佐藤一斎「言志晩録」その九 岫雲斎補注 

       平成25年6月1日-30日

1日

221.
事を処し物に接しし心を磨け

事に処し、
物に接して、
此の心を練磨すれば、人情事変も亦一併に練磨す。
 

岫雲斎
日常、様々な事を処理したり色々な事柄に接して行く上に活学があるのだから自分の心を練り磨くことを失念しなければ自然に人情の機微が分り、色んな事変に遭遇しても動揺しないような心構えが身につくのである。

2日 222.
人は当に自重すべし
石重し。
故に動かず。
根深し。
故に抜けず。
人は当に自重を知るべし。
 

岫雲斎
石は重いから動かない。大樹は根が深いから抜けない。人間もこれらと同じように自らを重くし、他により軽々に動かされないようにしなければならない。

3日

223.
遷善改過

人皆一室を洒掃(さいそう)するを知って、一心を洒掃するを知らず。善に(うつ)りて(ごう)(もう)を遺さず、過を改めて微塵も留めず。吾れ洒掃の是の如くなるを欲して、而も未だ能わず。 

岫雲斎
人は部屋の掃除をすることは知っていても、自分の心を掃除することを知らぬ。悪を去り善に移るに際し、不善を一毫一髪も残さず過ちを改める時は、過ちの微塵も留めない。このように自分の心の掃除をしようと思うのだが中々そう出来ずにいる。

4日

224.
真を誤るな、実を失うな、全を害するな

凡そ事は似るを嫌うて真を誤ること勿れ。
名に拘りて実を失うこと勿れ。
偏を執って全を害すること勿れ。
 

岫雲斎
何事によらず人の真似を嫌い却って本当のことを誤るな。名前に拘泥して実を失ってはならぬ。一方に片寄り且つ執着して全体を害ってはならぬ。

5日 225.
儒教の悟り
覚悟は(しゃく)(じょう)(げん)なり。
儒家(けん)を避けて言うを憚るは非なり。
心に感発する所有り。(すべ)て之を()と謂う。孔子が川上(せんじょう)(たん)、是れ道体の悟なり。
(がんし)子の仰鑽(こうさん)()し、曽子(そうし)の一貫に()せしも、悟に非ずや。朱子の一旦豁然(かつぜん)たるも、亦是れ()(きょう)なり。但だ当に悟る所の何事たるかを問うべきのみ。
 

岫雲斎
悟るとは仏教徒の常に言う言葉である。儒者が仏教臭いと言われるのを嫌い、この言葉を使わないのは良くない。何事によらず心に感じて外に発したことは皆「悟り」というべき事である。孔子が「逝く者はかくの如きか昼夜を()てず」と川のほとりで嘆ぜられたのは道徳本体上の悟りである。顔淵が「之を仰げばいよいよ高く、之れを切ればいよいよ堅し」と師・孔子の徳の広大無辺を嘆じたのも「曽子よ、わが道は一以て貫く」と孔子が言われたのに対して、曽子が「はい、そうです」と答えたのもみな悟りである。朱子が「からっと貫通した」というのも悟りの境地である。問題は悟る所がどういう所のものであるかを問わなければならないだけである。

6日 226.         
至富なれば自らはその富たるを知らず
()()なれば、自ら其の富たるを知らず、()()なれば、自ら其の貴たるを知らず。道徳功業も、其の至れる者は、或は亦自ら知らざること然る() 

岫雲斎
大金持ちは自分が金持ちであることを知らないでいる。
同様に、道徳でも、功績でも、その偉大なものを自分では知らないものであろうか。

7日 227.         
真孝と真忠
真孝は考を忘れる。
念々是れ考たり。
 

岫雲斎
本当の孝行者は自分のしている孝行を意識していない。なぜなら思うこと総てが孝行で、これは孝行、これは孝行ではないのである。同様に真の忠義者は忠義を忘れている。思うこと総てが忠義なのである。

8日 228.
庭の道徳 
その一
親に(つか)うる道は、己れを忘るるに在り。
子を教うるの道は、己れを守るに在り
 

岫雲斎
親に仕える道は自己を全く忘れて何事につけ親の心や気持ちが安らかであるように尽くすことだ。子供を教えるには、自己を慎み守ってよい手本となることだ。

9日 229.
家庭の道徳 
その二
父の道は当に厳中に慈を存すべし。
母の道は当に慈中に厳を存すべし。
 

岫雲斎
父たる道は、厳格のうちに慈愛がなければならぬ。母たるの道は慈愛のうちに厳格さがなくてはならぬ。

10日 230. 
家庭の道徳 
その三
父の道は厳を(とうと)ぶ。但だ幼を育つるの方は、則ち宜しくその自然に従って之を利道すべし。助長して以て生気をそこなうこと()くば可なり。 

岫雲斎
父の子に対する道は厳格を貴ぶ。ただ幼児を育てるには、自然に従い、これを善い方向に導いてゆくのが宜しい。無理なことをして子供の生々とした気を害なうことがなければよいのだ。

11日 231
家庭の道徳 
その四
兄弟(けいてい)の友愛なる者は之れ有り。
姉妹に於ては則ち或は(しか)らず。傲侮(ごうぶ)して以て不順なること勿れ。李英公、姉の為に粥を煮たり。
学ぶ可し。
 

岫雲斎男兄弟の仲の
よいのはあるが、姉妹にはどうかすると仲のよくないものがある。妄りに驕って他を侮り、道に違うようなことがあってはならぬ。唐の李英公は姉の病の時、人手はあったのに自ら粥を煮てあげたという事は学ぶべきことである。

12日 232.
遺伝に関して
人の生るるや、父の気は猶お種子の如く、母の胎は猶お田地のごとし、余、年来人を()みするに、夫は性(こう)(じゅう)にして、而も婦も、順良或は(けい)(びん)なれば、則ち生子多く才幹有り。夫は才幹有りと雖も、而も婦は暗弱或は姦黠(かんかつ)なれば、則ち生子多く不才或は不良なり。十中の八九()くの如し。
然れども必ず然りとは謂わず。
 

岫雲斎
人の生まれるのを見ると、父の気は植物の種のようであり、母の胎は田地である。長年、多くの人間を観察していると、夫の性質が温厚、母が順良で慧敏であると才能ある立派な子供が産まれている。然し、夫は才能あり立派でも妻が愚かで弱かったり悪賢いと、生まれる子は多くは才能が無いか不良性を帯びている。先ず、十中の八か九は間違いないが必ずそうだとは言わない。

13日

233.
過失を責める時の注意

人の過失を責むるには、十分を要せず。宜しく二、三分を余し、()れをして自棄に甘んぜず、以て自ら新たにせんことを?(もと)使()むべくして可なり。 

岫雲斎
人の過失を責める場合、100パーセントとっちめてはいけない。23分は残してその人が自暴自棄を起さずに自ら心を改めて新しく立ち直るようにしてやれば宜しい。

14日 234.
責善の言
責善の言は、尤も宜しく(そん)以て之を出すべし。絮叨(じょとう)すること勿れ。讙呶(かんとう)すねーること勿れ。 

岫雲斎
善きことわせよ、と責めることは、なるべく(へりくだ)って言うべきだ。くどくど(絮叨(じょとう))言わない。(やかま)しく(讙呶(かんとう))言わないこと。

15日 235.
災は誠を以て打破を

形迹(けいせき)の嫌は、口舌を以て弁ず可からず。无妄(むぼう)の災は、智術を以て免る可からず。一誠(いちせい)()を把って以て槌子(ついし)と為すに()くは()し。 

岫雲斎
痕跡のある嫌気を受けたら、口先で弁解しても効果はない。正道を歩みながら受ける災い(无妄(むぼう)の災)は智慧や手術では免れることはできない。ただ「誠」の一字を握ってこれを打出の小槌として打開するしかない。

16日 236.
退歩の工夫は難し
鋭進の工夫は(もと)より(やす)からず。退歩の工夫は(もっと)(かた)し。惟だ有識者のみ庶幾(ちか)からん。 

岫雲斎
まっしぐらに進んで事を為すはもとより易しいことではない。しかし、それよりも難しいのは適当の機会を勘案して隠退する工夫である。これは見識ある者のみ出来ることだ。

17日

237.
仕事の適正速度

人の事を()すは、須らく緩ならず急ならず天行の如く一般なるを要す。吾が性急迫なれども、時有りて緩に過ぐ。
書して以て自ら(いまし)む。
 

岫雲斎
仕事というものは余りにゆっくりでなく、また急いでもよくない。天体の運行のように自然なのが宜しい。自分は性質が急ぎ過ぎるものだが、時にはゆっくり過ぎることもある。ここに書いて自分の戒めとする。 

18日

238.
事に緩急あり、心はそれを忘れて宜しい

昼夜には短長有って、而も天行には短長無し。惟だ短長無し、是を以て能く昼夜を成す。

人も亦然り。
緩急は事に在り。
心は則ち緩急を忘れて可なり。
 

岫雲斎
地球が太陽を廻るのは365日四分の一と決まっている。地球の地軸は傾斜が23.5度なので昼夜長短差が発生。このことを佐藤一斎先生は昼夜には短長あり而も天体の運行に短長なしと言う。天行には短長が無いから昼夜をなしている。世間も同様、緩とか急は事柄の方に有るのだが、心の方は事柄に吸引されないで、天行に短長が無いように常に平静でなくてはならぬと戒めたのである。

19日 239.
事を為すには感情に走るな

凡そ事を為すには、意気を以てするのみの者は、理に於て(つね)に障害有り。 

岫雲斎
何事をするにも意気即ち感情に任せてやる人は道理から見て常に間違うものだ。

20日 240.
恥という着物ほど立派な着物は無い
人は恥無かる可からず。又(くい)無かる可からず。
悔を知れば則ち恥無し。
 

岫雲斎
人間は恥を知るということがなければならぬ。また、悔い改めるということも必要である。悔い改めることさえ知っておれば終には悔い改める必要はなくなる。恥を知るということを心得ておれば恥をかくことがなくなるものだ。

21日 241.         
苦と楽 
その一
(ころも)薄くとも寒相(かんそう)()けず。食貧くとも、(たい)(しょく)(あら)わさず。唯だ気()つる者能くすることを為す。而れども聖賢の貧楽は、則ち此の類に非ず。 

岫雲斎
薄着しても寒そうな様子もせず、食べ物が貧しくともひもじい顔を見せない。このような事は、気象の強い人のみよく出来ることだ。だが、聖人や賢人が貧を楽しむというのはこれと同類ではない。

22日 242.         
苦と楽
その二
人は苦楽無き能わず。唯だ君子の心は苦楽に安んじて、苦あれども苦を知らず。小人の心は苦楽に(わずら)わされて楽あれども楽を知らず。 

岫雲斎
人間は誰でも苦楽がある。ただ立派な人物の心には苦楽に安んじて苦楽にこだわらないから苦があっても苦しまない。だが、小人の心は苦楽に煩わされているから楽があっても楽しむことを知らない。

23日 243.         
苦と楽 
その三
人は事を共にするに、()れは快事を(にな)い、我れは苦事(くじ)を任ぜば、事は苦なりとと雖も、意は則ち快なり。我れは快事を担い、渠れは苦事を任ぜば、事は快なりと雖も、意は則ち苦なり。 

岫雲斎
人と仕事をする場合、彼が快適な仕事を担当、自分が苦しい仕事を引き受ければ、仕事は苦しいが心は愉快である。自分が快適な仕事をやり、彼が苦しい仕事をやれば仕事は愉快であるが心は苦しい。

24日 244          
長所と短所 
その一
人各々長ずる所有り、短なる所有り。
人を用うるには宜しく長を取りて短を()つべく、自ら処するには当に長を忘れて以て短を勉むべし。
 

岫雲斎
人間には人それぞれ短所と長所とがある。人を使う場合、その長所を用い短所は見て見ぬふりをするのがよい。然し、自ら世に処するには自分の長所を忘れて短所を補うように大いに努力しなくてはならぬ。

25日 245   
長所と短所 その二
己れの長処を言わず、己れの短処を護せず。宜しく己れの短処を挙げ、虚心以て(これ)を人にうべし。可なり。 

岫雲斎
自分の長所を人に言わず、また己の短所を弁護せず。これは、自分の短所を並べ挙げて、虚心に人に相談する方が宜しい。 

26日 246.
厚重と遅重、真率と軽率
人は(こう)(じゅう)(たっと)びて、()(じゅう)を貴ばず。真率(しんそつ)(たっと)びて軽率(けいそつ)を尚ばず。 

岫雲斎
人は温厚で重々しいのを貴ぶが、遅鈍は貴ばない。さっぱりと飾り気のないのを尚ぶが、軽薄なのは尚ばない。

27日 247.
恩を売る勿れ、誉を求める勿れ
恩を売ること勿れ。恩を売れば(かえ)って怨を惹く。誉を(もと)むること勿れ。誉を求むれば(すなわ)(そしり)を招く。 

岫雲斎
人には恩を売ってはならぬ。為にする恩は人から怨まれる。自ら名誉を求めてはならぬ。実もないのに誉を求めれば謗りを招くだけだ。

28日

248.
瑣事は世俗ら背かず。大事は背くも可なり

日間(にっかん)()()は、世俗に背かぬも可なり。立身、(そう)(しゅ)は、世俗に背くも可なり。 

岫雲斎
日常の些事は世間の風俗に反しないようにする。然し、自分が目的を持ち心に堅く持して勉める事には世俗に背いても宜しい。

29日 249.
大才は人を容る
小才は人を(ふせ)ぎ、大才は物を容る。小智は一事に輝き、大智は後図(こうと)に明かなり。 

岫雲斎
小才の人間は他人を容れず之れを防ぐが、大才の人物はよく他人の意見を容れる。小さな智慧ある人間は一時は輝くことがある。大きな智慧ある人は後世にまで残るものだ。

30日 250.
相談を受けた場合の心得
人の我れに就きて事を謀らば、須らく妥貼易簡(だちょういかん)にして事端(じたん)を生ぜざるを要すべし。即ち是れ智なり。若し穿鑿(せんさく)を為すに過ぎて、己れの才智を(たくまし)うせば、(かえ)って他の禍を()かん。殆ど是れ不智なり。 

岫雲斎
人が自分に相談にきた場合、穏やかに、手軽に考えを述べ争いの種となるような事にならないようにすることが必要である。これが智慧というものだ。もし、余りに細かな事まで詮索し過ぎて自分の才智を出し過ぎると却って別の禍を起こしてしまう。これでは智慧のないことと同じである。