十八、「微子 第十八」
平成29年6月より
原文 | 読み | 現代語訳 | |
6月10日 | 一、 微子去之、箕子為之奴、比干諌而死、孔子曰、殷有三仁焉、 |
微子これを去り、箕子(きし)これが奴(ど)と為り、比干(ひかん)諌めて死す。孔子曰く、殷に三仁あ。 |
微子は殷国から去り、箕子は奴隷に転落し、比干は殷(商)の紂王を諌めて死罪となった。孔子がおっしゃった、「殷には、三人の仁者がいた。 |
6月11日 | 二、
柳下恵為士師、三黜 |
柳下恵(りゅうかけい)、士師(しし)と為り、三たび黜け(しりぞけ)らる。人曰く、子未だ以て去るべからざるか。曰く、道を直くして人に事うれ(つかうれ)ば、焉(いず)くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉(ま)げて人に事えんや、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。 |
柳下恵が司法の官職に任命されたが、三度も罷免された。ある人が言った。あなたはなぜこんな扱いを受けているのに、この国を去らないのですか。柳下恵が言った。まっすぐに道理に従って人に仕えようとすれば、どの国に行っても三度罷免される。道を曲げて仕えるのであれば、どうして父母の国を去らなければならないのか。(正しい道を曲げて仕えるならば、この国でも私は罷免されることはない)。 |
6月12日 | 三、
斉景公待孔子曰、若季氏則吾不能、以季孟之間待之、曰、吾老矣、不能用也、孔子行、 |
斉の景公、孔子を待わんとして曰く、季氏の若きは則ち吾能わず。季・孟の間を以てこれを待しらわん。曰く、吾老いたり、用うる能わざるなり。孔子さる。 |
斉の景公が孔子を招いて言われた。『魯国の季氏のような手厚い待遇はできないが、季氏と孟氏との中間くらいの待遇ならできます。』。景公は更に言われた。『私は年老いました。あなたを採用することも出来なくなりました。』。孔子はこれを聞き斉の国を去った。 |
6月13日 | 四、
斉人帰女楽、季桓子受之、三日不朝、孔子行、 |
斉人、女楽(じょがく)をおくる。季桓子(きかんし)これを受け。三日朝せず。孔子行る(さる)。 |
斉国が魯国に女性の歌舞楽団を贈った。季桓氏はこれを受け容れて、(その美しさと素晴らしさに魅了されて)三日間政務を行わなかった。孔子は魯国を去った。 |
6月14日 | 五、 |
楚の狂・接輿(せつよ)、歌いて孔子を過ぐ、曰く、鳳や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諌むべからず、来たる者は猶追うべし。已(や)みなん已みなん。今の政に従う者は殆うし。孔子下りてこれと言わんと欲すも、こ趨り(はしり)てこれを辟く(さく)。これと言うを得ず。 |
楚の狂人・接輿が歌いながら孔子の側を通り過ぎた。」 |
6月15日 | 六、長沮桀溺藕而耕、孔子過之、使子路問津焉、長沮曰、夫執輿者為誰、子路曰、為孔丘、曰、是魯孔丘与、対曰是也、曰是知津矣、問於桀溺、桀溺曰、子為誰、曰為仲由、曰是魯孔丘之徒与、対曰、然、曰滔滔者天下皆是也、而誰以易之、且而与其従辟人之士也、豈若従辟世之哉、憂而不輟、子路行以告、夫子憮然曰、鳥獣不可与同群也、吾非斯人之徒与而誰与、天下有道、丘不与易也、 |
長沮(ちょうそ)・桀溺(けつでき)、藕(ぐう)して耕やす。孔子これを過ぐ。子路をして津(しん)を問わしむ。長沮曰く、夫(か)の輿(よ)を執る者は誰と為す。子路曰く、孔丘と為す。曰く、これ魯の孔丘か。対えて曰く、是なり。曰く、是ならば津を知らん。桀溺に問う。桀溺曰く、子は誰と為す。曰く、仲由と為す。曰く、是魯の孔丘の徒か。対えて曰く、然り。曰く、滔滔たる者、天下皆是なり。而して誰とともにかこれを易えん。且つ而(なんじ)その人を辟さくる(さくる)の士に従わんよりは、豈、世を辟くるの士に従うにしかんや。憂して輟めず(やめず)。子路行きて以て告ぐ。夫子憮然として曰く、鳥獣は与に群を同じくすべからず。吾斯の人の徒と与にするに非ずして誰と与にかせん。天下道あるときは、丘は与に易えざるなり。 |
長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)とが並んで耕していた。孔子がそこを通りかかって、子路に渡し場を尋ねさせた。長沮が言った。あの馬車の手綱を握っているのは誰ですか。子路は答えた。孔丘です。長沮は魯の孔丘かと聞いた。はい。それなら渡し場の場所は知っているだろうと言った。今度は、桀溺に聞いてみた。桀溺は言った。あなたは誰ですか。仲由です。あなたは孔丘の弟子ですか。そうです。桀溺はどんどんと水が流れていくように、天下はすべて留まることを知らない。一体誰と一緒に天下を治めるのか。お前も仕官すべき諸侯を選り好みして人間を棄てる人につくよりは、世間を避ける隠棲者についた方が良いのではないかと言い、種への土かけをし続けていた。子路が孔子にそのことを伝えた。先生はがっかりして言われた、「鳥や獣とは仲間になれないものだ。私はこの人間の仲間と一緒に居るのでなくて、誰と一緒に暮らせるのか。世界中に正しい秩序があるのであれば、私は何も政治改革などする必要はないのだ」。 |
6月16日 | 七、子路従而後、遇丈人以杖荷條、子路問曰、子見夫子乎、丈人曰、四体不勤、五穀不分、孰為夫子、植其杖而芸、子路拱而立、止子路宿、殺鷄為黍而食之、見其二子焉、明日子路行以告、子曰、隠者也、使子路反見之、至則行矣、子路曰、不仕無義、長幼之節、不可廃也、君臣之義、如之何其可廃也、欲潔其身而乱大倫、君子之仕也、行其義也、道之不行也、已知之矣、 | 子路従いて後れたり。丈人の杖を以て條を荷なう。子路問いて曰く、子、夫子を見たるか。丈人曰く、四体勤めず、五穀分せず、孰か夫子と為す。その杖を植て(たて)て芸る(くさぎる)。子路拱(きょう)して立つ。子路を止めて宿せしめ、鶏を殺し黍をつくり、これに食らわしめ、その二子を見せしむ。明日(めいじつ)、子路行きて以て告ぐ。子曰く、隠者なり。子路をして反りてま見えしむ。至れば則ちされり。子路曰く、仕えざれば義なし。長幼の節、廃すべからず。君臣の義はこれを如何ぞこれを廃せん。その身を潔くせんと欲して大倫乱る。君子の仕うるや、その義を行う。道の行なわれざるはすでにこれを知れり。 |
子路が先生に従っていたが遅れてしまった。杖に竹かごを掛けている老人に出会って、子路が言った。孔先生を見かけませんでしたか。老人が答えた。肉体労働をしたこともなく、五穀の見分け方も知らない人物を、どうして「先生」などと呼ぶのか。杖を地面に突き刺して草刈りを始めてしまった。子路は(不思議な感覚に襲われ)手を組んでぼうっと立っていた。老人は子路を引きとめて、家に宿泊させてやった。鶏を殺して黍飯を炊いてもてなし、二人の子どもとも引き合わせてくれた。翌日、子路が孔子に追いついてそのことを話すと、孔子は言われた、「それは隠者であろう」。子路にもう一度戻って話を聴くように言った。子路がその家に辿り着くと、老人はいなかった。子路は老人の子に伝言を頼んだ。あなたは、仕官しなければ義務はないというでしょう。しかし、長幼の序は廃止することができないです。それならば、どうして君臣の間の義も廃止できるのか。あなたは自分の身を清潔に保ちながらも、人倫の大義と道徳を乱しておられるのです。君子が仕官するのは、その大義をまっとうするためです。正しい道が行われていないのは、孔先生は十分に知っているのです」。 |
6月17日 |
八、逸民、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連、子曰、不降其志、不辱其身者、伯夷叔斉与、謂柳下恵少連、降志辱身矣、言中倫、行中慮、其斯而已矣、謂虞仲夷逸、隠居放言、身中清、廃中権、我則異於是、無可無不可、 |
逸民は、伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)、虞仲(ぐちゅう)、夷逸(いいつ)、朱張(しゅちょう)、柳下恵(りゅうかけい)、少連(しょうれん)。子曰く、その志しを降さず、その身を辱めざるは、伯夷・叔斉か。柳下恵、少連を謂う。志を降し身を辱しむ、言は倫にあたり、行は慮に中たる、それ斯れのみ。虞仲、夷逸を謂う。隠居放言し、身は清に中たり、廃は権に中たる。我則ち是に異なり、可も無く不可も無し | 隠者は伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連。先生が言われた、「自分の志を高く保ち、その身を潔癖に守ったのは、伯夷・叔斉兄弟である。柳下恵・少連を評価すると、志は低く下がり、その身は汚れてしまった。しかし、その発言は正義の道に適っており、行動も思慮のあるものであった。それは素晴らしい。虞仲・夷逸を評価して言うと、彼らは世を捨てて自由な言論を行い、自分の身を清潔に保っており、隠棲のやり方も程よい。しかし、私は彼らとは違う。(自由無碍の境地で状況を見極め)主君に仕えるべき時には仕えて、仕えるべきでない時には仕えない」。 |
6月18日 | 九、大師摯適斉、亜飯干適楚、三飯繚適蔡、四飯缺適秦、鼓方叔入于河、播鼓武入于漢、少師陽撃磬襄入于海、 |
大師摯(たいしし)は斉に適き、亜飯干(あはんかん)は楚に適き、三飯繚(さんぱんりょう)は蔡(さい)に適き、四飯缺(しはんけつ)は秦に適き、鼓方叔(こほうしゅく)は河に入り、播鼓武(はとうぶ)は漢に入り、少師陽・撃磬襄(げきけいじょう)は海に入る。 |
楽師長の摯(し)は斉に赴いた。第二の演奏者の干は楚に赴いた。第三の演奏者の繚は蔡に赴いた。第四の演奏者の缺は秦に赴いた。太鼓の演者の方叔は黄河流域に行った。第一の演者の陽と石の楽器の奏者の襄は、渤海沿岸に行った。 |
6月19日 |
十、周公謂魯公曰、君子不施其親、不使大臣怨乎不以、故旧無大故、則不棄也、無求備於一人、 |
周公、魯公に謂いて曰く、君子はその親を施てず(すてず)、大臣をして以いられざるを怨ましめず、故旧、大故なければ、則ち棄てざるなり。備わらんことを一人に求むなかれ。 |
周公が我が子の魯公(伯禽)に向かって言われた。君子はその親族のことを忘れず、大臣が用いられないからといって怨むことのないようにし、古い縁故のある人物は大きな過ちが無ければ見捨てず、一人の人間に完全を求めてはいけない」。 |
6月20日 |
十一、周有八士、伯達、伯活、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季過、 |
周に八士あり、伯達、伯カツ、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季カ。 |
周に八人の優れた人物がいた。伯達、伯活、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季過である。 |