吾、終に得たり  岫雲斎圀典
    --釈迦の言葉=法句経に挑む 

多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。

それは、現代僧侶たちへの疑問であり、権威主義的仏教伽藍、葬式仏教への反感でもある。僧服は道元禅師の如く墨染めの衣でよいと思うものであり、得々と僧侶が説教する極楽=お浄土信仰への疑問である。それは恰も日本仏教の開祖達の時代の、無知な大衆救済の一心称名に似た、進歩無き仏教と見えるのである。

鎌倉時代の仏教揺籃期の如く、僧侶が草鞋や裸足でこの21世紀の末期に街頭進出し愚民救済の姿を見れば私も納得したかもしれないがそのような姿はついぞ現代僧侶に期待できない。通常人と全く同じ生活をしていて葬式・法要の読経のみでは到底宗教者と言えず、人間救済なぞ不可能である。また、末世の今こそ、情熱を以て社会に敢然と打って出ぬ、立ちあがらぬ僧侶に「人間救済」など到底期待出来ず、宗教者として値いしない。

どの家の仏壇でも真ん中には宗祖の仏像が鎮座し、阿弥陀様や観音様が中心なのも不可解であった。釈迦像は大きなお寺のみに存在する印象である。檀那寺はみな阿弥陀様である。

奇妙なことだと気づいたのは70才代であった。或る日、ふとした事から、知ったのは、観音様とか阿弥陀如来とか、毘沙門様とか不動妙王の仏様が出現されたのはお釈迦様が入寂されてから数百年後と知り、はたと気づいた。そして、これらの仏様とは、釈迦の教えの、一つの思想の表現であると分った。

釈迦の臨終の言葉は、大宇宙の法を守りなさい、自分をしっかりしなさい。即ち法燈明、自燈明であると知る。これらは実に納得できる。さもあらんと確信した。

「一切は心より生ず」、「心如(しんにょう)(こう)画師(がし)」などを真言と思ってきた私には葬式仏教では納得し得ない過去あった。

さらに、この大自然には、「恣意は無い」と気づいたからでもあった。特定の人間に、特定の恩恵などを神仏は与えられる筈はないと思うからでもあった。

第一、死んでから極楽浄土に行くなど理解不能であ

る。生きて、この世こそ、心の浄土にする。それこそが宗教のあるべき姿ではないかと永年思っていたからだ。

そこへ、お釈迦さまの言葉を集めたものが「法句経」であると知った。ここにある言葉は、私がこの82歳になるまで、人生経験から肌で感じていたことばかりである。高名な友松円諦師の「法句経」を読み、改めて感動的に諸手を挙げて同感した。

 

突き詰めると釈迦の仏教理の核心は、宇宙の原理に沿ったもの即ち「原因があって結果がある」のだから、良い結果を得るには、良い結果を発生する良い原因を創ることであろう。当に、因果応報、因果則そのものである。それは大自然の掟でもある。大乗仏教の地獄とかではないのだ。迷信など無用である。これは現代人の知性に適った真理である。

その真理・悟りを得ても人間は、否、大自然の存在は全て朽ち果てて行く。大自然の法燈明に従っても朽ち果てる。人間は、自燈明で、死の直前まで、確りと自己を支えて生きて行くしか他の道は皆無なのである。

 

それは要するに、自分を変えることで生の苦を緩和する事であろう。それ以外に現世の人間苦から逃れられる道はない。これは厳然たる事実である。大乗仏教は、それを神秘な呪文で逃れさせようとしているらしい。ただが、論理的に科学的に釈迦は真正面からこの非情な現実を受けて悟道を得られたのである。

 

これこそ私の希求していたものズバリであった。これこそがお釈迦様なのだが、どうして日本では主流とならぬのか、その理由も明快に分かった。中国から到来した大乗仏教は日本に定着した。大乗仏教はお釈迦様滅後500年当時の新興宗教であり、お釈迦様の厳しい修行について行けない大衆の参じた仏教であると知る。般若心経はその中心的お経であることも理解した。だから日本の仏教では仏壇の中心に釈迦像が無いのであろう。

私は、この大乗的仏教に組し得ないものがある。直にお釈迦様の教えである「自燈明、法燈明」が現実的で、「生の哲学」としてこの世の修行に相応しいと確信する。

その釈迦の「真理の言葉」である法句経の翻訳をされた友松諦師ま経をお示しし、その愚生の口語訳に挑戦する。愚生畢生の大仕事となるであろう。稚拙、且つ、ゆっくりと挑むこととする。                   

平成256月 82歳岫雲斎圀典