好きな歌人・好きな歌 その3 
平成21年6月度

 1日


皇子

(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ(わらび)()えいづる春になりにけるかも      (巻八)

若い時から、なんども口ずさんでは春の季節の到来を噛み締る好きな歌である。

 2日

志貴皇子は、大化改新を断行した天智天皇の皇子、激しい政治の世界では不幸な境遇と言えるお方。 

だが、この歌は「万葉集」巻第八の巻頭を飾る歌である。
 3日 (よろこび)御歌(みうた)
と題されている通り、
 
私は春が来た、来たなと、はずむような心を、いつも感じるのである。
読むたびに全身がゆすぶられるような感動を覚える。
 4日

水も溶けて春の光いっぱい受けた谷の激流が、岩の上を、しぶきをあげて流れて行く、そのほとりには、苔むした谷沿いの近くに、かわいい蕨の新芽が、

そのしぶきを浴びて(かす)かにゆれている。春を迎えた自然の新しい命が、溢れるような情景を思い浮かべるのである。
 5日 神韻を感じる

上の句、「石ばしる垂水()の」、「上の」、「さ蕨の」、と「の」の繰り返しで、焦点に注がれてゆく。そして「さ蕨」の「さ」のなんという神韻を感じるような語感のよさ。 

下の句、「萌えいづる春に」は、一字余りである。
この飲み込むような息遣い、その後に「なりにけるかも」と、一気に、やさしく結び収められていく。たまらない、痺れるような風韻がある。
 6日 皇子の他の歌

采女(うねめ)(そで)吹きかへす明日香風(あすかかぜ)都を(とお)みいたずらに吹く   (巻一) 

これは都が藤原京に移った時、遠ざかる飛鳥の地を遥かに懐かしまれた歌である。郷愁を覚えるお歌で忘れ難い。
 7日

志貴皇子が亡くなられたのは、(れい)()元年も716年、奈良の都の初め頃である。笠金村(かのさかなむら)という当時の著名な歌人が皇子の死を悼んだ歌がある、 

高円(たかまど)野辺(のべ)(あき)(はぎ)いたずらに咲きか散るらむ見る人なしに        
         (巻二)
 

 8日

天平という華麗な時代を迎えつつある最中、秋萩のように寂しく世を去られた皇子の生涯を偲ばれたものであろう。 

皇子が薨去されてから五十四年後、御子が光仁(こうにん)天皇として帝位におつきになつている。
 9日

光仁天皇とお父上の志貴皇子の御二方の御陵(みささぎ)が笠金村の挽歌に詠まれた、奈良の東南にある

高円山(たかまどやま)の背後の静かな茶畑の中にある。万葉時代の心を偲ばせる(よすが)となっている。