安岡正篤先生「東洋思想十講」
      第六講 仏教について()続編


 平成25年6月1日-30日

1日 分化の原理から統一の原理

そこで、全てがそういう風に分化の原理から統一の原理になって参りますと、これまで東洋文化と西洋文化という風に分かれて、東洋の思想・学問・宗教等は時代遅れで非学問的であるとする従来の西洋的な考え方に反する解明が、むしろ西洋の学者の間からなされ、且つ警告されるようになってきました。その如実に現れているのが最近における漢方の流行です。これも実は寧ろ西洋の医学・薬学の方から始まったという皮肉な現象であります。

2日 東洋の「生」の学問

儒教についても、東洋の「生」の学問、孔孟の教というものは誠に驚嘆すべき偉大なものである、と西洋の学者・専門家から大いに力説されるようになって参りました。その結果、孔子の研究だけでも驚くべきものがあります。「易」についても、興味深い研究がいくつも発表されて、肉体的に生きておると考えていたものが如何に精神的なものであるかと言うことなど、医学的・生理学的に興味深く実証されております。

3日 吐く息の色

その一例に呼吸と発汗の問題があります。零下212度の冷却装置の中に我々の吐く息を吹き込むと息が液化して(かす)ができます。その滓は精神状態が平静であれば殆ど無色に近いが感情の動揺によって色々の色が着くというのであります。人間の感情の中で最も激しく且つ深刻なものは「怒る」ことでありますが、これにも私憤と公憤があり私憤にも亦いろいろなものがあります。中でも、最も悪質なものとして人を憎むことが挙げられます。人を憎んで殺害し興奮の極にある人間の息を冷却装置に吹き込ませると、その滓は毒々しい栗色を帯びる。それをモルモットに注射すると、モルモットは極度に興奮して場合によって頓死したりするそうであります。そこからアメリカの科学者が極悪犯罪者の息の滓を調べたところ、現在薬局にある如何なる毒素よりも猛毒であったということが報告されています。また非常に悲しんでいる時には灰色色、恐怖の時は青色、恥づると桃色を呈するという。こういう風に精神、特に感情の状態によって吐く息の色すべて違ってくるそうであります。

4日 和気と邪気

従って、我々の精神が和やかであると、確かに吐く息は和気であり、精神が悪いと文字通り毒気なのであります。俗に「あの野郎の毒気に当てられた」と言うのは形容でなくて実際なのです。「和気藹々(わきあいあい)」、「和気(わき)満堂(まんどう)」なども然りであります。これは誰しも経験することですが、初めて訪問した家の玄関に立った途端、「嫌な家だなあ」と感じることがあります。そういう家の家族は大抵精神状態が悪いか、おもしろからぬ共同生活をしているのです。反対に、大変仲の良い家族の家に入ると、何となく気持ちよく感じる。和気と邪気・毒気の違いです。従って心配し過ぎて一夜にして白髪になったというようなことも、実際にあり得るわけであります。このように感情と息とは密接な関係がありますが、汗もその通りで、ことごとく味があり、汗のかきようでそれぞれ味が違ってくるということであります。

5日 全て一つのもの

色などと言うものは微妙なもので西陣の染色のエキスパートは二千通りの色を見分けたということです。またフランスのコティの香水の専門家が暗がりで花の香りを七千通りも嗅ぎ分けたと言われています。実に霊妙なものでありまして、単なる肉体的目鼻だけで出来ることではありません。良き汗と同じようにそれこそ精神的なものなのです。決して肉体と精神、物と心が分れているのではなくて、全て一つのものなのであります。

6日

こういう風に従来分析的・分化的に考えておったのが、今や統一的になってきております。そして「われ如何に生くべきや」ということも、卑近な肉体・生理の問題から、進んで精神的な問題になり、その精神的な問題を更に突き詰めてゆくと、今度はまた極めて現実的・物的なものにもなるのであります。

7日 「面に(あらわ)れ背にあふる」

第二次大戦の始まる直前のことでありますが、私はヨーロッパに参りまして、ドイツで色々学者達と話をする機会を得ました。その時に、一人の方から私共の大学では日本や中国の人相学の研究が盛んで、それに関する文献を集めているという話がありました。その人は大学の何科で研究しているのか知らなかったのですが、後日調べてもらった処、医学部の皮膚科でありました。処が意外であったのは、人間の顔は身体の中で精神状態の最も鋭敏な顕微鏡だと言うことです。即ち我々の顔は全身の神経の末端、過敏点で埋まっている。この過敏点を結ぶと禍敏線になり、それが驚いたことに悉く日本や中国の人相学の書物に書かれているので人相に関する文献を集めていると言うのであります。私はこの話を聞いて非常に面白く思ったのであります。今まで、「お前の顔にちゃんと書いてある」という語が喩え話に過ぎないと思っていたのが、そうではなくて、人の精神・心理というものは悉くその人の顔に現れているのです。これを聞いて私も人相学の書物を大分集めたのでありますが、戦災で失ってしまいました。それはそれとして、こういう風に人間の顔は、自分の生理・心理の全ての報告書なのであります。従って、人相とは怖いもので、いくら表面の体裁を繕っても本当の事が総て出ているわけです。凡眼を欺くことは出来るが、達人の心眼を欺くことはできません。仏教では凡人の俗眼・肉眼に対して天眼、更に進むに従って慧眼、法眼、仏眼という風にいろいろ分けております。目で大体のことが分るというのは本当です。これが眼相であります。
相には眼相ばかりではなく、鼻相、耳相、手相など諸機関凡てあります。殊に今まで人が気づかなかったものに肩相、背相と言った意味深長なものもあります。
「面に(あらわ)れ背にあふる」と孟子にも書いてありますように、肩は特に精神と関係が深く、従って後姿というものも大事な意味を持っております。特に肩の辺が淋しいのはその人の健康や運勢の余りよくないことを表しています。 

儒教と人物論
8日 元の気 そこで、儒教の「生」の研究から、一体人間は、どういう一生を通じて、何をつくってゆくのか、人間内容の問題が提起されます。儒教では、その人間の内容を次のように考えています。
人間として存在するのに一番根本的なものは何か。それは易の用語で「元気」と言うものです。日本の一般民衆はこり難しい専門用語を日常用語としてよく使いこなしていますが、この「元」には少なくとも三つの意味があります。全存在の根本という意味ではもと(◎◎)立体的な意味ではおおい(◎◎◎◎)()、時間的にははじめ(◎◎◎)、この三者を一にして「元と言うのです。
9日 東洋人間学の根本

そこで元気とは、我々の存在、生活のもと(◎◎)になり、始めになって、決してくだくだ派生することなく、どこまでも統一したものであります。だから、我々の存在・活動は全てこの元気によるものでありますから、「元気がない」と言うのは人間として根本的失格であります。そして、そこから出てくる「気力」、「気魄(きはく)」、或は身体の中で最も神秘的な生理機能を営んでいる骨髄の力、骨力と言ったものが東洋の人間学・医学の根本をなしております。

10日 志気

さて、その生の力・生の徳、元気から気力・骨力と言ったものが発達すると、自ら我々の精神活動に理想が生じます。これを「志気(しき)」と申します。志気から色々な反省・活動が始まるわけです。従って、志気は実行力の伴うものでなければなりません。いささかの障害にも直ぐめげるようでは駄目であります。その障害にも屈しない実行力・精神力のことを「(たん)()」と言うています。身体の(きも)と確かに関係があるようです。同時に志気は永続性・恒久性がなければなりません。この不動の志気を「志操(しそう)」と申します。また障害に出遭っても散漫にならない統一性が必要です。これが「()(せつ)」であります。志気は、志操と同時に志節であり、生活上の(たん)()でなければならないのであります。

11日 (たん)(しき)

そうして、志気が次第に発達して参りますと、思惟即ち考える働き、大脳の作用が従来とは非常に変わって参ります。単なる「認識」や「知識」ではなくて、人生の行動を取捨選択したり決定したりする知的能力が出てきます。これを「見識」と言います。知識は単なる大脳の働きに過ぎませんが、見識はもっと全人的な働きでありまして、これによって初めて我々は道徳的・心理的判断が出来るのであります。この頃は特に見識のない知識人、真理を自分の都合の好いものに解釈したり解説したりする曲学阿世の人間が多くなりました。さて、その見識に実行力が伴ったものを「(たん)(しき)」呼んでいます。

12日 気魄
気力
骨力
志操
志節
膽気
器量
器度

気魄・気力・骨力に志操・志節・膽気ができ、これに伴って見識・膽識が生まれると次第に人間ができて参りまする。この発達・成長を「度量衡(どりょうこう)」を使って実にうまく表現しております。例えば、「あの人は度量が大きい」と申します。これは知識・(うつわ)の勝れていることであります。一般に広く通用しているものでは「器量(きりょう)」という語。人間が精神的に発達するにつれて次第に器ができ、その器は物を入れること、計ることができます。量は枡であります。また長さ、進歩を表す意味の「度量」と度は物差しであります。そこで器にこの度をつけて「器度(きど)」、或は量をつけて「器量」などと言います。

13日
風韻
気韻

そういう器ができ、見識が伴ってくると、精神的に自立し、判断力が発達するので「信念」を持つようになります。このようにだんだん人間は単なる肉体の存在から精神的・人格的存在、物的存在から道徳的存在になり、いわば人間そのものが芸術化して参ります。それはもう人間というより自然そのものであります。そこで芸術的な存在になった人間のことを、自然の運行の大いなるリズムを「(いん)」とか「律」で表すところから、これに自然の最もリズミカルな風を結びつけて、「風韻(ふういん)」と申します。或はおもむきと言う意味の致の字をつけて「風韻(ふうち)」、気魄の気をつけて「気韻(きいん)」とも申します。

14日 風韻とか韻致・気韻、或いは風格

人間は学問・修養次第で、例え木偶(でく)のような人間でも、こういう風に風韻とか韻致・気韻、或いは風格というものが出て参ります。賢者は賢者なりに、愚者は愚者なりに「(おもむき)」が出て参ります。例えば、山寺の小僧にしても、初めは如何にも泥芋みたいな無骨者(ぶこつもの)ですが、だんだん修行を重ねてきますと、その不細工な、ぼくねんじんに、どことなく風格・風韻が出て参ります。そうして「なかなか趣きのあるお坊さんだ」ということになります。私はよくその例に宇垣大将(名は一成、陸軍大将)を出します。私も色々な軍人や政治家と懇意にしましたが、その中で今まで一番醜男だと思ったのがこの宇垣大将です。頭から目、口、鼻と、よくもまあ、これだけ造作の不細工な男があったものだと思われるぐらい醜男でありました。処がそれが全体として一つの相になりますと、これが何とも言えぬ魅力があるのです。風格・威厳があって、いわゆる画になる顔でありました。やっぱり宇垣さんの修養の致すところでありましょう。

15日 醜の美

芸術は「醜の美」であると蘇東坡(そとうは)が言うておりますが、確かに芸術は醜を美にすることであります。単なる整った美は、写真の材料にはなっても芸術にはなりません。無骨な醜こそ真の芸術美となるのです。東洋画、特に南河文人画では、先ず石を描くことから始める。石は誰にでも描けます。が東坡(とうは)も言うているように「石は天然の最も醜なるもの」であって、なかなか本当の石と言うものは描けるものではあありません。そこで石が描けるようになったたら一人前というわけです。石ら始まって石に終る、これが南画・文人画の一つの原則であります。宋の米元章は石痴と言われたほど石を愛しました。清の鄭板橋も石を以て画の極致と致しました。人間の芸術化が進むにつつれて、最も自然な存在である石そのものを芸術美の最たる対象にしているわけです。これに対して西洋画は裸女に始まって裸女に終るという。ここに東洋画と西洋画の大きな違いがあります。もっともこれは通俗な話です。

では一体、学問・修養とは何ぞやということになります。「あの人の謦咳(けいがい)に接した」と言う時の謦咳は、しわぶき・咳払(せきばら)いのことで、元来、生理的には余り好ましいものではありません。処が人間が出来てくると、不思議に咳払い一つにも何とも言えぬ妙味が出て参ります。同じ酒に酔っ払っても、俗物は鼻持ちなりませんが、出来た人は「玉山(ぎょくざん)(まさ)(くず)れんとす」などと言うて、なかなか良いものであります。が、これは或る意味で大変怖いものであります。

16日 人にわからないと思ったら大間違い

「人(いずく)んぞ隠さんや」と孔子が論語で言い、また「咳唾(がいだ)(たま)を成す」という語もありますように、(せき)ばらい一つにも、笑ったり怒ったりする中にも、自らその人の境地が出るものでありまして、人にわからないと思ったら大間違いであります。面相もまた然り。「美人薄命」などということも、大抵美人というものは形の美に満足して、心の修養をしないから、どうしても浅薄になって、所詮、芸術にはなり得ない。従って人相から言っても多くは薄命の相なのであります。このようなことが、儒教や老荘において詳細に論じられ深遠な発達をしております。

17日 人物を語る原則

そこで人間を観る方法でありますが、これは自らに対して言えば反省することであり、他に対し言えば吟味することであります。こう言った学問が東洋に於いては西洋の心理学・倫理学などとはまた異なった形態で、仏家儒家や道家によく発達しております。その一つに「六験」というものがあります。これは「呂覧」(呂氏春秋とも言う)という書に出ておりますが、呂覧は秦の始皇帝のお師匠さん(実の親であったという説もあります) であった呂不韋という人が宰相の時に、懸賞つきてせ応募して作った百科全書とも言うべきものであります。

18日 六験 

その一 

六験
「之を喜ばしめて以て其の(しゅ)(ため)す」

喜ぶという感情は人間を浮き浮きさせ、遂に好い気持ちで上っ調子になって、はめを外す、守らなければならぬ事を忘れてししまう。人間には守らなければならぬ分とか、節というものがあります。子供には子供なりの、部下には部下なりの、或は上に立つものは上に立つものなりの、外してはならぬ大事なことがあります。それをちょっと喜ばされたぐらいで外してしまうようでは、人間として落第であります。

19日 その二

「之を楽しましめて以て其の(へき)(ため)す」

喜ぶと楽しむとはどう違うかと言えば、喜ぶは本能的感情、楽しむは理性の加わった場合を言います。音楽や書を楽しむのは、理性が発達して起こってくる感情ですから、これは楽しむ方です。人間は楽しむと、どうしても僻します、かたよります。平民宰相と云われた原敬にこういう逸話があります。原さんが総理の頃、政治も今と違って大変窮屈なもので、衆議院の外に貴族院があり、その上に枢密院と言うものがあって、そこには憲法の番人と言われるお偉方がずらりと揃って居りましたので、内閣なども随分いぢめられたものです。当時その枢密院に伊東巳代治(伯爵)という格別頑固な爺さんが居りまして、内閣の提出した法案が容易に通らない。或る日、原さんは伊東伯のよく行かれるという骨董屋を呼んで、「近頃、お前さんの所で伊東さんが欲しがっておられるようなものはないか」と訊ねると、「ある壷がお気に入って度々おいでになりますが何分値が張りますので、まだお買い上げになりません」と言う。これを聞いて原さんは早速その壷を取り寄せ、応接間に置いて伊東伯を招きました。入ってきた伊東伯はすばやく例の壷に目をつけて、ためつすがめつ眺めている。一通りの話がすんでも後も壷から目を離そうとしない。それを見て原さんが「そんなにお気に入られたのならどうぞお持ち下さい」と言うと、伊東伯はビックリ仰天して「いやぁ、これは君、大変な代物で、そんなに簡単に言うものじゃないよ」と言う。原さんは落ち着き払って「いお、いや、私が持っておっても値打ちも分らないのだから・・」、そう言って秘書官に命じて車に載せさせた。その翌日、例の法案がすらりと通ったそうであります。これが楽しませて以て僻を験すでありまして、古来こういう活きた話が歴史の中にいくらでも有るということです。 

20日 その三

「之を怒らしめて以て其の節を験す」
怒りは感情の爆発でありますから、人間の節、しめくくりを吹っ飛ばしてしまいます。人間はどんなに怒っても、締まる所は締まり、抑えるところは抑えなければいけません。

21日 その四

「之を(おそ)れしめて以て其の特()を験す」
人間、恐れると、何かに頼りたくなって一本立ちが出来なくなる、独立性・自主性を喪います。

22日 その五

「之を(かな)しましめて以て其の人を験す」
「人」とはその人間の全体的な反応、つまり人柄であります。人間は悲しい時に、その全てが現れるものです。だから人柄を見るのには哀()しませるのが一番であります。

23日 その六

「之を苦しましめて以て其の志を験す」

人間は苦しい事にぶつかると、ついへこたれがちになるものです。志とは千辛万苦に耐えて自分の理想を遂行してゆくことですから、よく苦しみに耐えて理想を追求してゆくような人であれば間違いないわけです。

 以上が人間観察法の「六験」でありますが、もっと厄介な観察の仕方があります。これを「八観」

と申します。

24日

八観
その一

(たか)ければ其の進む所を観る」

出世すると、地位や身分が上ると、どういう人間を推薦するか、或はどういう人間を敬い尊ぶかと言うことを観察するわけです。

25日 八観
その二
「富めば其の養う所を観る」

金が出来ると何を養うか。女を養ったり、子分を養ったり、犬を養ったり、色々と養うものです。

26日 八観
その三

「聴けば其の行う所を観る」
善いことを聞いたら、其れを実行するかどうかを観る。なかなか実行と言う事は難しいものであります。 

27日 八観
その四

「習えば其の言う所を観る」
習とは習熟することで、習熟すれば其の人間の言う所を観る。話を聞けばその人間がよく分ります。 

28日 八観
その五

(いた)れば其の好む所を観る」
「止」は足形で、立っている境地を表します。つまり、いた(○○○)、板につくと言う意味です。例えば、会社員なら会社員になって、仕事が板についてくると、一人前に仕事が出来るようになると、その時、何を好むか。これを観るわけです。

29日 八観
その六と七

「窮すれば其の受けざる所を観る」

貧乏した時に何を受けないかを見る。人間は窮すると何でも受けるものであります。

「賤なれば其の為さざる所を観る」

人間は落ちぶれると何をするやら分りません。だから為さざる所を観るのです。

30日 八観
その八

「通ずれば其の礼する所を観る」
通は行詰まらずにスラスラと行くことです。例えば、会社であれば、課長から部長へと順調に昇ってゆく。その時に何を礼するか。金を礼したり、地位や名誉を礼したりするだけではいけません。

洵に辛辣な人間観察法であります。