しこう)して立志も亦之れを()うる()らず。只だ本心の好む所に従うのみ。

岫雲斎 
学問は発心(ほっしん)し、目標を立てて決心する。心を奮い立たせ実行継続し続けるしかない。強制すべきものでもなく本心次第である。

13日

7.
立志

立志の功は、恥を知るを以て要と為す

岫雲斎
内心で恥を知ることがポイント。戦後日本は、この「恥」の思想が消滅した。恥は自ら内心で恥じることが肝心要。大臣・官僚・企業のトップがミスを謝罪するのに、ご迷惑かけて申し訳ありませんでしたばかりで、誰一人として「恥しい」と謝罪しない。外面のみの謝罪では永遠にミスは続く、根本的でないからだ。恥は自己に対してだから本質的反省となる。

14日 8.          
本分を尽す

性分(しょうぶん)本然(ほんぜん)を尽くし、職分の当然を努む。
()の如きのみ。
 

岫雲斎
人間が生来持っているはずの性分の仁・義・礼・智・信が本然。職分は孝・悌・忠・信など人間としての本来の道、これ等を人間はやればいいだけである。 

15日 9.        
 
徳と位

君子とは有徳(ゆうとく)の称なり。其の徳有れば、(すなわ)ち其の位有り。徳の高下(こうげ)()て、位の崇卑(すうひ)()す。(しゅく)()に及んで其の徳無くして、其の位に居る者有れば、則ち君子も亦遂に(もっぱ)ら在位に就いて之を称する者有り。今の君子、(なん)虚名(きょめい)(おか)すの恥たるを知らざる 

岫雲斎

後世、近代となり徳がなくても良い位や地位につくようになった。

大臣や社長、高級官僚、徳もないのに単なる学歴と狡賢さだけで、為政者でいるのが人間社会の根本的罪悪であり不幸である。

16日 10
 
自らの省察(せいさつ)が肝要

人は(すべか)らく自ら省察すべし。「天何の故に我が身を生出(うみいだ)し、我れをして果して(なん)の用にか供せしむる。我れ既に天の物なれば、必ず天の(やく)あり。天の(きょう)せずんば、天の(とが)必ず至らむ」。省察して(ここ)に到れば(すなわ)ち我が身の(いやし)くも生()からざるを知らむ。 

岫雲斎

天がなぜ自分を生み出したか、何の用が自分にあるのか、自分は天の物だから必ず天職がある、この天職を果たさねば天罰を受ける。
これは中々難しい問題だ。自分は生かされているとは長い間生きていると分る。
この地上での職となると分かり難い。天職とは自分以外の人、妻子でもいい、親兄弟でもいい、人さまの為とすれば現実的で理解できるのではないか。職を仕事と取ると難しい。
 

17日 11        
 
自ら是非を知るべし

権は能く物を軽重(けいちょう)すれども、(しか)も自ら其の軽重を定むること(あた)わず。()は能く物を長短すれども、而も自ら其の長短を(はか)ること能わず。心は則ち能く物を是非して、而も又自ら其の是非を知る。是れ()(れい)たる所以(ゆえん)なるか。 

岫雲斎

権はハカリ、ハカリは自分の重さは(はか)れぬ。度、モノサシは自分の長さを計れぬ。人間の心は、自分の心の善悪も、他の物の是非善悪を知ることが出来る。これは人間の心が霊妙な証拠である。同感であるが弊害もあるのは事実だ。
心は又、コロコロして余程の修養・鍛錬をしないといけない。

18日

12.
学者の見識

 

三代以上の意思を以て、三代以上の文字を読め。

岫雲斎
三代とは、()(いん)(しゅう)、理想の時代との認識が中国にはある。これは、固定認識に囚われぬなと言うことであれば大切なことでもある。 

19日 13.
読書は手段
学を為す。故に書を読む。 

岫雲斎
読書は手段であり学を為すための、飽くまでも手段に過ぎぬ。

20日 14.
多聞(たもん)
多見(たけん)
吾既に善を()るの心有れば、父兄(ふけい)師友(しゆう)の言、()だ聞くことの多からざるを恐る。読書に至っても亦多からざるを得んや。聖賢云う所の多聞多見とは、意正に()くの如し。 

岫雲斎

善への道が至っておらなくては、見聞の広いことが禍いして、身を害する事がある。

21日 15 
修辞(しゅうじ)(りっ)(せい)
(ことば)(おさ)めて其の誠を立て、誠を立てて其の辞を修む。其の理一なり。 

岫雲斎

易経にも「修辞立誠」とある。経書の言葉をよく修得して精神修養の道を立てる。

22日 16.
生々(せいせい)
の道

()うる者は之を(つちか)う。雨露(うろ)(もと)より生々なり。

傾く者は之を(くつが)えす。霜雪(そうせつ)も亦生々なり
 

岫雲斎
植物も人間も、天はその物の性質の自然な成長を偏り無く発揮させようとする。雨露が植生を助けるようなものだ。人間を含むあらゆる森羅万象は、持って生まれた素質に厚薄があるのは確かである。その上に花を咲かせるしかないのが冷徹な現実だ。
易経の繋辞上篇に「生々之を易と云う」とある。

23日 17        
  
造化(ぞうか)の妙

静に造化の跡を観るに、皆な其の事無き所に行わる。 

岫雲斎

天地万物、森羅万象の造化は、生々として行われる。摂理(せつり)と呼ぶに相応しい、恰も、大空を白雲が静かに悠々と流れて行くようにであろうか。

24日 18   
事の妙処(みょうしょ)

(およ)そ事の妙処(みょうしょ)に到るは、天然の形成を自得するに過ぎず。

此の(ほか)更に別に
(みょう)無し。 

岫雲斎
将に至言なり。数百年、数千年と大きく伸びる老杉、桜樹などは、森羅万象の霊妙なる呼吸と完全合致したからであろう。人間とて同様なことが言えるのだと信ずる。易では自然の大道、仏教は諸法実相、神道は元来、自然のままである。

25日 19.
   面・背・胸・腹

(おもて)は冷ならんことを欲し、背は(だん)ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す。 

岫雲斎
頭は冷やして正しい判断が可能。背中が温かいと熱情生まれ人々を魅了し動かす。心が虚心坦懐ならば他人の意見を大きく受け容れることが可能。腹が充実しておれば、則ち胆力あれば物に動じない、このような人物になりたいものである。

26日 20
 
精神の収斂(しゅうれん)

人の精神(ことごと)(おもて)に在れば、物を()いて妄動すること(まぬか)れず。(すべか)らく精神を収斂して、(これ)を背に()ましむべし。(まさ)()く其の身を忘れて、身(しん)に吾が(ゆう)()らん。 

岫雲斎

心が顔面にのみあると、判断を間違え易い。
心を引き締めて、心を後方の背中に住まわせると判断を誤らない。
身を忘れてこそ心が自分のものとなる。

27日  21
心が(ふさが)れば全思考を間違える 
心下(しんか)痞塞(ひそく)すれば、百慮(ひゃくりょ)(あやま)る。 

岫雲斎
心が逼塞して伸び伸びとしていないと、良い考えが出てこない、全てのものを間違えることとなる。
心の容量は大きく運動領域は広いのがいい。

28日 22

志の気を剣の如く
間思雑慮(かんしざつりょ)紛々擾々(ふんぷんじょうじょう)たるは、外物(がいぶつ)(これ)(みだ)すに()るなり。常に志気をして剣の如くにして、一切の外誘(がいゆう)を駆除し、敢て()()(おそ)い近づかざらしめば、自ら浄潔(じょうけつ)快豁(かいかつ)なるを覚えむ。 

岫雲斎

心に雑念が起きるのは外界の雑事が心を乱すからである。

精神を剣の如くして誘惑を一切寄せ付けねばさっぱりした気持ちになれる。

剣の如き精神次第だ。

29日 23     
 
まず腹を据える

吾方(われまさ)に事を(しょ)せんとす。必ず先ず心下(しんか)に於て自ら(すう)(しん)(くだ)し、然る(のち)事に従う。 

岫雲斎

自分は、事態解決の時には、先ず心に(はり)を数本打つ。

そして腹を据え、覚悟を決めて熟考し仕事を始める。

30日 24        
人柄と書画の相関

心の(じゃ)(せい)、気の強弱は、筆画之を(おお)うこと能わず。喜怒哀懼(きどあいく)勤惰静躁(きんだせいそう)に至りても、亦皆(これ)を字に(あら)一日の内、自ら数字を書し、以て反観せば、亦省心(せいしん)の一助ならむ。 

岫雲斎

筆跡に、心が邪しまか、正しいか、気が強いか現れて隠すことは出来ぬ。
心の喜び、哀しみ、(おそ)れ、勤勉、怠惰、平静、(そう)(ぜん)に至るまでみな字に現れる。
だから毎日、自分で文字を書いて繰り返し観れば自己反省の(たすけ)になる。

25
名を求めても避けても非

名を求むるに心有るは、(もと)より非なり。名を避くるに心有るも亦非なり 

岫雲斎

無理して名声を希求するのは宜しくない。また無理に名声を避けようとする心が有るのも宜しくない。