吾、終に得たり  岫雲斎圀典
      
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法句経 
(真理の言葉)
 法句経(真理の言葉) 二十六品 423

多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。
                     平成25年6月1日 岫雲斎圀典

平成26年6月

1日 358句

田は雑草のために そこなわる 人はおろかさのゆえに そこなわる げにされば (おろかき)を離れたる者に 施さば その果大いなり

田畑は雑草で害われる。人間は愚かさのために害われる。だから愚かしさを卒えた人に施しをするは大なることなり。

2日 359句

田は雑草のために そこなわる 人は欲のゆえに そこなわる げにされば 欲を離れたる者に 施さば その果大なり

田畑は雑草でやられる。人間は願望のためにやられる。たた゜から野望や欲望の解脱が肝心。

3日

第二十五品

比丘(こうもの)

360
比丘は修行者

眼によりて おのれを(ととの)うるは善く 耳によりて おのれを(ととの)うるは善く 鼻によりて おのれを(ととの)うるは善く 舌によりて おのれを(ととの)うるは善し 

眼、耳、鼻、舌について自ら慎むのが善い。

4日 361句

身の上に おのれを(ととの)うるは善く (ことば)の上に おのれを摂うるは善く (おもい)の上に おのれを摂うるは善く 一切処(すべて)に摂うるは善し かく摂えたる比丘は すべての苦より(のが)

行為、言葉、意志、全てに自ら慎むのは善いこと。このような比丘はあらゆる苦から解放される。

5日 362句

手を(ととの)え 足を制え 語を制え すべてを善く制えて 内に悦びあり (しずけき)に住し 独居(ひとりい)にこころ足るもの 彼を 比丘とよぶなり

手、足、言葉 そして全てを慎むことは最も大切なこと。そして心深く悦び、心静寂に孤独の生活に足りる人を比丘と呼ぶ。

6日 363句

比丘の 口をよく(ととの)え 言うところ 賢にして 寂 義と法とを示さんに 彼の説くところ 甘美なり

言葉を慎み賢明に語り決して軽々しく浮いたもののない比丘が、もし実義と教法とに明らかであればその言葉は実に甘美である。

7日 364句

法に住み 法をたのしみ 法にしたがいて 思惟(しい)し 法にしたがいて 憶念する比丘は 正しき法より 退くことなし

教えの中に楽園を見つけ、心を楽しみ、つねに教えに思いをはせている比丘は決して堕落するこしはない。

8日 365句

おのれの 得るところに 軽んずるなかれ しかして 他をうらやまざれ 他をうらやむ比丘は 三昧(やすけき)をうることなし

自分の得たものを軽んじてはならぬ。他人の得たものを羨ましがってはならぬ。そのような比丘は精神の平安も安らぎも得られない。

9日 366句

得るところ少なきも 比丘(みちをもとむるもの) そのうるところを 軽んずれば 浄く生き おこたりなき彼を 諸々の神すらも 讃うるなり

例え得るものが少なくとも修行した者がそれ等を軽んじないで、清らかな精神で怠惰なき生活をする人々を賞賛する。

10日 367句

すべての概念(おもい)形相(すがた)に (わが)(もの)の思いなく それらの消滅(ほろび)においても 心うれえざるもの 彼こそは 比丘とよばる

精神と肉体を全て自分のものとの思想も持たず、また肉体も精神も消滅について心を悩ますことのない人を比丘と呼ぶ。

11日 368句

仏陀の教えに 信じ悦び 慈しみに住する 比丘は (はから)いの()みたる 寂静にして さいわいなる かの道に達せん

仏陀の教えを悦び慈悲の心で生活する比丘は諸欲の治まった平安この上ない幸いを得る。

12日 369句

比丘よ この船より 水を汲むべし 汲まば 汝の船は 軽く走らん (むさぼり)(いかり)を断たば (なんじ)は早く 涅槃(さとり)にいたらん

修行する人よ この人間という船を空虚にしなさい そうすればお前の船は早く走れる 同様に貪欲と怒りを断ち切れば精神的自由の境地に早く至れる。

13日 370句

五つを断ち 五つを棄て 五つを さらに つとめはげむべし 五つの著を越えたる 比丘は すでに (はげ)しき流れを 渡れる者といわる

貪欲、憤怒、懈怠、驕慢、疑惑の五つの煩悩を断ち切りなさい。意識、無意識の執着、驕慢、軽薄、盲目的本能の五つの束縛を棄てなさい。かくして、確信、勤勉、反省、静寂、理智の五つの力を実現せよ。貪欲、憤怒、愚昧、高慢、偏見の五つの執着を超越した修行者は迷妄の奔流を渡った人である。

14日 371句

比丘よ 静慮(しずか)なれ 放逸なるなかれ そが心を 諸欲に(とど)むるなかれ おこたりゆえに 鉄丸ほのむの苦を見ざれ 焼かるる時にいたりて 「これ苦なり」と 言うなかれ

深く心に反省せよ 怠惰であるな 愛欲に迷うな 地獄に落ちて白熱した鉄丸を呑むな その火に焼かれて苦しいと叫ぶな。

15日 372句

智なき人に (しずけさ)はなし (しずけさ)なき人に 智あるなし 人にして (しずけさ)と智とを 具足せんに 彼はすでに涅槃(さとり)に 近づけるなり

智慧なき者に寂静はない。寂けさなき者には智慧もない。静けさと智慧を二つともある人は彼は既に悟りを得ている。

16日 373句

心しずかなる 比丘は 人なき家に入りて 正しく法を 観じ 人中になき たのしみを()

心静謐なる比丘は人のいない家に入りても公正な態度を以て真実を観れば人間を越えた至福を享受できる。

17日 374句

若しひと かにかくに この身の生と滅とを 思惟するあらば 彼は 不死(さとり)をえたる智者の 喜悦を()けん

この身体がどのように生まれそして滅亡するかを完全に理解した人は幸福と歓喜を得る。既に不死の体験をしたこととなる。

18日 375句

これはここにて 慧さと(けい)き比丘に対する 初めのつとめなり 感官(はたらき)護り 心足り 戒に心(ととの)い 生活きよく 怠りなき 善友を侶とも(りょ)とすることなり

諸々の官能を慎み守り、足ることを知り、戒律を守り、清らかな生活をして怠りなく善い友達とを交わることが最初に大切なことです。

19日 376句

仁慈(ほどこし)を常とし 作な(さく)すところ 巧みなれば かくして 歓喜(よろこび)多くして くるしみの ()()を作すべし

慈悲を施し義務を怠り無く、そうすれば喜びが多く苦しみはなくなるであろう。

20日 377句

萎れたる花びらを すておとす ヴァッシカ草のごとく 乞食するものらよ かくのごとく むさぼりと 怒りとをふりすてよ

ヴァッシカ草が凋んだ花を振るい捨てるように比丘らよ貪りと怒りを捨てなさい。

21日 378句

身は(しずか) (ことば)(しずか) 心も寂にして 能く()(じょう)に入れる すでに世の財利を すてたる比丘は 寂静者といわる

佇まいも 言葉も、そして心も静か、これこそ戒めを守れる。この世の財利など享楽を棄てた比丘こそ真の安息を得る。

22日 379句

おのれ 自ら(いまし)めよ おのれ 自らを(あらた)めよ 比丘よ かくおのれを護り 思い深きものは 安楽に住せん

自分を戒め自分の行為を改めなさい。自分を守り慎み正しく反省する者は幸せな暮らしをする。

23日 380句

おのれこそ おのれの(ある)() おのれこそ おのれの帰依(よるべ) されば まこと 商侶(あきゅうど)の 良き馬を ととのうるがごとく おのれを(ととの)えよ

まさに己れこそ己れの主、己れこそ己れの拠り所。ちょうど商人が良い馬を調教するように己れを良く調えることである。

24日 381区

覚者(ほとけ)の教えを 信じ悦ぶ 歓喜多き比丘は (はからい)()みたる 寂静(しずか)にして さいわいなる 道に達せん

喜びに充ち、仏陀ま教え戒めを悦ぶ比丘は平安の境地、愛欲の止んだ幸せを得るであろう。

25日 382句

手を(ととの)え 足を制え 語を制え すべてを善く制えて 内に悦びあり (しずけき)に住し 独居(ひとりい)にこころ足るもの 彼を 比丘とよぶなり

手、足、言葉 そして全てを慎むことは最も大切なこと。そして心深く悦び、心静寂に孤独の生活に足りる人を比丘と呼ぶ。

26日 383句

比丘の 口をよく(ととの)え 言うところ 賢にして 寂 義と法とを示さんに 彼の説くところ 甘美なり

言葉を慎み賢明に語り決して軽々しく浮いたもののない比丘が、もし実義と教法とに明らかであればその言葉は実に甘美である。

27日 384句

法に住み 法をたのしみ 法にしたがいて 思惟(しい)し 法にしたがいて 憶念する比丘は 正しき法より 退くことなし

教えの中に楽園を見つけ、心を楽しみ、つねに教えに思いをはせている比丘は決して堕落するこしはない。

28日 385句

おのれの 得るところに 軽んずるなかれ しかして 他をうらやまざれ 他をうらやむ比丘は 三昧(やすけき)をうることなし

自分の得たものを軽んじてはならぬ。他人の得たものを羨ましがってはならぬ。そのような比丘は精神の平安も安らぎも得られない。

29日 386句

得るところ少なきも 比丘(みちをもとむるもの) そのうるところを 軽んずれば 浄く生き おこたりなき彼を 諸々の神すらも 讃うるなり

例え得るものが少なくとも修行した者がそれ等を軽んじないで、清らかな精神で怠惰なき生活をする人々を賞賛する。

30日 387句

すべての概念(おもい)形相(すがた)に (わが)(もの)の思いなく それらの消滅(ほろび)においても 心うれえざるもの 彼こそは 比丘とよばる

精神と肉体を全て自分のものとの思想も持たず、また肉体も精神も消滅について心を悩ますことのない人を比丘と呼ぶ。