安岡正篤先 「経世と人間学」 6
平成21年6月度 

 1日 科学には人間学が必須 サイエンスを科学と訳します。これは本当にうまく訳しました。科という文字は枝という意味です。根源に対する枝であり専門であります。技術の技も手偏(てへん)に支を書いて同じ意味でありますから、科学技術をやる者は最も人間学を必要とします。 精神的・道徳的な学問をやらなければなりません。
政治もこのごろは次第に知識化・技術化して、いつの間にか精神が抜けてしまう為に、昔の哲人政治を斟酌して政道というものを心がけて修養しなければならぬと言われるようになりました。
 2日 根源に復帰を この文明を始め、我々の生活のすべての面にそういう根源への復帰、これを孟子は実にうまい言葉で「左右逢源」と言っております。水が左からも右からも流れておるが、それをたどると必ず源にいたるーつまり根源にかえらなければならないということであります。 処が、分析されたり、総合されたり、機械的に取り扱われるものは理解しやすく、利用しやすいものですが、そういう根源的なものになると、なかなか理解するのが困難であります。
 3日 己をむなしうして 然し、それだけに取り組むと面白く、現代の教養として極めて意味の深い、大切な着眼点であると思います。そこで、この時代と我々の生活に密着した勉強をすることが本講座の大切な意義でありますから、勝手な個人的思想や議論ではなくて、 できるだけ己をむなしうして先哲の教、先哲の思想・学問に参じてみる。
そして自分の思想や信念。哲学というものを修正し栄養にする。こういう意味で興味深い先哲の教訓をご紹介するわけであります。
 4日 知識と見識 本日は布施維安(ふせゆいあん)の「治邦(ちほう)要訣(ようけつ)」をご紹介しようと思いますが、その前に「人と識」についてまた解明する必要があります。前に水雲問答を講じましたときに識について詳しくお話し致しましたので、既によくご存知であろうと思いますがーー。 本を読んだり人から聞いたりして知識は幾らでも得られますが、見識は中々得られません。
見識は自分で修養工夫しなければ得られない、本質的な生命に関する問題であります。
 5日 識について 識という問題についても、儒教や仏教や先哲等によって論じますと、非常に深遠でありますが、ごく具体的・実践的に申しますと、常に人間は知識に走りすぎます。そこで知識を解明した大変面白い本がありますので紹介しましょう。 明にふう夢竜(ふうむりょう)という人がおりました。この人が「智嚢(ちのう)」という本を書いております。全部で二十八巻ありまして、この中に智を十種類にわけ、それを実例について解説しております。
 6日 智について 皆さんが一寸お考えになっても分かるように、智にも正しい智もあれば、ずるい智―(こう)()奸智(かんち)などという智もあるわけであります。 だから余程注意しないといけません。この本は大変面白いので、わが国でも「日本智嚢(ちのう)」という本ができました。これは安政時代に中村某が書いたもので、確か六巻あったと思います。ときにはこういう本を読むのも参考になります。
 7日

布施維安(ふせゆいあん)

そこでこの識について、本日は布施維安(ふせゆいあん)の書いた治治邦(ちほう)要訣(ようけつ)をとりあげました。布施維安という人は、本性を蟹と言って、安芸の人でありますが、尾張の布施氏をつぎ養斉(ようさい)とも東溟(とうめい)とも号しました。

尾張藩の儒臣でありましたが、後に辞任して大阪に出て、学を講じた人であります。ちょうど徳川の中期、将軍吉宗の時代であります。余り世に知られませんが、広く教化を及ぼしました。従ってこの治邦要訣は尾張藩をはじめ諸方の子弟に大きな感化を与えました。
 8日

治邦(ちほう)要訣(ようけつ)

「一」、(あらた)なる事を巧みに出して、上の利用になるように見せて、之を以て己が功を建て、立身の種にする者あり。凡そ天下の為にならぬことは上の禍なり。決して是等(これら)の人を用ふべからず。

これは考えうによっては、聊か弊害もありますが、大変辛辣な言葉であります。正しい情操と深い智慧から、新しいことを考察するのはよいが、何か抜け駆けの功名をやってうまくあててやろう、という様なよくない心、或は私心・私欲からやる新しがりやは厳に戒めなければなりません。
 9日 明治天皇と宋名臣言行録

特に政治は民衆を対象とするものですから、余程常識的な落ち着いたものでなければいけません。こいつは目先が変わって一寸珍しいというようなことを巧みにやって、自分の手柄や立身の種にする者がよくあるが、これは下の者の為にならぬ上の禍であります。こういう新がりや、軽薄才子を珍しいとか、役に

立つからと言って使うとよくありません。
明治天皇が大変愛読された本に「(そう)名臣(めいしん)言行録(げんこうろく)」という本があって、この中に宰相の典型ともいうべき(りこう)のことが書いてありますが、明治天皇はこの李のことを深く頭にいれておられたようであります。

10日 明治天皇のご識見 李が部下の人材を登用するときには「浮薄新進・事を好むの徒―軽薄で新しがりやーを重く用いてはいけない。政治というものは、どっしりと落ち着いた思慮の深い無欲な人物を用いなければならない」と云っております。これは明治天皇が大臣などをごらんになる一つのお心構えになっておったようであります。 明治天皇は滅多に口に出されませんが、このように人物の品定めが出来るものですから、あのかなり横着な伊藤博文でさえ陛下とお話をして、ご質問をうけたり、お答え申しあげたりして引きさがってくると脇の下が冷や汗でびっしょりだったと告白しております。なかなか学問もなさっておるし、識見も高いので余程恐かったようです。そういう意味で大ぜいの人を使う上司はやはり人間的にも権威がなければいけません。薄っぺらや小利口ではだめであります。
11日ー

14日
徳を得るのは 「二」、人を用ふるは其の(たん)を棄て、(ちょう)を用ふべし。人に癖無き者は稀なり。大本(おおもと)の所だに違いなくば、少しの癖は癖にならず。或は一事(いちじ)仕損じたりとて(にわか)に其の人を捨つべからず。大本の所が(たしか)なる人ならば、過を許して任用(にんよう)すべし。然らざれば人材を尽くすこと(あた)はず。人を使う場合には、その短所ばかりを見ていると使えない。処が、これは難しい問題であります。何故かと申しますと、人間の長所・短所というものは別々のものではなくて、長所が短所であり、短所が長所でうることが多い。 長所と短所が渾然として一つになっている。だから短所をどうして長所にするか長所を如何に短所にしないか、ということが修養の一つの秘訣であります。「短を捨て、長を用ふべし」というのは考えようによっては、簡単であるけれども、実際問題としては難しいことであります。そこで大事なことは枝葉末節ではなくて大本がどうであるかであります。大本が確かでしっかりした人だったら、少しくらいの短所や癖があっても用いて宜しい。そうでないと人材を活かすということは出来ません。 

「三」、人の徳を成すこと三あり。

一には自然の好天(こうてん)(しつ)なり。

二には良師友(りょうしゆう)仕入(しい)らるるなり。

三には学問にて練り上げるなり。然るに好天質(こうてんしつ)は多く有りがたし。必ず師友(しゆう)学問の()()らずんばあるべからず。

人間には生まれつきの好ましい素質が徳となっている者がある。またよい先生につき、よい友達と交わって徳が磨かれる者もある。

更に学問によって磨きあげて徳をつくる者もある。
然し、生まれつきその徳が完全であるなどという人はいないので、どうしても人間はよい師・よい友を得て仕込まれるか、学問をして練り上げないと徳は出来ません。
  

15日ー

20日
学問で練りつめた人

embody(えんぼでぃ)

恩をきせるは不可

政治家にも罪がある世相悪化


俗吏(ぞくり)姦計(かんけい)
荻生徂徠の高弟で太宰春台という人がありますが、この人は師の徂徠よりもよく出来たと言われる程の学者であります。大層鋭い人で、特に批評が辛辣でありました。
この人が伊藤仁斎を評して、「仁斎という人は学問で練りつめたような人だ」と申しております。明治時代でありますと、明治天皇を輔弼(ほひつ)した副島(そえじま)(たね)(おみ)とか、元田永孚(もとたえいふ)とか、いう人もやはり学問で練りつめたという感じのする人達であります。 

昨今の学校の先生を見ますと、人間と学問とが別々の人が多いようです。従って、人間が軽く、学問も極めて概念的、抽象的で実がありません。やはり本当の学問というものは西洋でも申しますが、embody とかincarnate と申しまして、これをしないと本物でないということは古今東西変わらないことです。

ドイツ人はよく Lese-meister(本読み)はいくらでもおるが、 Lebe-meister(生命の師)はおらないと申します。つまり本読みの師はいくらでもおるが、身体で範となる師というものは極めて少ないということであります。

政治の道

「四」、士民(しみん)の為に事を行ふは(もと)より人君(じんくん)()すべき道なれば、其の命令の辞に恩にきせる(もうし)わたしあるべからず。恩にきせて為す時は下にすね(○○○)心を生じて(よろこ)ばず。善政にても其の事行届かず。(いわ)んや上の為になすことを民の為と言ひなすは俗吏(ぞくり)姦計(かんけい)曲事(きょくじ)なり。 

士民のためら事を行うのがもとより人君たるものの道であるから、その部下の士に命令する言葉は、恩にきせるところがあってはいけないということです。成る程、よくやることですね、上に立つ者は・・・・。手段策略で下に恩をきせがましくやりますと、必ず下にすねる心が生じ、善政であっても行き届きません。まして、つまらぬ役人が民の為にと云って狡いことを考えるのは許されない悪事でもあります。 
昨今の世の中を見ておりましても、実にすねることが多く、何でも逆にとったり、茶々を入れたりする難しい世相になりました。そうして徒に屁理屈をつけ、自分に都合の好いようにして反抗する。これは政治家にも罪があります。「自分は有権者のためにこういうことをする。また、ああいうこともする」等と言って恩にきせて投票させる。

そうすると有権者はやはりひがみます。或は我が侭になってまっすぐでなくなります。選挙という大きな問題をどういうふうにしてよくするか、と申しますと大変なことで、とても選挙法の改正くらいではどうにもなりません。やはり根本的に政治というものを正して、政治教育といいますか、国民道徳というようなものを立派にするより他にありません。


ここに、「俗吏(ぞくり)姦計(かんけい)曲事(きょくじ)」という言葉がありますが、どうも今日の民主主義、選挙政治というものもこの姦計になってしまって、正しく曲事であります。率直に言って、姦計というのは極めて辛辣な言葉であります。姦の字、女を三つ合わせた字は多くの女を巧みに操縦するという意味があります。先の智で申しますと(こう)()に属します。
 
21日 奸と姦

これを逆に女から申しますと、「(かん)」、これは要求するという意味であって、何か欲しいものがあると、男にうまいことを言って望みを達するのが奸の字である。文字の面白い一例でありますが、これは姦計(かんけい)或は奸計(かんけい)として選挙に使われるようではお終いであります。

従って、今日の選挙制度をどうするか、ということで色々な研究会や委員会があり、議論も行われておりますが、今日となっては非常に処理しにくい厄介な問題であります。然し、これを何とかしませんと、次第に反体制、暴動のような勢を助長することになりましょう。政治というものは難しいものです。
22日 歌舞(かぶ)の堕落は

「五」、人間はなぐさみごとの無くては叶はず。故に歌舞あり。孝経(こうきょう)(ふう)を移し(ぞく)()ふるは(がく)より善きはなしとは、正しき事を(がく)に作りたるは、人の情其の調(しらべ)に移りて、心にしみ入るなり。

淫乱遊蕩(いんらんゆうとう)(おこない)弦歌(げんか)にのせて(まい)かなでば、風俗の乱れ(こわ)さでやまるべき。(つう)大息(だいそく)すべき事なり。
23日 歌舞と国政の堕落 人間には何か娯楽というものがなければならない。そこで歌だの舞だのが行われれます。これは日本も中国もそして西洋も同じであります。風俗というものを一番端的に表すのは歌と踊りであります。今日でいうと、民謡踊りとか歌謡曲の類でありましょう。歌舞は一番その時代の人心風俗を表すもので、これが堕落しますと民衆が堕落して、国政の頽廃をあらわします。 また、これが健全であり、健康的であると必ず民族の興るときであります。歌舞が退廃的になり、エロティック・デカダンになつてくると必ずその国民も危なくなつてくる。丁度病気で申しますと兆候であります。
このごろ、外国から日本に来る人々の感想、つまり日本評を注意しておりますと、しばしばこれに触れております。
24日 日本は消滅か?

フランスの特色ある新聞ルモンドの特派員で、極東総局長のロベール・ギランという人がこの間、東京で講演しました。この人は有名な支那通でありまして、「六億の蟻」という書物を書き、続いて「第三の大国・日本」という本を出版してよく売れております。

彼は歌謡曲ばかりでなく、昨今の公害・風俗・思想の動向等を見ておると、どうも日本は太平洋の島国ではあるが、この島から日本というものが無くなるのではないかという気がする。
島は残るが、島の上の歴史的日本・文化的日本は無くなってしまうのではないか。
25日 深刻な日本 これに比べると、我がフランスなどは、民族の歴史・芸術・風俗・習慣というものをどのようにして保存しようかと苦心している。田舎を旅行してみても、旧い家をつぶすとか、塔一つ、木一本をどうする等ということを大きな問題としているが、日本へ来て、情け容赦なく家でも、木でも、石でも壊して行く光景を見ておると、或る意味に於いて極めて積極的進歩的であるが、これは結局、日本が日本でなくなることではないか。 大変残念なそして私達外国人には理解できない問題であると申しております。
こうこういうことを言う人は西洋の識者の中には随分多くなりました。長大息(ちょうだいそく)すべき問題でありますが、意外に日本人は無頓着であります。
布施維安(ふせゆいあん)の時代はよく似ておりますが、やはり現代はよく似ておりますが、やはり現代の方が遥かに
深刻で危で険あります。
26日

平尾(ひらお)(あつ)(やす)の訓

治邦要訣はまだ続くのでありますが、今回は以上の五つにしておきます。この布施維安から少し遅れて文化・文政・天保時代に但馬から出た人に平尾厚康という人があります。厚康というより源太夫といった方がよく通り、藩侯の出石候(いずしこう)(しょく)を受けて領内の荒村(こうそん)の救済振興して治績(ちせき)をあげました。

いわば出石・但馬における二宮尊徳でありますが、晩年は禅に参じて名を玄通と改めた。誠に風格の高い実際家であり、哲人的な人であります。尊徳先生は有名になりましたが、この人は殆ど知られておりません。然し識者は非常に畏敬し崇拝した人であります。この人によい家訓が残されておりますので取り上げたいと思います。
27日 昭和元禄は間違い 文化・文政というと、現代のようにデカダン文学、デカダン風俗の流行した、線の細い、淫蕩で、精神的なものが欠乏した時代であります。元来、元禄時代と申しますと、安土桃山時代即ち戦国の後をうけて気概に富んだ、線の太い、男性的な時代であります。 従って、享楽にしても甚だ男らしい、逞しいところがあります。
そこで現代を昭和元禄というのは間違いであって、本当は文化・文政即ち昭和化政と申すべきですが、これでは通用しません。赤穂浪士のおかげで元禄が国民周知の言葉であるため、昭和元禄となったのであります。
 
28日 家庭 彼は、開拓をやり経済の振興を図り、そして藩政の改革をするに当って、まず藩士・藩民の家を充実させることに根本をおいております。領内の士民の家というものが駄目になったら藩というものも駄目になる。 これは国家も同様であります。国民が家庭を失えば駄目になります。そこで彼は、改革政治の根本に士民の家をいかにして充実するか、家庭生活をどうするかということを実に親切に徹底して指導しました。
29日 隠徳とは 「一」、
常に心懸けて
徳を積むべし。隠徳とは善事をなして、其善を人の知らんことを求めざるをいふ。
貧窮(ひんきゅう)を救ひ、()(かん)を憐み、
老人を助け、病人をいたはり、生あるものを殺さず、(よろず)慈悲を心の根とすれば、自然に天道(てんどう)冥加(みょうが)にかなひて、(いえ)長久(ちょうきゅう)なるべし。
30日 人が()すと書いて「偽」 常に心がけて隠徳を積むが宜しい。
隠の字は陰でもよく、自分のなす善い行いを他人に知らせる、或は知ってもらうということを求めないことを言いまして、大変好い着眼であります。
何か善いことをすると直ぐ表彰しますから、表彰してもらおうと売名の為に善い事をする者が出るかもしれません。これは真実でないから害があります。
その意味において隠徳というものは最も正しく、最も大事なことであります。
人間は為にすることころがあってはいけません。
人が()すと書いて「偽」という字が生まれ、その意味はうそ(○○)であります。人間はとかく真実を離れてうそをやりますが、それは宜しくない。
やはり真実が何よりも大事であります。従って隠徳を行うと正直なもので何ともいえない心の満足を感ずるものです。