日本固有の道

日本民族の根

日本人が、日本民族固有の道を知ることは、日本人として当然のことであり、義務とも言えるものである。

それは必然的に日本草創以前から厳然として存在する

       日本の神様     そして天皇

に帰結するのである。

それが「日本民族のルーツ」であり「日本人の道」なのである。その道、百二十五代、数千年間維持し続けている天皇を知ることが日本民族の根幹を知ることとなる。敗戦後の新憲法でさえ、「天皇は国家・国民統合の象徴」と規定してあり尚更のことである。

日本文化創造の原動力

日本民族固有の道、民族の独自性というものは、「日本文化創造の原動力」である。文化創造は、主体性、自主性、即ち民族の固有性、独自性に立脚してのみ生みだされるものである。

この日本民族の生命であり、日本文化創造の原動力である「民族の固有性・独自性」が外来文明の極端な模倣により失われたから、日本は国際情勢に翻弄されているのである。現今日本の不安と動揺、混迷の原因はすべてここに在ると断じてよい。

海外移住日本人

海外進出の日本人は、他の国の一世よりも有能、勤勉な活躍をしている。だが、二世、三世となるとその国に流れ流され遂にその国民に埋没し消滅している。

華僑

これに対し、中国人は、二世、三世はおろか十代、二十代の後世になっても厳然として他民族の中で光彩を放って中国人=華僑として活躍している、海外で活躍する中国人は数千万人なのである。

イスラエル復活の秘密

中国人よりまだ強烈な民族がいる。ユダヤ人である。(ちな)みに、キリストもマルクスもユダヤ人である。中近東から北アフリカ、東南アジアに存在するマホメット教もユダヤ系アラビア宗教である。世界36億人は悉くユダヤ人の思想下にある。

ユダヤ人はなぜ、かくも人類に大きな影響を持つに至ったのか。その秘密は何か。ユダヤ民族は、その四千年の歴史の間、一千年は奴隷、二千年は亡国生活であった。エジプトの奴隷として三百四十年間、バビロン、アッシリア、ローマの奴隷を通算すると一千年間となる。

キリストの生れた二千年前は、ユダヤはローマの奴隷であった。その後、亡国し、約二千年の間、地球上を流浪(るろう)し、第二次世界大戦後、アメリカの支援と国連の斡旋により漸くイスラエルを建国再生したのである。

奴隷生活一千年、亡国流浪(るろう)二千年、併せて三千年間、他民族に(しいた)げられ、(いじ)められながらも、預言者とユダヤ思想を固く信じ、祖国に矜持を持ち、他国にあっても祖国語(ヘブライ語)を子々孫々に伝えつつ、彼らの神に祈り続けてきたからこそ、二千年後に国家復活を果たし得たのである。

この歴史的事実は見逃してはならない重大な教訓である。それは国土、財産等一切を失っても彼らは、「民族固有の道()・精神・国語」を守り抜いて来たということである。だからこそ国家の復活が可能であった。

外国の宗教教育

キリスト教国に聖書の無い国家は無く、国民は毎日曜日には礼拝のために教会に行く。マホメット教国にコーランを持たない家も無い。マホメットのコーランにより、一日五回の礼拝、毎週金曜日の教会に礼拝しない人もない。人生の「五柱」と呼ばれる「清浄・礼拝・断食(一ヶ月間)、損課・聖地メッカ巡礼」を行はない人はない。

東南アジアの小乗(しょうじょう)仏教国は、「国民皆僧主義」をとり、男子は総て二ヵ年間僧侶となり宗教的訓練を重ね、夫々各国固有の道を基盤として「独自の国民精神」を確立している。

戦後日本人の無教育

然るに、戦後日本は、このような「国民の魂」を作る努力も無く、自発的に日本民族精神を鍛錬、訓練する何らの方策もないままに過してきた。これは、日本が、四方を海に囲まれ、他民族に侵略略奪されたり迫害を受けたこともない温順な国だったからである。

然しながら、敗戦して、アメリカに支配され、その上に伝統文化・精神をズタズタに否定されたまま今日に至っている。かかる状態の上に、現在の如く電波、航空、思想、政治、経済等、悉く国際化したままでは、日本は極めて危険な状態にあることを強く認識しなくてはならぬ。

日本人は、生命、財産、国土を有していても、精神的、伝統的、思想的な空き家となっているのだ。「日本人の魂」は抜け殻の状態なのである。このままでは、やがて国際的圧力に左右され、日本民族は滅亡、日本解体に追い込まれることになる。日本民族が亡国の悲哀・悲運を免れるためには、「日本人の原典」即ち「日本固有の道と天皇」を真剣に学び「日本民族の根」を学び直さなくてはならない。それは喫緊の課題である。

国家の根

日本国を一本の樹に例えてみる。国家は一個の生命体である。その生命の根元は「樹木の根」である。根は見えないが絶えず働き、樹木を支え養う。日本民族は、その根元の力を「天照大神」として仰いできたのである。そして伊勢神宮に(いつ)き奉って来ている。国家という樹木が地上に現れ伸び出て、有史の世界に入る。それ以前の、地中に於ける国家生命の展開を情緒的に神話という形で伝えられてきた。

日本の原理

その神話の世界と、現実の歴史世界とを貫き「天地自然の生命が道として実現」されているのが「日本の道」であり「日本の原理」であり、即ち「神道」に他ならない。

「神道は日本民族の生命」なのである。これを否定する者は、無知蒙昧の輩であり、己を知らぬイデオローグであり素直でない。他民族の神を仰いで生きている日本人は、接木(つぎき)に過ぎないといえるのではないか。日本民族の生命(せいめい)(こん)は天照大神であり、故に日本という樹木の根脈(こんみゃく)は神道であり、「天皇」と一体なのである。これは誰も否定できない歴史的事実である。

天皇は断絶することなく、男子の系統を二千年間継承し続けてきた。世界にかかる存在はなく他国民羨望の存在でもある。それは世界遺産的に尊い存在である。

有史以来、「天皇」は日本民族の「生命(せいめい)(こん)」として国民の中心なのである。代々の天皇は、我が世として、日本民族の生命根としての自覚をお持ちになって、日々、潔斎して国民の為に祈りを捧げられ続けている。明治天皇の御製

 「とこしへに民やすかれといのるなり わがよをまもれ伊勢のおほかみ」。

欧米人と異なり、このような「民族(どう)(とう)」と帰一すべき歴史を抱いて繁栄してきた日本であるが、現在の状態は日本民族の精神崩壊的状況にある。

日本国が力強く復活再生してゆく為には、この日本の根をしっかりと固めることが必須の課題となっている。

        徳永日本学研究所 代表 徳永圀典