日本、あれやこれや その62
平成21年6月度 

 1日 精神復活を!!

日本人の軌跡

敗戦後65年の日本
気がつけば、日本全体が、欧米の「個」の価値観が定着し、為に日本全体に「エゴイズム」が充満してしまっている。 日本伝統の「公」の精神が、跡形も無く消滅した。
本能むき出しの日本人が闊歩し、殺人が連日行われている。
「倫理観」、「道徳観」欠如は、政治家・政党領袖、国家官僚、財界、企業人に及び不祥事が蔓延している。
 2日 先祖の危惧 心ある日本の先達が最も危惧していた「欧米の価値観の植え込み」というアメリカの「洗脳」の目的は「日本人の精神破壊」であったが今それが現実化しているのに未だ目覚めない日本人。 「祖先の魂」を受継ぐという責務を忘れている日本人だ。
日本民族は無残な国になっている。素晴らしい伝統ある日本が消滅しつつある。今こそ、覚醒せねば永久に外国の奴隷となる。
 3日 世界最高の

日本文明
日本人は世界最高の、崇高な精神文明に到達した過去を持つ、現今日本人は謙虚に、素直に、その精神文明を辿り自己を再発見しなくては先祖に申し訳ない。 失われた六十五年、今からでも遅くない、一人でも多くの日本人よ、我々民族の「精神復興」に挑戦しようではないか。
それには、国史を学ぶことだ。
 4日 古代日本は

欧米に600年先駆
日本は、大和時代より、遣隋使、遣唐使を大陸な命懸けで送り、積極的に中国文明を吸収した。そのお蔭で、日本の文化は飛躍的に発展した。 飛鳥文化、白鳳(はくほう)文化、天平(てんぴょう)文化と花開き、それを土台とした平安文化という「日本独自の文化」を形成した。以来、日本の文明は世界八大文明と一とされている。
 5日 平安文化は世界トップクラス 当時としては、世界的に最高のレベルの文明であった。 特に、平安時代の文学の最大の特徴は「日本独自の仮名文字」の発明であった。
 6日 万葉集以降 日本最古の歌集、奈良時代末期のもの。仮名の音に漢字を当てはめて書かれた、和漢折衷だ。万葉集が編纂された頃から教養人は漢詩を学び精通して行く。和歌が廃れていきた。 このまま進むと日本古来の和風文化は大陸文化に飲み込まれる運命にあった。だが、日本は朝鮮と違いそうならなかった。
 7日 平安女流作家は世界初

万葉集後、百数十年間に漢詩をすっかり自分のものとした日本人は、その漢詩的表現を和歌を詠むことに採用独自の日本文学を創りあげた。仮名文字の最初の勅撰和歌集は「古今和歌集」が編纂され、清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語」が生まれた。

この二人の女流作家だが、欧米の最初の女流作家は十七世紀である。この平安時代のあと六百年のことである。聖徳太子の十七条の憲法もだが、欧米に先駆けること六百年である。 

 8日 先人の英断

平安朝の文化水準もさることながら、当時の文化が百花繚乱を迎えた背景には先人たちの英断があったのだ。遣隋使、遣唐使の派遣で大陸文化を吸収するのだが、当時のエリートである留学僧、留学生は命懸けであった。

現に多くの先人が難破して海の藻屑となっている。帰りに水没したものもいる。阿倍仲麻呂などは、帰国途中に難破し再び中国に戻り生涯を終えている。
(あま)の原 ふりさけ見れば春日(かすが)なる 三笠の山に出でし月かも」、望郷の念は激しく切ないものであった。
 9日 菅原道真の決断 遣唐使は894年に廃止された。菅原道真の英断であった。菅原道真は宇多天皇により遣唐大使となる、唐の国は汚職、賄賂が横行し学問は下火となりつつあった。 道真はそれを知り、そのような中国に、日本の純真無垢な若者を留学させるのは有害と断じ、以後は書物で十分としたのである。
10日 古代日本人の見識の高さ 中国大陸の文化を学びつつも日本固有の文化、伝統を損なうことなく外来文化、海外の思想を取り入れ自分たちの肥やしとしたのであり戦後の日本と大違いに政治家の見識が高かったのである。 いいものは吸収し、悪いものは取り入れない、自分たちの価値観に合わせるのが伝統的日本人の智恵なのである。大陸から学んでも朝鮮半島のようにはならなかった。だから日本文化は中国の亜流ではない、それは文明の衝突の著者ハンチントン教授の指摘の通りである。
11日ー

14日
文明の本質

換骨奪胎(かんこつだったい)の名手・日本
外来文化の咀嚼能力、即ち、外来文化を一旦骨抜きして自分の流儀にしつつ取り込む能力は日本の最大の特徴だと京都大学中西輝政教授は命名している。この換骨奪胎の超システムが日本に定着した背景は、地理的条件が大きいと言う。文明は、水と同じで、高きから低きへと流れる。高度な文明は周辺の文化を飲み込み、押し流す。事実、隋や唐と地続きの朝鮮半島では、この時代、中国文明が怒涛のように流れ込み朝鮮の独自文化を全く染め替えた。その点、日本は四方を海に囲まれている。然も、黒潮、親潮、対馬海流などが流れて、世界でも航行が困難な海域の一つである。造船技術が未熟な昔は海外との交流は容易ではなかった。 

外来文化も無節操に入ることは不可能であったのだ。
だが明治維新で日本が近代国家に変容した時もも換骨奪胎現象が起きているからそれは日本人の特技なのであろう。日本の価値観を信じ伝統を重んじる思いが外来文化咀嚼能力を高めたのである。
日本の外来文化吸収と同時に、伝統を大切にするという心があったから成功した。中国や韓国が近代化に乗り遅れたのは中華思想が背景にある。

自分たちの文明こそ最高だという考え方が災いしていた。現代でも表面的には近代化の努めているが、果して成功するのか、甚だ疑問がある。 

15日ー

20日
日本と朝鮮

危険な日本の現状

グローバリ化

国難ー第二回の襲来
朝鮮は、その中華思想を丸呑みした、独自の文字も普及せず、小中華になり今尚それを優位に思っている。西洋文明を頑迷に拒否し続けた朝鮮は近代化せず、結局、日本に併合されて、日本のお蔭で近代化が大きく前進したのは紛れも無い、否定できない歴史的事実である。
日本は謙虚に欧米から学ぶべき点は学んだ、本来は外来文化は、諸刃の件である。
近代化なくしては国際社会から置き去りにされる。近代化した為に国の存続が危うくなる恐れもあるのだ。
 
自分たちの文化や伝統を疎かにした民族は滅びて行く運命がある。そのような国は多く見られる。民族固有の思想や伝統を失えば、民族としての纏まる力を喪失してしまうからである。

最近の日本は、伝統の断絶発生しており、そのような現象が顕著に現れており極めて危険な情況にあると判定して間違いない。グローバリ化による日本人の考え方の激変が気になる。これはアメリカンスタンダードそのものである。弱肉強食システムである。それは人間味の欠けた格差社会のことである。日本人の社会の考え方は、助け合い、相互扶助であり根底から異なる、今日の社会的不安は、それを示していると言える。一種の国難の到来であろう。
最初の国難は、蒙古襲来である。四方を荒波に囲まれた日本は、自然要塞てせ守られたものである。だが鎌倉時代、最初の敵が蒙古、現在の中国であった。

蒙古はチンギス・ハーンにより蒙古高原に築かれたモンゴル帝国で、無数の騎馬団を各地に送り、中国、ロシア、西アジア、ヨーロッパに至る広大で強力な帝国を設立していた。五代目皇帝がフビライ・ハンで、北京に首都を置いて、国号を「元」と改めていた。 

フビライは日本に対して、度々に亘り使者を派遣して、「服従せよ、さもなくば攻める」と脅してきた。鎌倉幕府と朝廷は頑としてこの要求を跳ね除けた。
これに怒ったフビライが九百隻、三万人の大軍を九百隻の船に積んで1274年、日本に攻めてきたのだ。迎え撃った鎌倉幕府は、博多湾の沿岸で応戦し上陸をなんとか阻止した。そしてその夜に台風で元軍は致命的な打撃を受けて日本は救われた。

第一回目の元寇の役、「文永の役」、1274年のことである。
 黄金の国・日本を目指すフビライ皇帝は、再び日本侵略を企む。1281年だから七年後、四千四百隻、十四万人という大軍で日本を攻撃する、弘安の役である。博多湾は元の船で埋まる。鎌倉幕府は海岸に石塁を築き防御を高めており容易に上陸できない。
夜陰に乗じて日本軍は敵の船に乗り移り、火を放つなど果敢に戦った。41日間、一進一退の戦闘、その夜、再び暴風雨が博多湾を襲い元の船の大半は海の藻屑と消えた。無事帰還した元軍は三万人だったと言われる。
 

21日 (はち)(まん)大菩薩(だいぼさつ)()(どう)(くん)

日本軍は戦力的には圧倒的な劣勢であった。当時の世界最強の元の大軍を退け、防衛に成功したのだが、最大の要因は「神風」が吹いたことである。元に征服された朝鮮の傭兵によるとか急拵えの船とかの問題もあり兵士の士気も上らなかったのであろう。

だが、「八幡大菩薩愚童訓」という資料によると、1274年、文永十一年の文永の役に際して、夜半、炎上する箱崎宮(はこざきみや)から出発した白装束の決死隊、約30人が、矢を射かけて突進した処、元兵は恐怖に駆られて夜明けを待たずに抜錨(ばつびょう)し我さきにと退散したとある。
22日 鎌倉武士の団結 当時の元帝国は、人類史上最大の版図と勢力を持つものである。弘安の役で一ヶ月も博多湾で鎌倉軍が持ちこたえられたのは、単に暴風雨だけではなかった。 鎌倉軍、日本の武士達の団結によるものであったのだ。当時の鎌倉幕府と地方武士し反目さえあり民衆も怯えていた。元の大軍の前になすすべもなく上陸できた筈であるのができなかった。なぜ日本は征服されなかったであろうか?
23日 日蓮(にちれん)上人(しょうにん)

日蓮宗の開祖である。日蓮は、蒙古襲来に先立ち、「立正安(りっしょうあん)国論(こくろん)」を(あらわ)していた。日蓮は、鎌倉幕府の前の執権・北条時頼を訪ね、その本を差し出し、禅宗と念仏宗の廃止を訴え、「進言を受け入れなければ、北条一門から内紛が起り外国からも攻めてくる」と進言した。

然し、時頼はこれを黙殺した。
日蓮は念仏宗から付け狙われ鎌倉草庵は焼き討ちに遭遇し、幕府により伊豆国伊東に流された。

フビライから幕府に対して服属するよう要求の国書が届けられると知るや、再び立ち上がり「立正安国論」を提出した。
24日 (げき)を飛ばす日蓮

日蓮は、幕府の要人、彼らの帰依する他宗の僧侶に、「世を救おうと思う者は、あらゆる迫害に耐えよ」と叫んだ。そして辻説法を始め、「地域や家族も大切だが、もっと大事なのは国家である。

国を護る、これは最高の道徳律である」と呼びかけた。日蓮の命を賭した訴えは、人々の心をうち、日本の国論は一気にまとまり且つ高められた。これが蒙古襲来を阻止できた大きな要因であた。 

25日 日蓮の訴えと現在 それが人々の心に届いたのは、日本に「公」と「和」を大切にする精神が生き続けてきていたからである。先人の精神遺産の勝利でもあったのだ。 現在の日本は、どうであろうか。亡国の危機が迫っているというのに、まだ気づいていない民衆が多すぎる。 
26日 左翼思想の蔓延 現在の日本はどうであろうか。亡国の危機に近い現状だが、これで果して国家を護れるのか、「国家の防衛」が一丸となり国家の大義として外敵に立向かえるのか不安で仕方ない。

戦後、左翼思想の蔓延で、反日・日本人が急増している。彼らは祖国の歴史を完全否定し、社会主義国家こそが理想社会だと主張してきた。その思想の出発点がソ連とか中国にあるのに気づかない。 

27日 米国の陰謀 日本の左翼勢力は、天皇制打倒と日本の転覆を虎視眈々と狙っている。日教組もその手先であろう。
この社会主義思想というイデオロギーを借りての新しい「日本侵略」なのである。
この戦前からの左翼思想を巧く活用したのがアメリカ占領軍であった。
GHQがその総司令部、アメリカは日本という国家を解体するのに活用し左翼を優遇した。
そこで戦前・戦中の左翼が復活した。だが、共産党の幹部であった、徳田球一とか、野坂三造などはまだ天皇の威光を感じていた。問題は、次世代の現在の「無日・日本人」である。彼らは、日本がない、国家がないのである。
28日 自己否定に気づかぬ無日・日本人 祖国を否定する反日思想は、自己否定なのである。ソ連は崩壊したのに今尚そのイデオロギーを信じているバカモンが蔓延っている。国家とは個人の権利を阻害する存在であると刷り込まれた日本人のことである。 その結果、日本という国の一員であり国家に保護されているのに国家を無視しようとする差錯誤者のことである。大量にこれら無日・日本人が生産されている。そして近年は、彼らが新左翼と言われるものになっている。
29日 西洋の最初の魔手 16世紀となると、蒙古襲来以上に大きい海外からの侵略の波が日本にひたひたと押し寄せていた。表面上はゼウスの教えの布教であるが内実は侵略の手先であった。
15世紀末期、ヨーロッパは大航海時代に入り、16世紀になるとスペインが南米大陸を、ポルトガルがマレー半島のマラッカを征服した。
この両国の世界支配という形で、西洋のアジア、アフリカ、アメリカ大陸侵略の幕が切って落とされたのである。
日本は西洋の侵略の魔手に初めて触れたのが1543年。
この年、マカオのポルトガル船が台風に遭い種子島に漂着、鉄砲を伝えた。
 
30日 織田信長 ポルトガルの鉄砲は、八坂金兵衛により複製され僅か一年の間に、火縄銃「種子島」が開発された。
改良が重ねられ本場ヨーロッパをしのぐ性能となる。
鉄砲伝来から33年後には織田信長が3000人の鉄砲隊を指揮して武田軍に勝利し天下統一に動きだしたのである。これは世界最初の鉄砲使用の大規模戦争であった。