日本古代史の謎 その一 水野 祐氏より
第一章 神典「古事記」「日本書紀」編纂の謎
平成23年6月
1日 | 序文 昭和天皇の崩御に思う |
昭和64年1月7日、裕仁天皇は87才で崩御され、昭和天皇の諡号が贈られました。そして皇位は長子明仁殿下に引き継がれ時代は昭和から平成へと変わりました。 |
2日 | 万世一系の皇統 昭和天皇と新嘗の稲 |
昭和天皇が亡くなられる以前、東京地方に台風襲来を告げる気象予報が入った時のことです。病床にあられた天皇は、その予報をお聞きになるや、「新嘗の稲は大丈夫か」と侍従に問われたといいます。昭和天皇は、ご自分で田植えをされた新嘗のコメ、つまり新嘗祭に捧げるコメを案じられたのです。 |
3日 | イネはだいじょうぶか |
重病に伏しながら台風の襲来に際し、一番先に新嘗のコメのことを心配して「イネはだいじょうぶかと」と問う?そのような発想をする国民がいるでしょうか。 |
4日 | 日本文化にとっての深奥 |
天皇がいかなる時も、「新嘗のコメを案じられる」 |
5日 | 神聖な皇統の継承 |
天皇は一生一度の大儀式、踐祚大嘗祭を行って”神霊”を継承されます。この神霊継承は、日本国のシラス(統治する)主権者の条件であり、”万世一系の皇統”を受継ぐ天皇にのみ許されると考えられています。 |
6日 |
神霊とは、皇祖神天照大神の神霊です。その神霊を体得して皇祖神と同様のシラス権(統治権)を身につけることで神聖な天皇の地位にとどまることが許される。--代々の天皇はそうした信念を持たれて今日にいっているのです。 |
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7日 |
しかし、こうした神聖な皇統の継承において、一つ重大な問題があります。それは、実際に天皇として世に処していかれる前に、神霊が接触する物に移行していくと考えられる。 |
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8日 |
この神霊・霊能の磨耗という問題。これは古代社会に於いては大変な問題であったはずです。つまり霊力がだんだん薄れてしまう。神霊・霊能を継承しても、接触しすぎてしまうと自分の霊能が薄れ、遂には失われてただの人間に戻ってしまう。そうすると、神聖な地位が保たれなくなるというのです。だから、神聖な地位に基づいて国を統治する天皇としては、そのことを防ぐ必要があるわけです。 |
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9日 | 新嘗祭の意味 天皇の神霊継続 |
その為にはどうするか。その答えが新嘗祭です。つまり踐祚大嘗祭は一生一度の儀式ですが、それによって継承された天皇の神霊が何年たっても失われないように回復させる儀式が毎年行われる新嘗祭なのです。それゆえ、この新嘗祭と踐祚大嘗祭とは同じ形式です。こうして踐祚大嘗祭と毎年の新嘗祭によって、天皇は神聖な皇統を継承し、日本のシラス権を保つ地位が保証されると考えられているわけです。 |
10日 | 天皇の思い |
私が先程、昭和天皇の「新嘗の稲はだいじょうぶか」というご発言に対して感銘を深くしたと述べたのは、まさにこうした神聖な”万世一系の皇統”を支える新嘗祭に向けられる天皇の思いに、胸打たれるからにほかありません。古代から受け継がれてきた神霊に忠実であられ、シラス権たる天皇としてのご自覚で日本国を思われていた、私はそのことに素直に感動するのです。 |
万世一系の皇統と古代史の謎 |
万世一系の皇統と古代史の謎 |
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11日 | 基本的な視点 |
この「日本古代史の謎」という講座は、その取り扱う分野の性質から、当然に古代の天皇に関する講義が多くなります。なぜなら、天皇の統治機関である大和朝廷が古代史の主要な流れを作ったと言えるからです。そこで、私は講座に入る前に、先ず本講座での天皇や大和朝廷に関する基本的な視点を明らかにしておこうと思います。 |
12日 | 三王朝交替説 |
ご存知の方も多いと思いますが、私は大和朝廷の歴史について、三王朝交替説というものを提唱し、それを中心として古代史の多くの謎を解こうと試みてきました。この三王朝交替説は、「古事記」や「日本書紀」(以後まとめて記紀と表す)で第二十六代の天皇とされている継体天皇以降からが万世一系の皇統であり、それ以前には王朝の交替があったと考えるものです。 |
13日 |
私の三王朝交替説は、「記紀」が作られてから1200年余年、誰もが信じてきた万世一系の神聖皇統観を否定し、それどころか、天皇制否定の目的があると誤解されることが多々ありました。 |
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14日 | 万世一系の皇統を事実として肯定する |
しかし、実際に三王朝交替説に接して貰えば分る通り、天皇制そのものを否定するどころか、それは逆に万世一系の皇統を事実として肯定することを試みたというべきものなのです。 |
15日 | 人類史上に希有な一系の天皇 |
そして、私は三王朝交替説に於いて、「継体天皇から以後、今上天皇にいたる1500年の長きにわたり、人類史上に希有な一系の天皇が、その地位を保持してこられたという史実を肯定できる」という結論に達しました。 |
16日 | 万世一系の皇統を裏付ける |
言うまでも無く、この結論を”史実”として見ることは、まさに神聖な万世一系の皇統を裏付けることだと言えます。 |
17日 | 史実の解明 |
とは言え、本講座は、万世一系の皇統を裏付ける為に行うものではありません。純粋な知的興味により、史実の解明を行おうとするものです。 |
18日 | 「古代史」の嘘偽りのない現状 |
さて周知のように古代史には未だに解き明かされていない謎が沢山あります。むしろ古代史は謎だらけだからこそ面白いとさえ言われるくらいです。例えば、よく話題になる。「邪馬台国と卑弥呼」など、さまざまな説が入り乱れています。そういう状況ですから、邪馬台国と大和政権の関係一つにしても、様々な考え方があるのは当然、それどころか、「記紀」に記されている天皇の実在性についてさえ、まだ論争があるのが「古代史」の嘘偽りのない現状です。 |
19日 |
本講座は、そうした古代史上の謎をあなたとともに一つ一つ解き明かそうと試みます。全てを解き明かすことは出来なくても、この講座によって多くの知識を得る喜びを味わえるばかりか、謎の部分にスポットを当て、検証と推理を楽しみながら、あなたは結果として古代史の概要を自分なりに把握されると信じます。 |
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20日 | 古代日本の思念 |
「新嘗の稲はだいじょうぶか」という昭和天皇のご発言、その背後には少なくとも1500年以上の時を経た古代日本の思念があります。日本文化の源流があります。恐らく私たちは、本講座で万世一系の皇統と起源を垣間見ることでしょう。また、そうした知識や検証や推理を積み重ねるうちに、古代日本の姿を心に描くに違いありません。そうして、自国の歴史について多くを学び、先祖の営みに接することが、心の糧になり今を生きる私たちの支えとなってくれることを私は信じて疑わないのです。 |
第一講 古代史の楽しみ |
第一講 古代史の楽しみ |
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21日 |
日本古代史学の基本 |
「古代史の謎」に迫る前に、まず「日本古代史」の定義づけをしておきましょう。 日本古代史とは、どういう領域を扱うのかと言いますと、人間としては日本人、日本民族を中心とした歴史であり、地域としては日本列島を主体とした範囲の歴史です。 |
22日 | 旧石器時代から 平安時代まで |
そして時間領域としては、最も広義に定義すれば、旧石器時代(地質学で言えば洪積世の時代)から平安時代にいたるまでを扱います。 |
23日 | 日本古代史の範囲 |
この定義に従えば、人間が日本列島に住み着いてから、第12世紀と言われる時期までを含めた範囲の時間を扱うのが日本古代史だといえます。ただし、この講座では第8世紀と言われる時期までの検証・推理をしていきます。 |
24日 | 基本的な研究方法 |
以上のように、日本古代史(以後断りの無い限り日本古代史を単に古代史と表す)は非常に広範囲にわたる研究領域をもちますから、ただ一つの史学の方法だけでは掌握しきれない面もあります。ちなみに史学と言う学問は、その研究材料の中心を文献史料におき、文字で書き残されているものを手がかりに史実を究明することを基本的な研究方法とします。 |
25日 | 第7世紀以後文字を使った記録 |
日本の歴史では日本人が文字を使った記録が整ってくる時代は第7世紀以後になってからのことです。ですから、単純に考えれば、それ以前の古代史について史学の方法だけで迫ることは困難なことと言えます。 |
26日 | 文字が使われる以前に日本には既に国家が成立 |
例えば、文字が使われる以前に日本には既に国家が成立していました。この文字の使用以前に国家が成立していたと言うのは日本の古代史の一つの特徴ですが、その意味するところは、要するに国家の起源が極めて古いということです。 |
27日 | 古いが為に文字・記録が無かった |
古いが為に文字・記録が無かったのです。結果、史学の方法が使いにくい為に、日本の国家は起源は正確には判りにくいということになるわけです。 |
28日 |
では、ほかにどういうアプローチの方法があるかと言いますと、考古学とか人類学とか、或は文化人類学、即ち民族学とか民俗学などが挙げられます。このような色々な学問の研究成果を利用し、その上に文字・記録による史学的研究とを総合させて歴史事実を決めていくという方法をとることも必要となります。 |
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29日 | 貴重で少ない研究材料からの謎解き | 私は基本的には史学の方法を中心として古代史を解き明かそうとする者であって、この講座も史学的なアプローチを主たる方法にして古代史の謎に迫ろうとします。 |
30日 |
処が、いま述べてきましたように、史学の方法は決して古代史を解き明かす万能の方法ではありません。とりわけ、文字・記録の殆ど無い時代のことについては、他の学問方法の助なしに古代史の謎に迫るのは困難なことです。 |