平成に甦る安岡正篤先生警世の箴言」8

平成20年6月度

 1日 何事にも果断・果決が必要

思考の三原則
思考の三原則ということについては既に十分お話しておきましたから、大抵ご記憶のことと思いますが、始めての方もおられますから略説します。 第一原則は、目先にとらわれないで、出来るだけ長い目で見ること。第二原則は、ものの一面にとにわれないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に考察すること。これは大変難しいことです。
 2日 全面的考察 人間は、ともすると一面観に堕するものですが、正しい結論を出そうと思うと一面観では駄目であって、出来るだけ物事を多面的、出来れば全面的に考察することが必要であります。 そして全面的に考察するためには、余程、離れて見るか、高い所から見るか、どちらかでなければなりません。そこで大臣のことを相というのだという話を前に致しました。
 3日

大臣と相

これは木に目をつけた、木をよく観察する意、或はまた、大所高所から見る(?)という字でありますが、字として余り縦に長すぎるから、木の横へ目を廻して相とし、物ごとを離れて見る、という具合にしたとも言える。大変よく出来た字であります。 だから大臣というものは、複雑な政治問題等にとらわれないで、大所高所から観察して、真実の政策、国家百年の大計を立てることができるものです。かくして本当に国民を助けて政治を行うことが出来る、ということをよく説明しておきました。 
 4日 第三の原則 その1 もう一つ、第三の原則は、出来るだけ枝葉末節にとらわれないで根本的に見ること。これに関しては「植木の哲学」という生きた例をご紹介したいと思います。 植木屋はなぜ、しょっちゅう木に登って枝葉を刈っておるかと申しますと、植木というものは、あまり枝葉・末節が茂り過ぎますと、風通し・日ざしが悪くなり、ふところが蒸れて、蟲がつきやすくなります。
 5日 第三の原則 その2 そうすると、やがて伸びが止まり、(うら)()れと云って、大事な梢が枯れ始めます。同時に、根上がりといって根が上へあがてきます。元来、根というものは、成るべく深く地に張ってとおらなければなりません。 根の重量と地上に出ている枝葉や幹の重量とは大体同じです。従って、木そのものの半分は根でなければならぬということです。人間の存在、人間の活動もこれと同様に根がしっかりしておらなければなりません。
 6日 果断果決(かだんかけつ) これは枝葉ばかりでなく、花でも実でも適当に間引くということが大切です。特に商売になる果実などというものは、みんな惜しんで鈴なりにしやすいものでありますが、これは木にとってよくありません。 そこで、果断果決がどうしても必要であります。人間には、愛着、執着というものがあって容易に果断果決ができませんが、それをやりませんと、木そのものが弱って終には病気になって枯れることがあります。人間も同様に果断が必要であります。殊に政治家、大臣の心得の重要な一項目はこの果断ということです。
7日
ーー
10日
盲目的では駄目 思考の三原則は、人間生活特に厄介な問題である教育・経済・政治等に通ずる原理で、これを学んで応用せず、盲目的にやっておっては不安があり危険であります。こういう思考の原則をもって本年上半期の内外情勢を観測し、応用致しますと、その処置に誤りなきを期することが出来ますが、ただ、ゆきあたりばったりでは、これから迎える下半期は洵に危いことばかりであります。 
経済は皆さんが専門でありますから、始終研究されておりますので論評する必要もないと思いますが、今の様に経済がエコノミックではなくて、ポリティカル・エコノミーになり、政治もエコノミック・ポリティックスというものになって参りましたならば従来の所謂政治とか経済とかいうものは正しい意味に於いて同寅(どういん)となり(いん)(きょう)をしませんと

この日本の難関は通過出来ないということを改めて考えるわけであります。事実において次第にそうなっておるのですが、あまり好い意味においてそうなっておるのではなく、ゆきあたりばったりの応急手段に堕しておるというのが現状でありまして、これは一つの混乱であります。 早い話が、現在は選挙が総てというような時期にあります。議会制民主主義政治というものの根本原理からいうならば、選挙というものが、すっかり変質してしまって、まことにおかしなものになっております。現実的に今日の選挙を考えますと、要するに選挙費用が問題であり、いかにして一票でも多く票を集めるかということであります。例えば、大規模産業と直結したり、或は企業体を動員して票集めをする。これが、正にエコノミック・ポリティックスになっておる証拠でありまして、本当は自由選挙ではありません。

11日

難しくなった選挙

そうなりますと、最も票固めに有利な立場にあるのは教員組合等であります。そこで選挙と政治の意義・運用は非常に難しくなってまいりました。今後、日本の政治はどうなってゆくのだろうか、或はどうしてゆけばよいのかということは、これ自体大きな難問であることは言うまでもありません。 

処が、現実問題をちょっと考えてもましても、参議院選挙がすみますと、内閣改造問題、その他の新しい政治活動等、諸問題が起って、衆議院の選挙までゆかなければならぬということも考えられるわけではありますが、全て政治というものが難しくなった証拠であります。
12日 政治とは「力と指導の問題」

原理的に考えると大変難しい問題でありますが、ごく常識的な誰にも理解できる政治の様相、現状から申しましても、政治というものは、要するに「力と指導の問題」です。

政治組織というものは、指導者組織ということになり、その点から政府与党である自民党というものを考えますと、その存在の意義や力というものが大変混乱し、脆弱になってきつつあります。
13日 有力指導者なし これは自民党としても国民としても重大な問題でありまして、例えば、自民党の中に派閥というものがあって過般の総裁選挙までは党の中に有力な指導者というものが、好むと好まざるとに拘わらず幾人かはっきりとおりました。
処が、昨今になりますと
殆どそういう派閥の首領というような有力指導者の影が薄くなってきて、どうやらこの頃では田中首相の殆ど独走というような体制になってきております。これは良いことだと考えれば考えられ、困ったことだと考えれば考えられます。また現にそのような考え方も一部にはあります。 
14日 大連合 いずれにしても、これが現実であり、事実であります。そこで田中総理が一度つまづくと、自民党は大きな混乱に陥るという危険があります。野党も同様に、これまた甚だしく弱体であります。ひとり共産党だけが大変景気づいておりますが、未だ世界の共産党に比べると日本の共産党は見劣りがいたします。 つまり日本の政党政治は、もう少し各政党がしっかりしておりますと、野党連合であるとか、大連合―大連合と申しますのは、野党が小異を捨てて大同につき、それに自民党の中の左派が加わって連合政府をつくろうという考えなどというのも、有力な指導者が乏しいために中々まとまりません。つまり政界そのものが非常に不安定であります。
15日 政治の不安が濃厚 処が、政治というものは、政府の予定した政策に基づいて論理的に展開するものではありません。昔ナポレオンは「政治というものは、常に何か思いもかけない突発的な事件が起こって、アクシデントが起こって、それに対して処置するというものであるから、単なる事務家では、政治にならない。政治家というものは、見識とか、度胸とか、そういう単なるビジネスマンとは違う素質や能力が必要である。」 と申しておりますが、確かにその通りであります。今、日本にはどんな事件が突発するか計り知れないものが沢山あれまして、例えば、石油問題のようなものがちょっと起りますと、周章狼狽、日本の政治経済の混乱というものは実に非常識でだらしがありませんでした。このようなことでは、日本の政治の明日はどうなるのか、どんな混乱が始まるのかわからないという不安があります。こういう不安が次第に濃厚になっております。
16日

困難な日本の国際的立場

世界一複雑な日本の近隣環境


国内ばかりでなく、日本の対外関係がまた大変厄介でありまして、同じ今次大戦の敗戦国であるドイツを見ましても、これはソ連だけを注目しておれば宜しいのですが日本に限って、一衣帯水の彼方に、ソ連があり、中共があり、その上に

北鮮という厄介な共産党勢力、共産政権が存在しております。そしてそれに接続して韓国がありますが、韓国と日本とは歴史的にも現実的にも深刻な運命共同体にあります。このような複雑な国際関係にある国は世界にも例がありません。

17日 ソ連 ソ連は、現在日本に対してチュメニ油田の開発であるとか、その他シベリヤ産業開発、新しい鉄道の敷設等に関して協力を申し込んできておりますが、我々は過去の歴史に徴して慎重であらねばなりません。もう日本海はソ連領海になっております。 日本海ばかりでなく、ソ連の軍艦はインド洋にも進出しておって、マラッカ海峡などもどうなるか分からなくなりました。それだけでも、日本経済というものは実に不安があります。最近、領海問題、海の領域問題がやかましく云われておりますが、これは単に漁業問題にとどまりません。
18日 知識階級や指導層の使命

中共などは始終権力闘争をやっておりますが、諸外国の権力闘争を見ておりますと、日本も真剣に考えなければならぬことでありまして、現在の田中内閣が国民の支持を失いつつありますから、これから深刻になるのは政権の争奪です。政治、経済、或は社会的な諸般の問題と同時に、この政権争奪がどのようにして起るか計り知れないものがあります。

これを当局者、当面の為政者はよく知って、こういう変態現象、極端な社会変動、政治変動を起こさぬようにごく常識的な健康な政策の遂行、即ち堅実政策をやらせるように国民が総力をあげて助成してゆかなければなりません。こういうことが今日の一番大事なことであります。そして、これは国民の知識階級や指導層の使命であると考えます。
19日 良心的な使命感が国を救う また今日では支配組織、支配機能というものが機械化され技術化されましたから、一度強烈な支配組織というものが樹立されると、自由というものは徹底的にきかなくなりますから、この難境から脱出するということは簡単には出来ません。つまり国民はその為に長い間苦しまなければならぬということになります。 

今後日本人で出来るだけ良心と常識というものを大事にして、この日本の国民的、国家的生活と、その間にある問題を処理してゆくにはよほど賢明でなければなりません。これが就中、指導的立場にある人の良心的な使命であり、責任であり、一番大切な時局の根本問題であります。
(昭和49年6月19日)

第七講 興亡の危機に学ぶ
20日 (しゅう)()治人(ちじん)―身心の学 元来、この講座は、所謂学問のための学問とか、知識のための知識というようなことではなくて、生きた時局というものを絶えず参照しながら真理を尋ねるという精神、建前でやって参りました。 そこで人間学の根本、本筋というものは、やはり東洋・西洋の別なく、一言で申しますと「(しゅう)()治人(ちじん)」―己を修め人を治めるということが第一でありまして、学問というものが観念の遊戯になっては値打ちがありません。
21日 事上(じじょう)練磨(れんま)

そして、(しゅう)()治人(ちじん)というあても結局は己を修めることが本体でありますから、古人の言葉で申しますと「身心の学」であります。その身心の学を修める上で忘れてならないことは、

事上(じじょう)練磨(れんま)」ということであります。それは我々が絶えず日常生活の中で色々な問題について自分の経験と智恵を磨いてゆかねばならぬということです。己を修めないで人を支配しようと思っても、それは無理というものです。 

22日 日本人は苦労を知らない

処がこういう学問が長い間、全く閑却されまして、特に終戦後は破壊された日本を建て直すためには、兎に角経済である、その経済も「経国済民」ではなく、まづ衣食であり収入を得ることである、というので商

売を伸ばすことに没頭致しました。元来、日本は経済的根拠が薄弱で、その上資源に乏しい。従って、出来るだけ安く外国から原料を買って、それに技術を加えて生産し、それを売って所得倍増を図りました。
23日 唯物的・高功利的に過ぎる戦後 その結果、GNPがどうのこうのと全て唯物的・高功利的な問題を中心に考える。従って、(しゅう)()治人(ちじん)の学というようなものが無くなってしまいまして、今日の世相のような当然陥るべき頽廃と行き詰まりを招いたということは、明らかに因果というものであります。

処が、その混乱が昨今に至って最も酷くなり、特に政界が浅ましい程それを暴露しております。善良な国民は、ただはらはらするばかりですが、事を好む輩は、この際得たり賢しとばかり、騒ぎ立てるという傾向もありまして、大変憂慮すべき問題であります。 

24日 興味本位をたしなめる 世間というものは軽薄なものでありまして、このようになりますと、元気のよい向う意気の強い田中首相がいつ辞めるだろうか、というようなことに興味を感じ、熱中する人もおりますが、これは大変よくないことであります。 今朝も東京から電話を受けた中にも同じような言葉がありましたので厳しくたしなめておきました。物事というものは、ただ興味本位で軽挙妄動すると、大変副作用がありますから、特に責任ある地位の者は慎重でなければなりません。
25日 興味本位をたしなめる

世間というものは軽薄なものでありまして、このようになりますと、元気のよい向う意気の強い田中首相がいつ辞めるだろうか、というようなことに興味を感じ、熱中する人もおりますが、これは大変よくないことであります。

今朝も東京から電話を受けた中にも同じような言葉がありましたので厳しくたしなめておきました。物事というものは、ただ興味本位で軽挙妄動すると、大変副作用がありますから、特に責任ある地位の者は慎重でなければなりません。
26日 日本の為に危険 私は知人からよく「先生のおっしゃった通りになりましたね」と言われます。これは困った言葉でありまして、本当は「先生、いつかあのようにおっしゃっておりましたが、このようにな ってよかったではありませんか」と云って欲しいのですが、事実はそのようにはまいりませんので常に大きな憤りと憂を禁じ得ません。これは日本のためにまことに危険であります。 
27日

戦争の悲劇の実体を知らぬ日本人 

皆さんもご承知の通り、ヨーロッパの自由諸国ならば大体ソ連一国だけを考えておればよいわけです。その上、ヨーロッパ諸国は、第一次、第二次世界大戦という大変な活劇、悲劇を重ねて体験致しまして、戦争とかその実体、即ち破壊、殺傷、苦悩の極致を体験しておるのであります。だから見識とか勇気とかというようなことは別問題と して、兎に角彼等は苦労してきましたから、心構えが出来ております。これに比べて日本は、明治以来戦争はすべて外へ出てやっておりまして、国内で戦ったことはありません。今次の大戦で終戦直前になって、あちこち爆撃を受けましたが、これも敵の部隊が直接本土へ来寇したのと違って、その被害にも大きな相違がありましょう。
28日 骨抜きにされた日本

さて、終戦を迎えて、敵軍が進駐し、日本を管理しましたが、アメリカは文明国という看板をかけた紳士の国でありましたから、日本管理政策というものは表向き大変穏かであり、寧ろ或る意味では相当日本を助けてくれました。ただその占領政策は3R、5D、3Sと言われる深刻且つ巧妙な政策でありまして、これによって日本はすっかり骨抜きにされてしまって、

今日見られるような一部の頽廃・堕落と意気地のない人間を生んだ原因となったことは、かって詳しく話をしたことであります。然し、それは言わば巧妙な内科的治療で、酷い外科手術ではありませんでしたので、日本人はあまり自覚的にこの占領政策を批判するとか反省するとかいうことがありませんでした。そうしてヨーロッパ諸国に比べますと、比較にならぬほど平穏裡に敗戦から復興したわけです。
29日 甘い日本人の遠因 だから、どうしても日本人は甘くなります。アメリカから投げ与えられたデモクラシーというものを無反省・無批判に遵奉し、或はこれを利用・悪用して今日の結果に陥ったというわけであります。

だからそのデモクラシーを日本に投げ与えたアメリカ当局者が後になって、日本人はデモクラシーの一字を間違えて、シに濁点を打ってジにしてしまった。 

30日 デモクレィジー 即ち、democracy を democrazy にしてしまった。 クレイジィーは気狂いという字でありますから、つまりデモ狂にしてしまったというわけで、彼らはプレスクラブで語りあって大笑いしたというような話がありますが、本当に今日の日本はデモクレィジーに陥っております。