「天皇」 最高の危機管理機構  佐々淳行氏 

日本民族は一世紀に一回の割合で起こる国難に直面する度に、救国の危機管理機構=天皇により危機を乗り越えてきた、そして今また?平成21311日、東北関東代震災というマグにチュード9の巨大地震と大津波が宮城県、福島県などを襲い2万人を越える死者。行方不明者をだし、福島第一原発がメルトダウンの危機に見舞われた。

平成23年6月

 1日 苦難の日々を分かち合って

今上天皇は、316日救援活動に命懸けで取り組む自衛隊、警官、消防、海保、東電などにねぎらいのお言葉を賜り、被災者一同に「苦難の日々を分かち合って」と国民にテレビを通じて初めてお気持ちが述べられ、被災地に直接赴いて被災者を激励する意向を示された。しかも、このメッセージの放映中に余震があったら、地震情報を優先せよとの御言葉があったという。 

 2日 帝王学

パーフォーマンスの為の現地視察をしたがる政治家たちは及びもつかない帝王学の発露である。

 3日 救国の危機管理機構=天皇

わが日本民族は、一世紀に一回の割合で起こる国難に直面するたびに、救国の危機管理機構=天皇によって危機を乗り越えてきた。

 4日 権威

平時、わが国では、天皇を「権威」として頂いている。しかし、一旦緩急あって非常事態に直面すると、時の政権は、天皇に「権力」を持って頂いて事態を収拾してきた。

 5日

そして、体制が安定すると、また権威に戻って頂く形を繰り返してきた。代々、天皇は、神道において、天と国民を結ぶ(ちゅう)保者(ほしゃ)祭祀(さいし)(ちょう)という立場を占めてこられたのである。

 6日

天皇と他の国の国王との違いは何か。国王は側近の近衛兵などの軍隊を持っているが、日本の場合は、衛士が天皇をお守りしている。これは警察の役割であり、装備も戦争をするものではなく、あくまでも警護を目的としたものだ。

 7日

さらに、国王は司法権を持つ国が多く、叛逆者を投獄し斬首(ざんしゅ)する権限まで握っているのだ。然し、日本の場合、天皇は「権力」とは切り離されており、司法権と無縁であるばかりか、死刑執行権もない。

 8日

また、わが国では、政権が入れ替わったとしても、天皇が処刑されることはなかった。殿(でん)上人(じょうびと)とそれ以外、()下人(げにん)の区別は峻厳で、天皇の叙位叙勲の権威が、武家社会の権力者への楯となって天皇を守ってきたといえる。

 9日 皇室は相続税まで課される立場に置かれている

財産について見れば、かって七つの海を支配した英国・エリザベス女王は世界一の富豪である。然し、日本の皇室は徴税権をもたず蓄財はなと得なかった。戦後、GHQによって皇室経済法が施行されてからは、皇室は相続税まで課される立場に置かれている。

10日 マッカーサーを驚嘆させた

史上有名な昭和天皇とマッカーサー元帥の会見の(みぎり) 昭和天皇は
「戦争の全責任は私にある。身を(ゆだ)ねるべくGHQに参上した。ここに全皇室財産の目録がある。これを処分して国民に食物を与えて欲しい」、と申し出され、命乞いに来たと思っていたマッカーサーを驚嘆させた。

11日

マッカーサー元帥は、この会見をきっかけに、スターリンが強硬に主張していた天皇を戦犯にという要求を(しりぞ)けて、天皇制は護持された。

12日 高潔な人物像

この我欲のない高潔な人物像は、マッカーサー回想録に、「これが天皇というものか」と(しる)されているが、皇室財産を国民のためにと差し出されたという美談は、この世紀のサミット会談の通訳をつとめた米陸軍情報部のカン・タガミ少佐から、私が警視庁外事課第一係長だった頃に聞いた話である。

13日 昭和天皇の副葬品

後年、内閣安全室長だった時、大喪の礼の警備担当実効委員をつとめた私は、文武百官が交代して、ぬばたまの闇の中で御柩(おんひつぎ)を警護する「殯宮(ひんきゅう)伺候(しこう)」を相勤めた折知ったことだが、昭和天皇の副葬品は、動植物図鑑と、大相撲の番付表と、つるの曲がった御愛用の銀ぶち眼鏡とルーペだった。

14日 御質素さに仰天

後年、もしも不埒な墓荒しが昭和天皇は、日本が空前の経済繁栄を遂げたバブル期に崩御されたから、その副葬品はさぞかし金銀綾錦の山だろうと思って大不敬を犯したとしたら、その御質素さにさぞ仰天することだろう。

15日 伝統の保護・伝達の担い手

むしろ、天皇陛下は、祭主であると同時に、種蒔き・お田植えや、新嘗祭(にいなめさい)、あるいは植樹祭に見られる農耕文化や自然の保護者であり、皇室は歌会始(うたかいはじめ)に象徴されるように、和歌を詠み、伊勢神宮の式年遷宮に見られる建築から衣裳に至るまでの伝統の保護・伝達の担い手である。

16日 慈母(国母)

皇后陛下

さらにも皇后陛下は後段で詳述するが、養蚕の担い手であり、赤十字社総裁として国民の健康と福祉の守り手であり、天皇陛下を支えられながら、国民に対してし慈母(国母)として臨んでいらっしゃる。こうして皇室と国民は、2671年に亘り、国民を(たば)ね統率する(すべらぎ)(おお)御宝(みたから)の構図をなしているのである。 

17日 権威は「御簾」の奥

権威は、御簾(みす)の奥にいらっしゃる必要がある。この世の垢にまみれてはならない存在と言えよう

18日 一国会議員如きが 処が、昨今の政治状況を眺めれば、この天皇の統治機関としての権威の位置づけが脅かされる危機的状況を呈している。権威を持った存在に、雑事を行わせてはならないにもかかわらず、目に余る政治利用が続いているのである。
19日 中国の名誉回復に一方的に寄与

それを強く印象付けたのが、平成4年の天皇皇后両陛下のご訪中だった。時は、自民党・海部俊樹政権。このご訪中は結果的に、前年に無辜(むこ)の市民を殺傷した血の天安門事件で国際的に指弾の的となった中国の名誉回復に一方的に寄与することになった。

20日 誤りを繰り返している

国際的に見れば、ローマ法王と同格に位置づけられる天皇陛下であり、イギリスのエリザベス女王の上位に各付けされる立場にあることを、中国は計算の上での招請だったのだろう。その後も、政治という権力が同様の誤りを繰り返している。

21日 オオバカ者の小沢・鳩山

平成211214日、小沢一郎という一国会議員が、鳩山由紀夫首相を動かして、天皇陛下と中国の習近平。国家副首席の会見を実現させた。

22日 小沢は何一つ日本の為にしていない

天皇陛下の接見をお願いする場合には一ヵ月前に宮内庁に申請するのが慣例であるにもかかわららず、小沢氏は「憲法には、天皇の国事行為は内閣の助言と承認で行われる」と書かれている。一ヵ月ルールなど、どこにも書かれていない」と宮内庁長官を恫喝し、ゴリ押しを貫いた。こうしたことが続けば、天皇の権威は失われ、危機に際しての統治機能を喪失してしまいすねないだろう。

23日 一国会議員ごときに

果して、一国会議員ごときに、長年の慣例を破って天皇陛下の席見を指図する権限があるだろうか。「己の立場をわきまえよ」と一喝、猛省を(うなが)したいところである。

24日 日本以外に存在しない

さて、世界広しと雖も、125代も続く統治機構は日本以外に存在しない。それは天皇が権威であったからだろう。

25日 明治維新

明治維新を見れば、わが国が鎖国を解いて飛び出した世界は弱肉強食の帝国主義時代だった。その中で日本民族は「王政復古」を遂げ、明治天皇に近代国家建設のためのリーダーシップを求めた。

26日 天皇の権威

天皇の権威を頂いた薩長(さっちょう)土肥(どひ)土豪劣(どごうれつ)(しん)たちが、「(にしき)御旗(みはた)」の官軍となり権力者になったのである。

27日 8月15日

しかし、残念ながら、当時、その意義が国民に十分に認識されたとは言い難い。天皇陛下の重みを実感したのは、わが国が危急存亡の危機に瀕し、全国が焦土と化した昭和20815日だ。

28日 閉ざされた言語空間

占領軍の検閲を緻密に分析した江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」には、その時のことが詳しく書かれている。以下、その一部を引用する。

29日 冷静なのに驚いた

昭和219月、逐次占領を開始した米軍の前で日本人は殆ど異常なほど静まり返っていた。連合国記者団の第一陣として東京に乗り込んできたAP通信社のラッセル・ブラインズは「全国民が余りにも冷静なのに驚いた」と告白している。

30日

だが、「驚いた」のは何もブラインズだけではなかった。実は占領軍自身が、全ては「巨大な罠」ではないかと疑っていたのである。この沈黙が解けたとき、俄に血の雨が降り、米軍は一挙に殲滅されてしまうのではないかと」。