時には文学を その四

時には文学に触れて心を癒したいと思う。

平成27年6月

1日

(はく)()文集(もんじゅう) 

平易な表現で美しい詩歌に溢れて明快に世情をうたい平安時代の人々に広く読まれていた。
唐の詩人・(はっ)(きょ)()の詩文集である。
2日 遺愛寺の鐘の音

この中にうたわれているのが遺愛寺(いあいじ)の鐘は枕を(そばだ)てて聴き、香炉(こうろ)(ほう)の雪は(すだれ)(かか)げて()る」
遺愛寺(いあいじ)の鐘の()は臥したまま枕を持ち上げて聴き入り、香炉峯の山に積もっている雪は、簾を高く巻き上げて眺めている。これを踏まえた中宮(ちゅうぐう)定子(ていし)と清少納言とのやりとりである。清少納言は漢詩文にも豊かな学才を持ち、教養の深さを示す逸話である。 

3日 平安文学の最高峰、

源氏物語

上述のようなスタイルで平安文学の最高峰、源氏物語に言及してみたい。
源氏物語 紫式部 式部は藤原為時の娘、藤原宣孝の妻となるが二年後に死別した。一人娘を育てつつこの物語を書き始めている。最初の「桐壺」が発表されると評判になり藤原道長関白の勧めで一条天皇の中宮・彰子(しょうし)に仕えながら執筆を続けたという。物語の完成は寛弘五年、1008年。

4日 七十年間に及ぶ長編物語

五十四帖からなる七十年間に及ぶ長編物語、登場人物は四百人を越え、その複雑な人間関係は貴族社会を背景にして展開されている。ある帝と桐壺の更衣(こうい)との間に生まれた光源氏の一生を記したのが一から四十一帖である。

5日 世界的に第一級の古典

平安朝はなやかな宮廷を舞台にしてくり広げられる貴族社会の物語。「もののあはれ」の文学として後世に与えた影響は大きい。心理描写にも優れており世界的に第一級の古典とされている。

6日 荒筋

1桐壺--33藤裏葉

1桐壺(きりつぼ)」――33(ふじ)(うら)()
 光源氏の誕生から四十才までの前半生が死別したた母の面影を宿す義母・藤壺の更衣への慕情を軸にして何人かの女性との交渉を通して語られている。
7日 若菜上--41幻

34若菜上(わかなのうえ)」――41(まぼろし)
 不幸な人間関係のもつれに悩み苦しむ光源氏が僧になることを決意するまでが描かれている。

8日 42匂宮--夢浮橋

42匂宮(におうのみや)」――54(ゆめ)浮橋(うきはし)

 源氏の子の薫の君が、宇治の姫君たちとの実らぬ恋に悩むさまが描かれている。宇治を舞台に繰り広げられる悲恋物語で「宇治十帖」とも呼ばれる。 

9日 壺の書き出し

桐壺の書き出しのみ述べることとする。

いづれの御時(おんとき)にか。女御(にょご)更衣(こうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとなき(きわ)にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。

はじめより、「われは」と、思ひあがり給へる(おん)かたがた、めざましき者におとしめそねみたまふ。

10日

おなじ程、それより(げらふ)更衣(こうい)たちは、まして、安からず。あさゆふの宮づかへにつけても、人の心をのみ動かし、(うら)みを()ふつもりにやありけむ。いと、あつしくなりゆき、もの心ぼそげに(さと)がちなるを、いよいよ「あかずあはれなるもの」に(おぼ)ほして、人の(そし)りをも、えはばからせ給はず、世の(ためし)にもなりぬべき(おん)もてなしなり。

11日 この調べの素晴らしさ

えも言われぬこの調べ、日本人の優しさに思いをはせる。それに比して現代人の感性の無さ、荒々しさ、物は溢れても嘆かわしい言葉の現代語は卑しいということになる。

12日 口語訳

ゆっくりと、一通りに口語訳をものしてみる。

どの(みかど)の御代であったか。(みかど)のおそば近くにお仕えする女御や、女御の下で(みかど)に仕える女官の更衣たちが大勢いる中に、それほど高い身分ではなかったが、たいそう(みかど)のお気に入られたお方に桐壺の更衣があった。

13日

宮仕えの初めから「自分こそは帝のお気に入りになる」と思い上がっていらっしゃる方々は、桐壺の更衣を気に食わない者にして、さげすんだり、ねたんだりなさる。この方と同じくらいの身分の更衣、またそれより低い身分の更衣たちは、なおさら心が穏やかではない。

14日

この桐壺の更衣は、朝夕の宮仕えにつけても、仲間への気配りが増え、恨みを受けることが積もり積もったからであろうか、すっかり病弱になって、心細そうな様子で実家に帰っていることが多いのを、(みかど)は、いっそう「ふびんで、いとしい者」とお思いになり人々の非難をもはばかられず、世間の噂にもなりかねないほどのかわいがりようであった。

15日 優雅な平安時代の様子

ここらで、平安時代の生活感というか、遊びというか、優雅な平安時代の様子を見てみたい。
平安時代は貴族の和歌、優雅な十二(じゅうに)単衣(ひとえ)蹴鞠(けまり)、紅葉狩り、管弦などを連想する。特に貴族達は多彩な趣味、娯楽を持っていた。

16日 1000年前の世界的に見ても当時の最高水準

管弦を愛し、舞楽を楽しみ、絵画を画く、などなど芸術的な娯楽を楽しんでいた。和歌も読み、物語を読むなど文学的遊び、鷹狩りとか蹴鞠のスポーツ、桜狩りや紅葉狩りなど野外の娯楽、室内では、碁や双六、行事に伴う寺社詣での楽しみ。1000年前の世界的に見ても当時の最高水準のものであったと確信する。源氏物語がそれを如実に語っていよう。

17日 「管弦」

どのような娯楽か調べてみた。
先ず、「管弦」
 横笛、篳篥(ひちりき)(しょう)(そう)琵琶(びわ)を演奏して楽しむのが当時の代表的室内娯楽である。凄いではないか。また太鼓などの打楽器を加えて舞いを伴う舞楽も楽しんでいた。横笛は当時の代表的な楽器であった。

18日 「蹴鞠」

「蹴鞠」
鹿の皮で作った直径2324cmの鞠を蹴り上げて落とさないように蹴り合う遊び。公卿などの上流階級貴族の間で行われている。4-5人の仲間で。

19日 「双六」

「双六」
中国伝来の遊び。磐上に12(けい)線を引き、中央の横線で敵味方の領地に分け、白黒の馬と呼ぶ石を、二つの(さい)の出た数で敵の領地へ進める遊び。

20日 「碁」

「碁」
中国からの伝来の遊び。現在の碁のように陣取りの遊びだが、()()としておはじきのような遊びもされている。

21日 絵合(えあわせ) 物合せの一、左右二組に分かれて判者を決め、互いに持ち寄った絵を出し合い優劣を競う遊び。絵も貴族の教養の一つである。絵に和歌を添えて出す「歌絵合せ」の形もあったという。高尚で優雅、この頃の西洋ばどうであったのか。日本の方が文明的であったのだ。
22日 「貝合せ」

「貝合せ」
元々は珍しい貝の優劣を競う遊びであったらしい。平安末期には、散らした二枚貝から対の貝がらを選び合わせる遊びになったという。

23日 「鶏合せ」 日本書紀にも見られるらしい古い遊び。鶏の雄を闘わせて楽しむが庶民も楽しんでいた。
24日 「若菜摘み」

「若菜摘み」
正月の七草や、()の日に行われたという。野外に出て日の光にふれ、自然の美に親しむ良い機会であった。

25日 「読書」 姫君が物語の絵をみながら、視覚と聴覚とで内容を鑑賞して読むものであった。
26日

物詣(ものもうで)

神社や寺院に参詣することだが野外に出て自然に接する楽しみが強く、遊興行楽の気分が多かったという。
27日

庶民の遊び

民間舞楽に「田楽」、双六、闘鶏、相撲、指引き、首引き、耳引き、目比(めくらべ)即ち、にらめっこ、将棋などが絵巻などからよめる。子供らは、伏籠で雀を捕らえてる。

28日

子供たちは、伏絵巻から知られる。子供達は(ふせ)()で雀を捕らえたり、笹竹にまたがって走る竹馬や早走りなどの遊びをしたと言う。首引きとは相対する人が首にそれぞれ布を巻いて引き合うのである。

29日 指引きは、指を互いに引っ張り合う、又は、手ぬぐいなどを指にからませて引っ張り合う。
30日 平安時代は、先ずはこれくらいにして、万葉時代に帰る。